第四章 三、覚醒(五)
覚醒(五)
二人の話は、こうだった。
黒いトラの被害で市民感情が許さないから、獣を城壁内に入れる事は難しい。だが、懐くようであれば貴重である事に変わりはないので、ファルミノで受け入れられないかという事。
魅了の力については、特に問題視していない。というのも、わたしという人物像を見るに、王国の脅威になる可能性は限りなく低いと判断されたからだった。
それは国王も王妃も、同じ意見だったという。心配していたリリアナは胸をなで下ろし、お義父様も国王を説得せんと意気込んでいたのが馬鹿らしくなるほどの受け入れ状態だったらしい。
「それでね。エラは当然、あの子と一緒にファルミノに戻るわよね。という話なのよ。だって、懐いているのはまだ、あなただけなんでしょ?」
そう思う。騎士達に対して、蹴りを入れても何とも思わない程度には軽視している。エイシアに、手出しをしてはダメだと言ったけれど、どこまで意を汲んでいるかは確信が持てない。
「やっと戻ってきたというのに、ゆっくり過ごす間も無いまま、行ってしまうのか」
お義父様は珍しく、泣き落としの態勢だ。
「おとう様……私も寂しいです」
数か月もべったりと過ごして、肌で感じた事がある。
リリアナと居る事も安心だし嬉しいのだけど、お義父様と居る時はもっと安らぐのだ。
それはきっと、甘えても許される関係になって、その甘えを、男性ならではの包容力で受け止めてくれるからだろうと思う。
リリアナに対しては、甘えたりもするけれど、基本的にわたしが護らなければという固定観念が染みついてしまっているからだろう。お義父様に対するように、全力で甘えてしまおうか、という心の緩みが持てないのだ。
「おお、エラ。そう言ってくれるだけでも嬉しいが、何なら本当にこの家でずっと居ても良いのだぞ? 獣は外で飼うか、逃げたと言って森に返してしまってもよかろう」
「お、おじい様? 何という事を……。パパが聞いたら呆れますよっ」
あまりに素になったのか、リリアナは国王の事を父と言わずにパパと呼んだ。
「あっ。ち、父上が呆れますし、一応皆で決めた事じゃないですか」
「ええい、知らん知らん。それに、エラの意見も聞いてやろうとも言っておっただろう」
お義父様はもう一度屈むと、わたしをひょいと抱き上げた。
「ああっ! ずるいですよ! 私だって力があれば、エラを抱えて今すぐ連れ去ってやりたいんですからね!」
リリアナは負けじと、わたしのスカートの裾をしっかりと掴んだ。
「ふ。勝負あったな。エラはワシの娘だ。手出し無用だ」
何の悩みもなければ、こうして二人に取り合われる事に、心がゾクゾクとする愉悦の快感に浸っていたいところではあるけれど。
これもまた、魅了のせいでこうなってしまったのではと思うと、やるせない気持ちになってしまう。
「おとう様……降ろして下さい」
「な、なんだと?」
あまりに愕然とした表情をするので、少し胸が痛んだ。
「ち、違うんです。違うと言うか、お二人に聞いて欲しい事があるんです」
しぶしぶと、本当に渋々といった感じで、お義父様はゆっくりとわたしを降ろしてくれた。
「あの……魅了の力について、私の思う所を聞いてください」
そうして、わたしは心にずっと引っかかっていた事、どうしても受け入れがたい悲しい気持ちになる事などを、少しずつ話し出した。長くなると思ったので、二人にはソファに座ってもらった。
力を制御できずに、騎士達まで跪いてしまった事。
思い返せば、成人の儀で会場中の皆が急にわたしを受け入れ、拍手喝采が起きた事。
暗殺者がわたしをすぐに殺さずに、連れ帰ろうとして時間が得られた事。
さらには、お義父様が一目でわたしを気に入ってくれた事や、すぐに受け入れてくれた事。
リリアナがわたしを拾い上げて、ずっと看病をしてくれた上に側使いにしようと苦労してくれた事。
これまでの全て。何もかも全部がこの力のせいだったのではないかと、自分を責める気持ちが消えない事。
――そして。
本当は、誰からも愛されてなどいないのではないかという不安。
全て、魅了のせいで生まれたまやかしの感情で、何かの拍子で力が消えた時に、わたしなど捨てられてしまうのではという恐怖。
その全部が痛い。心を抉られるようで、痛くて痛くて、しょうがないのだという事を、延々と語った。
「……魅了から目が覚めても、私を愛してくれますか」
ひとときの、でもわたしにとっては、長い長い沈黙が場を包んだ。
