第五章 一、エイシア
第五章 一、エイシア(一)
お屋敷で、一番日当たりのいい場所。
それは屋上か、お庭の真ん中辺りだろう。
今は一番人目に付くお庭で、私はエイシアと日向ぼっこをしている。
冬の寒さが一時緩み、風も無いので辛うじて出来る。
防寒用の外套は外せないけれど、くるまればお昼寝くらいは大丈夫な気温だ。食後なので気持ちもゆったりとして、頬に触れる冷たい空気が、丁度気持ちよくもある。
ただ、サボリに来ているわけでは、決してない。色々と変わってしまった状況を、整理したくて気分転換をしているのだ。
「お前に対する悩みも、尽きないのよね……」
エイシアと名付けた、巨大なトラの獣。尾を含まずに三メートル以上はある。噛まれても引っ掻かれても、即死級の傷を負うだろう。
白い長毛種の美猫にしか見えないけれど、トラのような青白い柄がある。
本人曰く、トラの幼体であるらしい。
――(何か文句でもあるのか?)
念話で偉そうに話すのは、このエイシアだ。獣のくせに人語を使うし、色々な力を持っている。下手をすれば人類の敵になりかねない。
ただ、魅了の力比べで私が勝ったので、私の言う事は聞く。
その都合で、寝そべったエイシアのおなかに、こうして私は埋もれている。そしてなぜか、言わなくてもフワフワの尻尾を、毛布代わりにしてくれる。温かい。
「別に? ……勝手に人々を魅了したり、私にいじわるをしたり、いけないことばかりするから困ってるのよ。気が利く方だとは思うけど」
――(別に。と言う割には、出てくるではないか)
艶のある女性の声に聞こえるのは、この子が雌だからなのだけど、幼体というには無理がある。と、思っている。
――(ねえ。どうしてお前は大人みたいな話し方をするの? 偉そうなんだけど)
――(記憶の網から智を得ているのだ。貴様と同じ次元で語るものではない)
「また貴様って言う」
――(フ。貴様は貴様だろう。それより、下級の侍女達がこちらに来るぞ)
エイシアが話せる事は伏せている。だから教えてくれた。
そういえば、リリアナには伝えておけばいいのだと、今思った。もしかすると、こいつの魅了の影響を少しは、受けているのかもしれない。こいつに油断してはいけない。
――(私にはちゃんと、エラって名前があるんだから。お前はエラ様って呼びなさいよね)
――(様、だなどと。呼ばれて滑稽だとは思わぬのか? 侍女どもは苦労が絶えんな)
――(なにが滑稽なのよ。バカにして……)
――(ゴーストの片割れの方ならともかく、貴様ごとき小娘に? 片腹痛いわ)
――(それは……カミサマは、素敵な人だったけど……)
今は、比べられると胸が痛む。
剣が扱えなくなったことを、受け入れられない。本当に、ショックなのだ。
(カミサマはあんなに……自分の剣を授かって、喜んでいたのに。特別な剣だとはしゃいで、寝る時さえ手放すのを惜しんでた。その大切な剣と、剣術だったのに)
私のせいで、大切なものを二つ同時に失ったようなものだ。カミサマに顔向けできない。
――(どうした。曇った顔をしても、誰も慰めてはくれんぞ。それとも、そこの侍女達にでも泣き付くのか?)
