第五章 プロローグ
広い訓練場の片隅で、背の低い少女が転がされて、長身の男はそれを叱咤していた。
「おい! なんだその剣筋は! まるで別人じゃないか。体調が悪いなら戻って休め」
銀髪の少女に対して、容赦なく浴びせた言葉にも、彼の優しさが混じっていた。
普通は、休めなどと生ぬるい事は言わない。騎士達ならば、命を懸けて戦う時が来るかもしれないからだ。敵が迫る中で、体調が悪いも何も無い。弱った姿を見せた者から殺される。
相手はまだ小さな女の子だから、その辺りは加減をしている。
「どうした。立てない程じゃないだろう」
だが、自分で出来そうな事は自分でやらせる。そういう指導だけは、外すつもりはないようだった。
「つ……。別に、体調は……」
銀髪の少女は、言いかけた言葉を飲み込んだ。聞くものを魅了するかのような美麗な声は、そこで一旦途切れる事となった。
少女の中に居たカミサマが、表には出なくなってしまったせいだ。その隠し事を、うっかり口にする所だった。
「ううん。もう一度だけお願い。ガラディオ」
そう言って、簡単に転ばされたままの状態から、のそりと立ち上がった。
「無理はするなよ。怪我の元だからな」
ガラディオの身長は、優に二百十センチを超える。鋼のワイヤーの束を、さらに絞ったかのような筋骨隆々の体は、細身に見えるだけで人の次元を超えた膂力を持っている。
光の加減で金色に見えるその目と、金色で短めのくせっ毛が獅子のようで、威圧感を何倍にも感じさせる。そのせいで、本人は爽やかに笑ったつもりでも、相手には畏怖を覚えさせる結果になる。精悍で良い男のはずなのだが。
「そう言うなら、もっと手加減をしてほしいわね」
この銀髪の少女は、推定で十四才になったばかりだ。街道沿いで死にかけていた所を拾われて、銀髪にまつわる事がきっかけで大公爵の養女になった。
今ではガラディオという元騎士団長様に対等な口をきいて、あまつさえ反抗的な態度さえ見せる。
ただ、そこには信頼や対抗心などが入り混じった「甘え」が、そうさせているに過ぎなかった。本気で生意気な少女という訳ではない。
それが分かるからこそ、ガラディオも特に気にしていない。それよりももっと、本質的な部分を見て会話をする。そういう男だった。
「なんだ、アドレーの名を継ぐ者が、手加減をご所望か?」
意地悪な事を言う。と、少女は思った。
彼に意地悪を言われると、無性に心がざわつくらしい。意味もなく腹の立つ事が、さらに少女を苛立たせた。
「いくらアドレーが国の剣でも、こんな小娘のうちなら加減は必要じゃなくて?」
そう言って、剣術の得意だったカミサマを真似た動きで斬りかかった。
だが、それは虚しく空を斬る。
それだけではなくて、勢い余ってつんのめり、ガラディオに抱きかかえられる始末となった。
「あぅ」
素の反応は、正に可憐な少女そのもの。
誰もが目を見張る美少女の、不意に漏れた可愛らしい声に対して、ガラディオはうっかり笑ってしまった。
「ハッハハハ! 威勢は良かったんだがな!」
少女は、「くぅぅ!」と唸り、悔しさを正直に表した。
「は、はやく離しなさいよ」
頭から一回転しそうな程に体勢を崩しておきながらも、虚勢だけでも張りたいのだろう。
言葉はなるべく、偉そうなものを選んだようだった。
「まったく、じゃじゃ馬な所だけは立派だな」
少女は返す言葉もなく、ただ悔しさを紛らわすために、彼のみぞおちの辺りをポコポコと叩いた。
その本人は、かなり強く殴っているつもりらしいが所詮はか細い少女。屈強なガラディオでなくとも、可愛いものだった。
「しっかし、本当に別人になってしまったみたいだな。もっと捨て身に近い、お前の年では絶対に考えられないような鋭い斬り込みだったろう」
そう言われて、少女はギクリとした。
自分は剣術の得意なカミサマではない。けれど、それがまさか、ここまで簡単にバレてしまうとは思っていなかったのだ。
その反面、カミサマの凄さを褒められたようで、嬉しくもあった。ただ、今はそこを喜んでいる場合ではない。