「エラよ」
ひときわ低い声で、お義父様が口火を切った。
出来るなら、何も言わないで欲しい。どうせ魅了のせいで、甘くささやくのだろうから。そう思って、もうこの場から逃げ出したかった。
――すぅ。と、お義父様は大きく息を吸った。
「この……」
「大おおおおおお馬鹿者があああああああああああああああ!」
部屋が、震えた。ガラスが割れ、書斎の本や資料の全てが振動で落ちて来た。のではないかと思った。耳も頭も貫き、体全体、おなかの底まで響く凄まじい怒号に、心臓が一瞬はじけたのかというくらい飛び上がった。
悲鳴など上げる余裕は一切なく、わたしだけでなくリリアナまでもが、目を見開いて息を止めてしまっていた。そのしばらく後に、突き抜けきった恐怖がやっと追い付いてきて、心臓を激しく打ち鳴らしている。
今ようやく、胸がバクバクと脈を打ち、恐ろしいというただ一点の感情に支配されている。
「ハッ……ハッ……ハァッ……ハァッ……!」
なんとか息をして、命を繋ぐ。
リリアナはもう少しは余裕が出ているようで、胸に手を当てて深呼吸をしている。この怒号は、わたしに向けられたものだからだろう。
わたしは未だに、息ひとつまともに出来ず、苦しいまま何も出来ない。
「他の有象無象は知らん。お前の魅了とやらが効いていようがいまいがどうでもいい。だがな」
お義父様の顔を、ようやくまともに見る事が出来た。
でも、見るのではなかったとすぐに後悔した。
――鬼か、悪魔か。
凄まじい怒りの形相は、殺気など生ぬるいと断言できるほどの、激憤。憤怒の暴風を放っているようだった。
「このワシを、一緒にするでない。お前への愛情を、この気持ちを、まやかしと申すか」
わたしはガクガクと全身が震えていて、言葉を発することなど出来なかった。体だけではない。心が震え上がってしまって、怒られているただその事が、怖くて怖くて仕方がなかった。
「その力、もしもワシに効くというなら、今すぐ使ってみるがいい。それでこの怒り、収まるようであればお前の言う通り、まやかしであろう」
幾分かは、その怒りを抑えてくれているのだろう。怒号ではないところが、逆に空恐ろしくもあるけれど。
「どうした。使っておるのか! おらんのか!」
「ひっ!」
わたしはもう、わけがわからなくなって、涙をこぼしていた。
いや、いつから流していたのかは分からない。顔はすでに涙でぐしょぐしょで、伝った首も襟元もびっしょりと濡れている。
「使っておるのかと聞いておるのだ」
ふるふると、なんとか首を横に振った。
使っているのかどうか、分からないけれど。とにかく何か応えなければと、反射的に振ったのだった。
「早く使えと言っておるのだ!」
「やっ……や……」
言葉など話せない。言葉が何なのかも、分からないほど混乱している事だけが分かる。
「……おじい様。もう少し抑えてあげてくださいな。気持ちは、同じですけれど」
リリアナがここで、お義父様を窘めてくれた。でも、リリアナも怒っているのが分かった。わたしを見る顔が、悲しみと怒りで歪んでいる。
「ごめ……ごめんなさい。ごめんなさい」
ようやく出た言葉は、何の意味も無いごめんなさいだった。
「詫びろなどと言っておらん。はやくその力を使え」
逃げ場など無かった。
低く唸るような声は、常にわたしを捉えて離さない。
いっそ殺してくれた方が、どれだけ楽だろうと思う。苦しくて、怖くて、常に追い詰められた状態が続いている。心臓がもう、持ちそうにないくらいに。
「どうした。魅了の力を使えば許してやろう。早く使え」
許される。
使ったら、許される?
魅了の力さえ使えば、この恐ろしい時間が終わるなら。
――使ったあとの、悲しい結果も嫌だけど。
それよりもはやくこの場から逃げ出したい。
もはや頭の中はグチャグチャで、何も考えられなかった。
言われたままに、目に、瞳に魔力を集中した。
震え続けている体に、熱を帯びた感覚が広がっていく。
(使ってしまった……おとう様に。直接目を見て、一番強い力を、使っちゃった……)
――もう、偽りの愛情しかもらえなくなるんだ。
恐怖よりも……悲しみが勝った瞬間に、体の震えは止まった。
こんな力……。
せっかく、愛されているんだと、嬉しかったのに。
愛を知らないわたしに、この人達は、皆で愛してくれるのだと。
……幸せだったのに。
涙は、ぴたりと止まった。
「……早く使ってみろ。お前を睨みつけるのも、ワシは飽きてきたわ」
まだ、怒っている?