――(……言ってなさい)
目に涙が溜まった。こぼれそうになっているけれど、泣きたくない。
泣いて剣術が使えるのなら、いくらでも泣くけれど。
そこに、近くまで来ていた二人の侍女が話しかけてきた。
「あのぅ~」
「エラ様。折り入って、お願いがございます」
どうやら、散歩ではなくて私に用があったらしい。
「あ。はい、何でしょう」
無作法だけれど、急な事だったのでエイシアのおなかに寝たまま返事をして、二人を振り仰いだ。
そして二人の顔を見た瞬間に、お願いが何なのかが分かった。
なので、一度立ち上がって彼女たちの礼を受けた。私はアドレー家特有の、軽く頷く程度の会釈を礼として応える。
「あのっ、私の同僚が、この間エラ様の……その、エイシアちゃんに触らせてもらったという話を聞きまして……」
「私達にも、その、触れさせては頂けないでしょうか!」
ものすごく緊張した面持ちで、両手を胸の前で組んで、祈るように懇願されてしまった。
「ええ、大丈夫ですよ。噛んだりしませんから、好きなだけ触ってください」
そう言うと、二人は飛び上がって喜んだ。
「ありがとうございます! あの、首の辺りを触っても怒りませんか?」
「私は尻尾を触りたいです!」
人それぞれ、最初に触れてみたい所が違うらしい。
「うん。私が居れば平気よ。ね? エイシア」
ツーンとした感じでそっぽを向いているけど、私には逆らえない。そのはずだ。
「だ、大丈夫そうですか? エイシアちゃんご機嫌ナナメなら、出直します」
こんなヤツの機嫌を考えてくれるなんて、優しい人だ。
「前の時も、こんな感じだったのよ? 怖いなら、私が頭を押さえておいてあげる」
そう言いながら、私はエイシアの顔の前に立った。
――(いい加減、観念しなさいよね。魅了じゃなくて、愛想をふり撒きなさい)
――(大した嫌がらせだな)
エイシアは、この屋敷内でのペット扱いだけでこの態度だけど……これからもっと、この子にとって嫌なことを沢山してもらうというのに。
そう思うと、笑みがこぼれた。今の私は少し、いじわるな顔をしているかもしれない。
――(碌なことを考えておらんだろう。何を企んでおる)
念話でそう伝えるエイシアを無視して、私は侍女達に話しかけた。
「ほらほら、こうして口を押さえておくから。触ってあげて。やさしく撫でると喜ぶのよ?」
そして二人に、大丈夫だという合図をした。エイシアの鼻先と顎を両手で挟むように持って、体ごと寄せてぎゅっと抱いたのだ。
――(おい。そんな風に顔を押さえるな。髭に触っているではないか)
エイシアからの苦情は、今は一切無視してやるつもりだった。
「わぁぁ……ふわふわぁ……」
「かわいい……かわいいです。エラ様、エイシアちゃん、ありがとうございます!」
そう聞いて私は、エイシアのおでこの辺りを撫でながら言った。
「良かったわね、二人とも。ほら、エイシアちゃんも大人しくして、喜んでる」
「本当ですか! 嬉しい。仲良くなれるといいなぁ」
「もっと仲良くなるには、どうしたらいいですか?」
二人は銘々、エイシアをむぎゅう~っと抱きしめて満喫しながら、さらなる期待を膨らませての質問攻めだった。
「あぁ~っと、そうね。今度皆に、エイシアと仲良くなる方法をメモして、公表するわね。そうしたら、私が居なくても遊べるものね」
「きゃあぁぁぁ楽しみです!」
「あぁぁ。素敵なご提案、ありがとうございます!」
二人の反応が可愛くて、私はうんうんと満足気に頷いた。
「喜んでもらえて何よりよ。そうだ、エイシアのおなかに埋まるのはどう?」
そう提案したところに、フィナとアメリアもやって来た。
私の専属侍女達だ。
長い黒髪をきゅっとお団子に束ねたフィナは、切れ長の紫紺色の瞳が大人っぽい。元はお義父様の侍女だったけれど、私の教育係を兼任して、専属になってくれた。
「エラ様~。リリアナ様がお呼びですよ~」
落ち着いたトーンの声は、離れていてもスッと耳に届く。
「あー! エラ様、私もエイシアに埋まりたいです!」
こちらの元気な金髪蒼眼の女の子は、私を殺せと命令された元暗殺者。その呪縛から解いて、今は侍女見習いをしている。素直でよく働くムードメーカーで、他の侍女達の人気も獲得している。私も甘やかしてしまいそうになるから、フィナは私とアメリアの、二人の教育係になってしまった。
そのフィナは伝言に来たようだけれど、アメリアは遊びに来たのだろうか。
「こら。これだからアメリアは来なくていいと言ったのに。遊ぶつもりならすぐに戻りなさい」
そんなアメリアを、フィナは先輩としてしっかり釘を刺した。
「はぁ~い……」
アメリアは少しの間だけ、しょんぼりとして見せた。けれど、一秒と経たずにニコっと笑う。そして私の近くまで来ると、きちんとした礼をしてみせた。
「ふふ……。フィナ、お疲れ様。アメリアは、ほんとに礼が上手になったわね」
「ありがとうございますっ!」
元気なアメリアを見ると、私は少しほっとする。私より幼い子が、働かなくてはいけない事が心に引っかかっているからだ。それでも、楽しく過ごしているように見えると、安心する。
