第四章 五、人魔の幼子(一)
「やだぁ。可愛いぃ!」
「あ~っ! ほんとだ、かわ~!」
屋敷の若い侍女達だった。わたしがエイシアに包まれているのを見てはしゃいでいる。扉の近くでこんな事をしているのだから、見つかるのは時間の問題だろうと思っていた。
「あの、あの。エラ様。ご無礼を承知でお願いがあるのですが……」
一人がおずおずと、けれど、かなり熱のこもった目で懇願してきた。
「このおっきなネコちゃん……触らせて頂けないでしょうかっ!」
(ネコちゃん?)
彼女には、この凶悪な存在がちゃん付けするようなネコに見えるのか。
「いいですよ。エイシアといいます。噛まないですから、好きな所を思う存分にどうぞ」
そう答えると、侍女達はお互いに手を取り合ってきゃあきゃあと喜んだ。
「エイシアちゃん……で、では、私は背中を……」
「私は首を触りたいです!」
きちんと断りを入れるあたり、育ちが良いのだなと感じた。
「ええ、この子もきっと喜ぶわ」
――(分かってるわよね? じっと撫でられているのよ? 脅かしたりしないでね)
――(我をネコごときと一緒にするなど……!)
――(同じようなものでしょ。それに、あなたが魅了したんじゃないの?)
――(屋敷内で気を張る必要などないだろう? 何もしておらぬ)
――(なら、素直に喜んでおきなさいよ。そのままでも溶け込めるんじゃない)
――(……ふん)
「はあああ……かわいいですぅ」
「もふもふ! もっふもふです!」
「ッフフフ! アハハハ! もっと抱き付いたり、私と一緒にここに潜ってもいいのよ」
『えええ~! いいんですか? いいんですか?』
どうぞどうぞと、二人をエイシアのおなかに招き入れるために、おいでおいでの仕草をした。
――(ほら。はやく二人が入れるように、体を少し開いてあげなさいよ)
――(き……貴様……貴様……!)
「アハハハ! エイシアも嬉しいって。すごく喜んでるわよ。ほらほら、体を開いてくれたわ」
「きゃあああ! す、すごいふわふわ。すごくあったかいです」
「も、もふもふでは言い表せない……もはやこれは、もふぁもふぁです……!」
こんなに喜んでもらえるのなら、エイシアも皆の役に立つのだなと思った。それに、街のマスコットにでもなれば、魅了なんて使わなくても受け入れてもらえる。
街の守護獣として。そして、愛される大きなネコとして。
そんな事を考えていると、リリアナとシロエも屋敷から出てきた。さすがに騒がしかっただろうか。
「やだっ! 私も入りたいっ!」
リリアナは見るや否や足早に近付いてきて、割と大胆に、わたしの横に入ろうとした。
「ちょっと、お嬢様!」
意外と冷静なままだったのがシロエだった。
「ごめんね、少しそっちに避けてくれる?」
侍女の一人に避けさせて、ずいずいと入ってくるリリアナ。足に乗られてはたまらないと、エイシアはさらに1人分体を開いた。もはやもう、授乳している母ネコのような事になっている。
「アハハハ、アハハハハハ!」
わたしはもう、可笑しくて可笑しくて、口を開けて大笑いしてしまった。手は口元に当てているけれど、お作法も品格もあったものではない。
――(覚えておれ……)
「やだ、エラってばそんなにおかしい? でも、まさかここまで懐かせるなんてね。すごいわよ、エラ」
「そう言われたら、私達もぜんぜん怖くなくって、最初からただただ撫でたいと思いましたっ」
「そうね。皆のこんな姿を見たら、ここに入りたくってガマンできなくなっちゃったわね」
侍女とリリアナが、こんなにひっついて話す姿なんてほとんど見られないだろう。
「むぅ……ネコは……苦手なんです。私……」
一人だけ、シロエは遠巻きに見守っている。
「どうして? この子は大丈夫よ」
リリアナは、シロエにもおいでと手招きしている。
「わ、私は小さい頃に一度、引っかかれそうになった事がありまして……怒ったネコの顔が怖くて。近寄るのは、ちょっと……」
たしかに、本気でシャーと言うネコの顔は怖いものがある。野良にでも手を伸ばしたのだろうか。
「そうなの? すごくふわふわであったかいわよ?」
「それは……そう見えますけど……見ているだけで結構です……」
リリアナがもう一度誘っても来ないので、シロエは本当に怖い思いをしたのだろう。ただ、的を射ているとも言える。エイシアは逆らえないだけで、さっきからわたしに悪態をつきまくっているのだから。
「そうだ! いい事を思い付いたわ」
リリアナは碧い目をキラキラとさせながら、わたしに言った。
「この子、こんな風に街の皆に触らせてあげましょう! そうすれば、ただ恐ろしいだけじゃなくて、もっと愛される存在になれるはずよ!」
街に来てから、エイシアの扱い方をずっと悩んでいたのだと言う。
要は、街の守護獣として少しくらい畏れられる存在にするのか、皆に親しまれる可愛らしい動物として溶け込ませるのか。
「皆に愛されつつも、街を護る守り神。敬愛される存在に出来るはずよ!」
「リリアナ。私も同じ事を考えていました。エイシアは街のマスコットになれるんじゃないかって」
わたしの同意を得たリリアナは、意気揚々と計画を語り出した。
……それらは全て、エイシアが嫌がりそうな事ばかりだけれど、わたしの側に居させるなら必要な事だと思った。
――(エイシア。聞いての通りよ? 覚悟を決めるのね)
――(もはやどうとでもするがいい。すでに、このような屈辱を受けているのだからな)
