第四章 五、人魔の幼子(二)
シロエはお茶の用意に行ったので、書斎にはリリアナと先に向かった。
「あ……ガラディオ」
通路にはガラディオが待っていた様子で、わたしの声に反応されてしまった。
「そんなに嫌がらなくてもいいじゃないか」
彼は肩をすくめて言った。後腐れのない雰囲気は助かるけれど、わたしはまだ少し怖い。
「べ、べつにイヤがってなんか……ないですけど」
「私も凹んだわよ? エラにもきつく言ったんでしょう? 怖がられて当然よ」
わたしを援護してくれたリリアナ自身は、そんなに引きずっていないようだ。
「まあいいさ。それより、エラに伝えておきたい事がある。公爵からすでに言われている事かもしれんが」
「え……おとう様から?」
特に思い当たる事がない。
「ここで話すのも何だし、書斎に入りましょ」
リリアナにそう言われて、続きが気になりながらも後数メートル先の扉に入るまで、一体どんなことを言われるのかと少し緊張した。
「適当に座って」
リリアナは所定の仕事机に向かって、わたしとガラディオは真ん中に置かれたテーブルを挟んで、向かい合った。
「ガラディオからどうぞ。私もきっと、同じことは確認しようと思ってた」
そう言われた彼は、「それじゃあ」と話し出した。
「エラ。今回は誰も殺さずに済んだが……これからはそうもいかないだろう。お前は大丈夫なのか? その……相手は獣ではなく、人間である事が増える」
かなり真剣に、そしてわたしを慮った、神妙な顔つきで問われた。
「そうね。私も……心配なの。あなたはまだ子どもだし、女の子なんだから……本当に、私の側に居て大丈夫なのかな。って」
「こども……」
成人したのに。と、少しだけ気になったけれど。
リリアナも同じことを心配してくれていたらしい。
――人を殺すことになる。
たとえ敵であったとしても、リリアナやわたしを狙ってくる相手を――人を、殺しても平気なのか。ということだろう。
でもわたしは、暗殺されかけた時に二人殺している。厳密に言うと、剣がしてくれたのだけど。それよりも、そもそも森林街道で待ち伏せされた時もかなりの数を……翼がしてくれたわけだけれど、葬っているのに。
「どうして今更、そんな事を聞くのですか? もう、結構な数を……その、アレしちゃったと思うんですけど」
言葉にするのだけは、なぜか物々しい気がして言えなかった。けれど本当に、人だけでも十数人。獣も含めれば、すでに何十というくらいは葬っている。
そんな事よりも、身内や味方が殺される方が、何百倍もつらい。
「そんなあっけらかんと言われると、まあ、そうなんだが……ただ、実際にその手で、剣で直接は無いはずだろう」
そう言われると……そうなのだけど。
「手に残る感触のことを、言ってるんですよね。きっと」
それによく考えると、どちらの時もカミサマが主軸になっていた頃だった。わたしは……どうなんだろう。全ての感覚も感性も、一緒のはずだからと気にしたことも無かった。
「平たく言えば、そういう事だ。俺達騎士団の中でもな、弓兵よりも断然、前衛は心を痛めるやつが多い。お前は光線を主軸に戦うはずだが、あんな風に前に出れば直接斬る場合も出てくるだろう」
「――あっ!」
そう言われて初めて、彼の……ガラディオの気持ちを、考えを理解した。
「うん? どうした」
「ずっと……ずっとわたしのことを、気遣って後ろに下げていてくれたんですか? わたしが傷付きにくいように……もちろん、わたしの立場と安全性を考慮してというのも、あったでしょうけど……。わたしが……心を痛めないように……」
彼は、やれやれ。という風に肩をすくめた。
「お前は子どもで、女の子だからな。そもそも戦列に加わるなんて事、するべきじゃないんだ」
「――わたしはっ!」
そう叫んで、何を言えばいいのか分からなくなった。
これまでも、これからも、リリアナを側で護りたい。それなのに、ずっと彼に、気持ちの上でも護られていたなんて。お義父様には護られているけれど、それは親子だからで、親の愛情として護ってくださっているだけで……。
気遣ってくれているのは、分かっている。
でも、やっぱり……わたしは護られる側で、わたしのせいで、迷惑が掛かっていたのだろうか。
「……遠回しに、わたしは邪魔だと言いたいのですか?」
――せっかく、魅了という力も手に入ったのに。
――これからは、もっと役に立てると思ったのに。
「そういう事を言ってるんじゃない」
空回りして、結果が良かっただけで部隊をひっかき回して怒られて。邪魔だと言われればそうだったかもしれないと、自信も持てない。
わたしは――心配されているのだと分かってはいても、それを素直に受け止められない。
(だって……役に立ちたいんだもの)
「エラ……落ち着いて聞いてくれ。お前を責めてるんじゃない。わかるだろう」
「エラ。一旦休憩にしましょう。少しだけ。ね?」
わたしが間違っているのは、理解している。きっと純粋に、心配されているだけなのに、気持ちがそうと受け入れてくれない。