「あの……わたし達は少しだけ、埋まっても良いでしょうか……」
先に来た二人は、休憩中だろうに先輩侍女が来たものだから、ドギマギとしている。
「ああ、次の支度に遅れない程度でしょう? 構いませんよ?」
フィナはすぐに、優しく答えた。切り替えを忘れないようにと、きちんと示している所はさすがだ。
「やった~」
「こ、こら、アメリアちゃんが羨ましくなるから、はしゃぎ過ぎないの」
聞こえてしまうけれど、二人は小さな声で喜んだり、遊びたいさかりのアメリアを気遣ったりしている。でも、ちゃっかりとエイシアのおなかで、ふわふわ体験を楽しんでいるのが可愛らしい。
私は、それがとっても微笑ましくて、頬が緩んだ。胸も温かくなって、いますぐ皆を抱きしめたいくらいに気持ちが高ぶっていた。
「フィナ。まだ少し時間はあるかしら」
「あ、はい。リリアナ様からは、見つけたら呼んで来てというご指示でしたので、多少なら……」
「そっか。それじゃ、アメリアも少し、埋まっておいで」
「え! いいんですか?」
「こ、こら、アメリア。エラ様も、甘やかさないでください」
「まぁまぁ、今だけ。少しだけ。ね?」
「もう……お甘いんですから……少しだけですよ?」
「やったぁ~!」
無邪気に喜ぶアメリアが、また一段と可愛い。先に埋まっている二人の間に、もぞもぞと入っていく。二人もおいでおいでと、アメリアを招き入れている。この光景の、なんと尊いことだろう。
この皆を護りたい。皆の幸せを護りたいと湧き上がった気持ちは、カミサマと同じものに違いない。それも何だか、誇らしかった。少しでも、カミサマに負けないくらいに、頑張りたいと思うから。
――(何を感慨に耽っておる。そろそろ終いにせぬか)
エイシアも、それなりに我慢してくれているのがありがたい。とんでもない聞かん坊だったら、どうするべきかを悩むどころでは、なかっただろう。
――(フフ。おりこうさんにしてるから、何かご褒美が必要かしら)
――(貴様。我を子ども扱いするつもりか。生意気な)
――(まぁまぁ。いいじゃない。あなたも私達の仲間だと言うなら、その力を皆のために使ってよ)
――(話を逸らすな。それに仲間になったなど、一言も言っておらんだろう)
――(そのおなかに、優しく包んであげているのは証拠にならないの?)
――(これは! 貴様がやらせておるのだろうが!)
――(もう。怒んないでよ。私はね、誰とも争いたくないの。仲良くしたいだけなのよ)
――(我を始末する算段を思案しておったではないか)
――(そうねぇ。でもそれは、きっとカミサマが皆の事を想ってのことだったのよ。だから、あなたが味方であるというのなら……そんなこと、私はもう考えないわ。どう? エイシア。今から聞くあなたの言葉を、そのまま受け止めるつもりよ)
――(…………人間の味方など)
――(人間全て、ではなくて。私達の。としてなら? 別に、敵対する理由なんてないでしょう?)
――(虎魔の役割がある)
――(粛清がどうとか、ってやつ?)
――(そうだ。害悪となるものを狩る)
――(私だって、私達を襲うものは、獣であれ人間であれ、許しはしないわ)
――(…………うまく口が回るようになったものだ)
――(と、言うことは……?)
――(ふん。貴様とその仲間どもだけだ。他は知らんぞ)
――(嬉しい! 心強いわ。本当に。ありがとう、エイシア)
――(これも理やもしれんからな。仕方なくだ)
――(なんでもいいの。ありがとう……)
「エラ様? エラ様」
フィナに呼ばれて、ハッとなった。アメリア達を眺めたままの状態で、エイシアとの念話に集中しきっていたから。
「あ、うん。うん、なんだっけ」
「そろそろお時間が、頃合いかと思います」
「そうだった。ごめんねフィナ。それじゃあ、皆。私も行くから、エイシアともまた今度ね」
言うや否や、エイシアはまた、おなかに乗っている三人が立ち上がってしまうように上手く動き、サッとどこかへ行ってしまった。
「わわ……」
少しよろめきつつも、三人ともコケずに、無事立たされた。
人が本気で不思議そうにしている顔は、これはこれで心がムズムズと疼く。
「フフッ」
問題の一つが落ち着いたので、心が軽い。
無風だった昼下がり。
今は、風が少し出て来たので一気に肌寒くなった。
だけどそれさえ、私には追い風のように感じて、愛おしい。
(リリアナの話は、きっとあのことよね)
風に背を押されながら戻る足取りは、思っている以上に軽かった。
お読み頂き、ありがとうございます!
読んで「面白い」と思って頂けたらば、ぜひとも他の人に紹介して頂いて、広めてくださると嬉しいです。
「つまらん!」という方も、こんなつまらん小説があると広めてもらえると幸いです。
ぜひぜひ、よろしくお願いします。
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