――(あら。これが屈辱なら、私は良かったの? かなり心を許してくれてたのね)
――(……お前の力のせいだろうが)
「っふふ。フフフ」
堪えきれずに笑いがこぼれた。
「楽しそうね、エラ」
「はい、とっても。……こんな毎日が送りたいです」
それは、リリアナを責めるつもりの言葉ではなく、ただの願望だった。けれど……。
「……こんな事になって、本当にごめんなさい。兄達のやり方が、ここまで酷いものだとは……いえ、予想しておくべきだったのに。私のせいで、本当に――」
「――リリアナ! 違うんです! そういう意味で言ったわけじゃありません!」
「でも……」
「誰も……誰も悪くありません。リリアナは私を救ってくれました。こんな風に笑って過ごせるのは、リリアナのお陰なんですよ? なぜ謝るんですか! あなたの側に立ちたいと決めた時から、どんな覚悟もしていましたから。たまに贅沢を言ってしまうかもしれませんが……それは許してください。あと、それから……王子の行動も、国を想っての事なら許します。だって、きっと皆いろいろな事を考えての結果でしょうから」
ところどころ言葉に詰まりつつも、早口でまくし立ててしまった。
「エラ……あなたはもう、立派なアドレーの子なのね。そんな風に言ってくれるなんて、思ってもみなかった」
そう言うと、リリアナは目を潤ませて、わたしをじっと見つめている。
「エラ様っ! なんて立派になられたんでしょう……シロエは感動してしまいました……!」
ぽろぽろと涙をこぼして、シロエは近寄りたそうにしながらもその場でたじろいでいた。
「な、なんですか二人とも……って、あなた達もこっそり泣くのやめてください……」
よく見ると、両脇にいた侍女達も涙を流していて、ハンカチで拭っている。
わたしは今まで、やっぱり庇われるだけの頼りない子だったのだろう。この侍女二人も、わたしが拾われた時からお世話をしてくれている子達だ。シロエを中心に、何人もの侍女がわたしの看病をして、そして見守ってくれていた。
侍女達からすれば、病弱だったのによくぞここまで元気に……という心境なのかもしれない。だとすると、リリアナもシロエも、もっと強くそう思っているのだろう。
「……もう。調子狂うなぁ……」
泣いている四人は、涙を流しながら笑っている。
本当に、こんな時間が……幸せを感じるこの日々が、続いて欲しいと思う。
――(もう行って良いか。この空気……耐えられん)
――(あなたは……! 空気読んでよっ)
――(慰め合いなど何になる)
――(それはあなたに、大切な人が居ないからでしょう? ここに居れば、そのうち分かるようになるかもね)
そう言ったら、エイシアは黙り込んでしまった。話したところで分からない、とでも思ったのだろう。
かといってこの場を乱すこともなく、大人しく包んでくれている。
力のせいだの何だのと言っても、エイシアの、割と折れてくれるところは気に入っている。
――(私は、あなたのことキライじゃないわよ)
――(ご機嫌取りなど気持ちの悪い事をするな)
一瞬、エイシアの毛が総毛立った。
――(ほれみよ。ぞわりとしたわ)
――(フフ。あなたにご機嫌取りなんてしないわ。本心よ?)
再び、エイシアの毛がぶわっと膨らんだ。
「アハハッ、なにこれぇ」
侍女が面白がりつつも、エイシアのおなかをさすりだした。
「フフフ。撫でてあげたらなおるかな?」
二人は普段から気が合うのだろう。同じように、左右それぞれでエイシアを撫でている。
――(ええい、もうよかろう!)
たまりかねたのか、エイシアはふわりと身を翻すと、壁を駆けて屋根の上まで逃げてしまった。わたし達は、その拍子に軽く弾かれるように、意図せず立ち上がって数歩だけよろめいた。
「わわっ。って、あれれ? ……立っちゃった」
「きゃー、すごい。エイシアはやさしく立たせることが出来るのねぇ」
侍女達は……けっこう呑気な子達のようだ。けれど、何事も好意的に捉えられるのは見習いたい。
「リリアナ、大丈夫でしたか?」
「ええ。驚いたけど……何ともないわ。さすがにネコは気まぐれなのね」
あの子の声が、皆にも聞こえればもっと楽しいのに。
「照れたみたいですよ」
「そうなんだ……?」
シロエはリリアナとわたしを心配しかけたけれど、エイシアが去ったことで、ほっとしている部分が大きい様子だ。そして、また降りてこないかと、不安そうに見上げている。
侍女達は、『幸せなひとときをありがとうございました。それでは、失礼いたします』と、うやうやしく礼をして去って行った。歩きながら屋根を見上げて、エイシアを目で追っている。
「エラ……そういえば、あなたに話があったの」
リリアナは、少しの間はエイシアをただ見上げていたけれど、ふと思い立ったようにわたしに振り返って、そう言った。
「書斎に行きましょう」
きっと、これからのことを話し合うのだと直感的に思った。
「――はい」
そういえばいつの間にか、眩暈が治まっている。
(これを待ってくれていたのかしら)
――まさか?
あの子にも思い遣りが生まれたのかと、淡い期待をしてしまった。
(期待をし過ぎると、思わないところで痛手になる……あの子とは、まだまだ化かし合いの段階よ)
お読みいただき、ありがとうございます。
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『 オロレアの民 ~その古代種は奇跡を持つ~』