「ワシの気持ちをまやかしと言うた事、それなりの理由があるのも分かるがな。許さんぞ」
憤怒の嵐は、まったく収まっていない。
その言葉のひとつひとつに、怒りが込められていて体がまた、震え出した。
「つ……つか、つかいま、した。つか……ま、した」
ろれつが回らない。やっぱり怖くて。こんなに怒られた事なんて、一度も無かったのに。
「嘘で逃れるつもりか。微塵たりとも! 何ともないぞ」
そう言われたとて、証明できるものが無い。
本当に効かないのだとしたら、それはそれで、何も示しようがない事に気が付いた。
ふるふると首を横に振るしか出来ず。お義父様の怒りは収まるどころか、どんどん膨れ上がっているように感じる。
「ほ、ほんとう……です。使いました! 本当です!」
叫ぶほかなかった。恐ろしくて、逃げ出したいのに出来なくて、使ったと言っても信じてもらえず、効かず。なす術無く叫んだ。
そこに――。
がちゃっ。という音と共に、十人以上の侍女達と執事までもが雪崩れ込んできた。
「公爵様! それまでになさいませ! エラ様をそれ以上お叱りになるというなら、我々が代わりに罰を受けますから!」
全員がわたしを囲むようにして、お義父様の目に触れないように隠してくれた。侍女達は賢明に、わたしを抱きかかえるようにして庇ってくれている。
「なんだ! お前たちは!」
従者がノックも無しに、勝手に入ってくるなど言語道断であるし、主に逆らうような真似をすれば即刻解雇、最悪の場合は首を刎ねられてもおかしくないような状況だ。
「事情は分かりかねます。ですが! エラ様のためにと集まった次第です。公爵様の怒声を浴びるのは、我々が引き受けますので、何卒! 何卒エラ様をお許しください!」
何の事かさえ分からないにも関わらず、従者達が雪崩れ込んでまでわたしを庇う姿勢に、お義父様は呆気に取られていた。
「……何だお前達は。状況を理解さえしておらんだろうが。何をしに来たのだ」
そう告げる姿は、とても冷静だった。
言われた従者達も、とにかくエラ様のためにとしか言い返せないでいる。
「……ふん。分かった。お前達もエラも不問にする。下がれ」
それで引くつもりがないようで、従者達は首を横に振るばかりだった。
「ええい! 分かったと言うのに! もう怒らん! これで良いだろう!」
それが真実かどうかを確かめる術はないけれど、「また怒鳴り声が聞こえたら、覚悟して参ります」と告げて皆は出ていった。
「……たぶん、今のが魅了の力。その効果が出てたって事かしら。ね?」
半信半疑のリリアナだったけれど、今起きた事は、これまで貴族として、王族として、一度も経験のない事だと言った。
それにはお義父様も同意で、だから彼らを叱責せずに追い返したのだと言う。
「……ワシには結局、効かなんだな」
「私にもね」
「どうだ。ワシもリリアナも、お前を愛する気持ちに微塵の偽りもない事が分かったか」
幾分穏やかになったその声に、ようやくほっとする事が出来た。
「……はい。疑ってしまって、本当にすみませんでした」
わたしは、申し訳ないという気持ちもさることながら……。
「嬉しいです。私…………愛されて、いいんでしょうか」
お義父様は呆れ切った顔をして、ぼーっとわたしを眺めている。
「何を当たり前の事を聞いているのよ。おじい様が思考停止しちゃったじゃない」
リリアナの言葉に反応したようなタイミングで、お義父様が続けた。
「……あまりに久々に怒ったせいで疲れたわ。罰として、何をしてもらおうか」
本当に疲れた様子で、半ばどうでもいいような感じで言われてしまった。お義父様の重みで深く深く沈んでシワを作ったソファさえも、疲れたと言っているように見えた。
「私はエラと一緒にお風呂に入って、一緒に寝ま~す」
リリアナは、先程の険しい表情は消えて、ニコニコとしてくれている。
「久しぶりね。シロエの邪魔が入らないから、存分に一緒に居るんだから」
と、腕を組んできた。
「……はぁ。では、ワシとも一緒に寝る事とするか」
お義父様のベッドならば、三人でも眠れるだろうとの事だった。
「じゃ、お風呂いきましょうか。泣き腫らしちゃって……服までビショビショじゃないのよ」
そう言うや否や、満足にお義父様に謝る事も出来ないままに、リリアナに連れられてお風呂へと向かった。
「ワシはもう少し、話したかったんだがな。まあ、呆けとらん時にするか」
その声が少し聞こえていたので、今夜か、明日にもう一度、お義父様にきちんとお詫びしようと思った。
お読み頂き、ありがとうございます。
ブックマークもありがとうございます。
いつも大体、3000字を超えるくらいから6000字ほどなのですが、物足りないでしょうか。
短く感じてくださるなら嬉しいですし、冗長だと感じられるならばもっと磨かねばと思います。
感想やコメントなどもお待ちしております。
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読んで「面白い」と思って頂けたらば、ぜひとも他の人に紹介して頂いて、広めてくださると嬉しいです。
「つまらん!」という方も、こんなつまらん小説があると広めてもらえると幸いです。
ぜひぜひ、よろしくお願いします。
*作品タイトル&リンク
https://ncode.syosetu.com/n5541hs/
『 オロレアの民 ~その古代種は奇跡を持つ~』