「…………はい」
休憩したところで、このよく分からない感情は、素直になってくれそうにないけれど。
「シロエ、そこに居るんでしょう? 入ってお茶を淹れてちょうだい」
リリアナは少し大きな声で、扉の前に居ると踏んでシロエを呼んだ。
すると、キィ。と扉が開いて、気まずそうにシロエが、お茶のセットを持って入ってきた。
「あは……すみません。何か、入りにくそうで……」
「珍しいわね。いつもなら何食わぬ顔で入ってくるのに」
シロエの言葉をリリアナが茶化した。
「私だって、空気くらい読みますよ? 大切なエラ様がご機嫌ナナメだと、私の心も痛むのです」
そう言いいながらシロエは、お茶セットを机に置くとわたしの横に座った。そしてほんの一瞬、ブラウンの瞳でわたしを優しく見つめた後、ぎゅっと抱きしめてきた。
「な、なにを……」
(今は、シロエとじゃれる気分じゃ……)
「エラ様を無下にする人は、ここには居ませんよ? 本当に、エラ様が大切なんです。同じくらい、エラ様も私達のことを大切に想ってくださって、お役に立とうとされているのも、よぉく分かっています。でも。私達は少し年上なので、少し過保護になってしまうんです。そのくらいは、お許しくださいな」
シロエにそう言われているうちに、わたしは不覚にも涙を流してしまった。ここで泣くなんて、自分が幼い子どもなのだと、認めてしまうような気がして嫌なのに。
「そんなに、思い詰めないでくださいまし。皆も、エラ様を大切にしたいと思うあまり、過保護をやめられないのです。その辺はもう、存分に甘えてしまえば良いのですよ? その上で、しれっとお力を使えば良いのです」
「……しれっと、使っちゃうの?」
「そうですよ? エラ様の好きにしても、大公爵の嫡子であるエラ様を、誰が咎めましょうか。もっとワガママをなさっても大丈夫ですから」
「でも……ガラディオに怒られるわ」
けれど不思議と、もう怒られても、気にならないような気がした。シロエの言葉で、今まで怒られた事も、何でもない事のように思えてしまったから。
「……この人は偉そうなんです。気にしてはいけません」
「おい……こいつが滅茶苦茶するようになったらどうするつもり――」
「――それを収めるのが、ガラディオ様のお仕事なのでは?」
シロエは強気にも、ガラディオにピシャリと言い放った。
「……一番過保護なのはお前だろう」
「ええ。私はエラ様を一番! 愛していますから」
「ちょっと、シロエ!」
「はぁ……やってられん」
シロエの言葉に、リリアナは何かを言いかけて、ガラディオは呆れて口をつぐんだ。
「……じゃあ、わたし……たくさん甘えることにします」
つい、甘えた口調で言ってしまった。
気を張っていたはずなのに、ついうっかりと、甘えたい素の表情をさらけてしまったような態度で。
「はあぁぁ。エラ様はやっぱり、お可愛いが過ぎますね。私の事も、もっと大好きになってください……」
そう言いながら、シロエは頬ずりをし始めた。
今までは少し抵抗があったけれど、スリスリとすべる頬の柔らかさが心地良いと思った。
「ちょ、ちょっと! 離れなさいよ! 休憩終わり! シロエは早くお茶を淹れなさいよ!」
……今回は本当に、シロエに救われた。
意固地になって背伸びをしていた自分を、優しく窘められた。
素直になれないと思っていたのに。
(……本当に、不思議な人)
お陰で、分からないことを分からないと言えた。
人を殺めてしまった後に、自分がどうなるのかは想像できない、と。
今は、リリアナやシロエ達を護る事が出来れば、何でも良いと思っていること。
敵対するなら、命を奪うことに躊躇いは無いこと。
その後で、相手のことを考えて心が病むかどうかは、正直分からないこと。
今はまだ、これまでのことでは特に何も感じていないこと。
それを聞いて、リリアナもガラディオも、「ならばやっぱり、積極的に前には出したくない」と言った。
言われてわたしは、素直に頷いた。
大切にされていることに、引け目に感じる必要はないのだと、ようやく理解出来たから。
「ありがとうございます。なるべく、前には出ません」
ただ、そう答えた自分の心に、力を試したくて疼いているものがあると気が付いた。
そういうことだったのかと、素直になった自分が、少し嫌いになった。
護りたい気持ちのその裏に、こびりつく様に、自分の力に自信を持ちたい――酔いしれたい――と言う、濁った願望があることが嫌だった。
小さい頃から暴力を受け続けてきた腹いせに、力を振るいたいと呪っているのかもしれない。
そう思った。
(これは……根が深そうね……)
読んで「面白い」と思って頂けたらば、ぜひとも他の人に紹介して頂いて、広めてくださると嬉しいです。
「つまらん!」という方も、こんなつまらん小説があると広めてもらえると幸いです。
ぜひぜひ、よろしくお願いします。
*作品タイトル&リンク
https://ncode.syosetu.com/n5541hs/
『 オロレアの民 ~その古代種は奇跡を持つ~』




