第四章 二、お世話係(三)
二、お世話係(三)
「エラ様アァッ!」
ようやく檻の中に入ったのだろう騎士の、尋常ではない叫び声が聞こえた。同時に剣を抜いて、エイシアに斬りかかっているのが目の端に映った。
でも、わたしは目の前にある大口の中をまざまざと眺めていた。まるで時間がゆっくりに感じるのは、死の縁に居るからだろう。
(縦に幅のあるおっきな牙が二本……下にも二本。太いナイフみたい。根元まで刺さったら、わたしの細い首なんてほとんど千切れちゃうわね……)
上顎の、奥歯までの全てが、鋭利にうねった刃のよう。それでいてその根元は太くて、危峰を逆さにした山脈の峰のような臼歯。下顎も同じように恐ろしい形状をしている。
(体のどこを噛まれても、かすっただけで致命傷だろうな……)
波うった形の裏あごと、獲物を待ちわびているかのような広い舌。
(ここだけ見れば、これを攻撃してやれば牙を引っ込めそうなのに)
そんな猶予もないくらい、上下四本の牙が差し迫っている。
(この角度だと、肩と首の辺りを噛まれるのかな)
即死なら、痛い時間が短くていいのに。
だけど――。
「この賭けはわたしの勝ちね」
――後でガラディオや騎士達に、討伐されなさい。
(ああ、でも、リリアナにお別れ言えないんだ。ついこの間も、そう思ったんだった)
遺書を書いておけばよかったのに。わたしは馬鹿だ。
「させないぃ!」
(ああ、騎士の方を護らないと。この人まで巻き添えになってしまう)
わたしのために、身を挺するような姿勢で飛び掛かってくれている。
――剣よ。
念じれば動く、優れモノ。
(抜いておけばよかった)
鞘ごとこちらに飛ぶ剣を目にして、少しだけ後悔した。
(頭を貫いてやれたかもしれないのに)
「クアァァ……」
間の抜けた音? が聞こえたと同時くらいに、ギキ。という金属の当たる鈍い音。
「ぐあっ」
白い獣は丸くなったままの姿勢で、事も無げに、後ろ足を器用に使って騎士を押していた。
押された騎士が振りかざしていた剣に、わたしの呼んだ剣が見事に当たって弾かれていた。
騎士は、思いがけず右後ろから白桜色の肉球で押されて、かなりの勢いでつんのめって転がった。わたしの剣を絡めるような感じで、檻の鉄柱まで。
「……ァフゥ」
少し甘いような、だけど、どちらかというと不快なニオイが顔にかかった。
「……え?」
それは、おそらくは大きな欠伸だったのだろう。
と、少ししてから理解した。
涙目になったその獣の、何とも言えないムカつく表情。
してやったり。
まさしくその言葉を吐いたかのような、愉悦を浮かべている。
(あくびかよ!)
そのようだけど、違う。
こいつはわたしを、からかったのだ。
その目じりと口の端が、どう見ても笑んでいる。
「お、おまえ……!」
いつの間にか、わたしはコイツの毛をぎゅっと、強く掴んでいた。
少しの恐怖も無いかと言われれば、痛いのは嫌だとか、そういう感情で体は強張ったのだろう。
「いい度胸、してるじゃない」
エイシアは、ひとしきりわたしの顔を眺めた後、わたしの体に頬を寄せて目を閉じた。そして、長い尻尾をふわりと乗せてきた。
毛布代わりだろうか。
「……エラ様。ご、ご無事で……」
何とか起き上がってきた騎士が、震えた声を出した。
「あ……ごめんなさい。この通り……大丈夫ですから」
そう告げると、彼は「報告と……リリアナ様をお呼びします」と、去って行った。出遅れた周囲の騎士達も固唾を呑んで見守っていたようで、皆、緊張状態のままだ。
「お前のいたずらで、この場にいる全員の寿命が縮まったことでしょうね」
そんな言葉など意に介しないエイシアは、紅い目を少しだけ開くと辺りを一瞥して、また閉じた。
正直なところ……わたしは何をしているのだろうと思った。
感情的になっていたかもしれない。
早くなってしまった鼓動が、コイツに伝わっていないだろうかとヤキモキしながら、わたしは固く目を閉じた。
(覚悟と感情は、うらはらね……)
今のようなやり方では、他の誰かも犠牲にしかねない。
それでは、ダメなのだ。
犠牲はわたし一人。そうでなくては、申し訳が立たない。
(黒いトラの言う事なんて、報告しなければよかった?)
でも、そうしたらいつか、コイツが成長しきった状態で、人類の脅威になったかもしれない。
(ガラディオにだけでも、コイツを見かけたら即座に倒してくれと、相談しておくんだった)
それなら確実だったかもしれない。
……懸念としては、コイツを見た瞬間に魅了されて、わたしだけが斬りかかっていたかもしれない事。
(ううん。たぶん、そうなってた)
先程の事でも、騎士の動きは鈍かった。
仮にも精鋭部隊の騎士だ。身を挺する前に牙に一撃を入れていたはずだ。そもそも、檻に当たって出遅れるなど在り得ない。どんなに焦っていても、そんな素人のようなベタな動きはしない。
「やっぱり、お前は……エイシアは、人では斬れないのかもね」
その気になれば、この王都をコイツだけで滅ぼせるかもしれない。
この檻も……コイツに対して機能しているのかは疑問だ。コイツが無理に出ようとしていないだけで、いつでも出られるのかもしれない。
「お前みたいなのを、チートって言うんだろうね」
少し、羨ましかった。
だけど、コイツと入れ替わりたいとは思わない。リリアナ達と過ごせる毎日は何よりも大切で、今の環境は、わたしが一番欲しかったものだと思うから。
「お前も仲良くできれば、きっと幸せが何かって分かると思うんだけど。どう思う? エイシア」
これからも、敵対せずにずっと仲良くする気は無いか。
そう聞いても良かったけれど、こちらに分かる言葉を話すわけでもないし、言葉だけでお互いに納得できるとも思えない。
――でも、この温もりは……こうして抱き付いても、文句を言わない器のままならば。
「わたしは暖かいけど、エイシアは寒くないの? かけるものを持って来てもらおうか?」
雨は天井が受けてくれても、風はそのまますり抜けていく。冬の冷たい風は、日が暮れると一段と気温を下げる。
もっと、分かり合う努力をしなくては。
(いきなり斬りかかったわたしが言うのも何だけど)
……いつかコイツの気まぐれひとつで、人間は滅ぶだろう。
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『 オロレアの民 ~その古代種は奇跡を持つ~』