「……な、なんだろう。調子が悪いのかな」
こんな言葉で切り抜けられるだろうかと、少女は目を合わせたくなくて下を向いた。
「ああ、分かったぞ。エラ……お前、さすがに何度も死にかけて、やっと怖くなったんだろう!」
「……えっ?」
「何とも言えないへっぴり腰で、お前にとっての遠間でしか剣を振るわないのはそういう事だろう。なんだ、年相応な所もあるんじゃないか。ハッハッハ」
ガラディオは得心したとばかりに、少女――エラの行動を笑い飛ばした。
「――だがな。当分はそうしていろ。お前は前に出過ぎなんだよ」
彼は急に低い声で、脅す様な物言いをした。
エラは驚いてガラディオを見上げた。そして、きゅっと肩をすくめて後退った。
「……な、何よ。怖い言い方、しなくたって……」
なんとか声を出したものの。完全に圧倒されている。
「……はあ。ま、体にしみ込んだ恐怖はなかなか消えないからな。これでしばらくは、お前を護りやすくなりそうだ」
これは、いつもの口調だった。
エラは少し安堵して、そしてさらに、小さく深呼吸をした。
「急に怖い言い方をするのはずるい。あなたがそうすると、本当に怖いのよ」
「そうは言ってもな。お前は危なっかしいんだよ。もう何度も言ってる事だけどな」
彼は、本当に心配し続けていた。若い騎士が、血気の勇で無駄に突撃して、帰らぬ人になるのを見続けて来たからだ。
エラも同じで、特別な装備を過信し過ぎて突っ込み過ぎる。単独行動をする。とにかく無謀な行動のオンパレードだった。
大公爵の娘という立場なだけに、命令違反だとは厳密には言えない。
そのエラが、少しでも自重してくれるかもしれないと、さらに釘を刺したのだった。
「……反省は、してるのよ。迷惑も、いっぱいかけたし……」
「反省しているようには見える……期待はしてないけどな」
「またいじわるを言って! ガラディオはほんとにいじわるよね」
エラは、紅い瞳でじっと彼を見上げた。もう怒ってはいないのだと、安心して悪態をつける事を確認するように。
「ハハ、現金なやつだ。まあいい。今日は戻って休んでいろ。疲れもあるんだろうしな」
古代種と呼ばれる彼女の、特徴的な深紅の瞳。それは本来、一瞥で人を魅了出来るという。
実際に、先日は敵対する三百の兵達を、見事に魅了してしまった。
その力の使い方も、エラにとっては悩みの種だった。そして引き換えのように、剣術が使えなくなった。それは今こうして、新たな問題として浮かび上がってしまった事だ。
目まぐるしく変わる自分の状況を、把握するだけで精一杯なのは間違いなかった。
「うん……そうする。訓練ありがとう」
急にしおらしくなったエラの様子は、本当にどこか、具合が悪そうに見えた。
「おい、かなり無理をしていたのか? 屋敷まで送ろう」
ガラディオは、エラを護衛対象としてだけではなく、人として護ってやりたいと思っている。だからこそ、本気の心配はいつもしている。
こんな年端のいかない少女なのに、もう何度も戦場に立っている事が、歯がゆくて仕方がないのだった。
「べーっ! 引っかかった? 体は何ともないのよ。本当。さっき私を怖がらせたから、そのお返しよ? フフフフ」
可憐な顔をいたずらな笑顔に変えて、エラはご機嫌に笑っている。
「てめぇ。誰に似たんだ! 悪いことばっかり覚えてんじゃねぇ!」
「キャハハハ。リリアナとシロエ~!」
彼は本気に見せて、そうではない怒り方で、一応は拳を上げて追う素振りを見せた。
それを見て、エラはキャッキャとはしゃいで逃げて行く。その姿こそ、年相応の少女の在り方だろうにと、ガラディオは奥歯を噛んだ。
「まったく……。そうやって無邪気なままで、いさせてやりたいのになぁ」
時折振り向いては、口元に手を当てて笑う素振りをする少女に、今は小さく手を振っている。
「コケるんじゃねぇぞ……ったく」
揺れる銀髪は、時折うっすらと、青白く光る。仄かに光を帯びる。
最初はもっと、はっきりと光っていた。そのせいで、王都から逃げるようにして、このファルミノの街へと来たのだ。
「大した玉だよ。だからこそ、だ。エラ。無茶するんじゃない。本当に」
ガラディオの言葉は、祈りに近い。
だからといって、何かに祈る習慣は彼には無かった。その責を、自戒するために口にしたのかもしれない。
何があっても、護ってやらなくてはと。
**
「エラ~? 聞こえたわよぉ?」
訓練場を出ようかという所で、先程叫んだリリアナとシロエが、迎えに来てくれていたのだった。
「り……リリアナ」
「私も聞こえちゃいましたぁ」
「シロエも……。ぐ、偶然ですね?」
エラは、いたずらを覚えた原因はこの二人のせいだと、はしゃいで大きな声で言った事を後悔した。
「偶然じゃなくて、迎えに来たのよ? そしたら何か、聞こえちゃったのよねぇ?」
「聞こえましたねぇ」
ニヤニヤと笑う二人の美女。
リリアナは、ファルミノの街を統治する領主であり、王国の第十三王位継承権を持つ王女だ。
過去に継承権を破棄すると明言していたが、エラを巡る暗殺騒動に怒り、今は王位に就くと宣言するつもりらしい。
金髪碧眼の、誰もが憧れる正真正銘の美姫。
シロエは、その王女専属の侍女だ。
栗色の髪にブラウンの瞳で、こちらもどこかの姫だと言われれば、信じそうな程の容姿をしている。
「えぇっと……あれはその、ちがくて」
エラは、もはや言い逃れなど出来ないと、頭では理解している。ただ、心はまだ、もしかしたら逃れる術はないかと、模索したがっていた。
「ちがくて?」
「違うんですか?」
諦めて素直に言った方が身のためだと、夕日に光る二人の目を見て、エラは確信した。
「その……いたずらを覚えるようになったのは、二人のせいだと言いました……ごめんなさい」
伺うような、そして潤んだ瞳で、上目遣いに言った。
それは意図したわけではなく、本能のなせる技だろうか、低身長に備わったお詫びの姿勢だろうか、自然とそのようになっていた。
「ふふ、可愛くしてもダメよ」
「これは……お仕置きですね」
リリアナとシロエは、普段はエラを取り合ってケンカもするというのに、こういう時はピッタリと息が合う。
「や……やだ」
だが、この二人に睨まれたら、エラにはどこにも逃げる場所が無いのだ。諦めるしかない。
屋敷内に自室は用意されているが、護衛の観点から寝室を共にしている。そういうわけだから、物理的に逃げようがない。
「久しぶりにお風呂。一緒に入ろうね」
「私も! 私もご一緒しますから!」
屋敷に備えられた広いお風呂で、体を洗われるというお仕置きが決まったようだった。
エラが拾われた時は、思うように動けなかったために洗ってもらっていた。それが、二人にとっては楽しかったらしく、時折何かの理由をつけては入浴を共にする。
ただ、エラにとっては恥ずかしいのとくすぐったいのとで、楽しい事とは言えなかった。
本気で嫌というわけではないけれど、年頃の感情としては、過保護にされるのが気恥ずかしいのだろう。
「うぅ……。やさしくしてくださいね……?」
「変な言い方しないでよっ」
「あらぁ? エラ様、それは酷い目に遭わされる、前フリというやつですよぉ?」
エラが媚びれば、リリアナは一歩引く。シロエはそれに飛びつく。
なんとも絶妙に息の合った三人は、出会う事が運命だったかのように、仲が良い。
まるで、昔から姉妹だったかのように。
この幸せを護るために、リリアナは動こうとしている。
それを支えるシロエと――。
エラは、この二人のために出来る事を、模索している。
再開しました。
これからもお読み頂けると嬉しいです。
ブクマ、評価、いいね。全てありがたく、感謝の気持ちでいっぱいです。
読んで「面白い」と思って頂けたらば、ぜひとも他の人に紹介して頂いて、広めてくださると嬉しいです。
「つまらん!」という方も、こんなつまらん小説があると広めてもらえると幸いです。
ぜひぜひ、よろしくお願いします。
*作品タイトル&リンク
https://ncode.syosetu.com/n5541hs/
『 オロレアの民 ~その古代種は奇跡を持つ~』




