第四章 二、お世話係(二)
二、お世話係(二)
今日も、わたしは檻の前に居る。コイツの名前を決めるために。
昨日は散々だったけれど、今回は特別な作戦がある。
(その名も、泣き落とし……!)
わたしのお願いを聞いてくれない人は、ほとんど居ない。だから……コイツは獣だけど、言葉は分かっているはずだから何とかなるだろう。
作戦をリリアナに言ったら、笑われたけど。
ちなみに、わたしの服装はほとんど同じでドレスの色が赤から焦げ茶になったくらい。これなら汚れも目立たない。
「さて、白いの。今日こそは名前、言ってもらうから」
ソレは眠そうな顔をしながら、重たげに頭を少し上げると、わたしを一瞥してすぐに体ごと丸くなった。まだ真冬ほどではないけれど、日中でも防寒マントを羽織るくらいには寒いから、長毛のあの毛皮は気持ち良さそうだ。
こうしていると小さく見えても、わたしが一抱えしても手が回わらないくらいの頭の大きさをしている。あくびをした時の口と牙は、檻を隔てているというのに、その大きさに騎士達も一歩引いていた。
それを思い出しても、あの毛皮の中には、埋まってみたいと思わせる魅力がある。
「ちょっと、寝ないでよ。聞きなさいってば。寝たフリなんでしょ? いいわ。今日は昨日みたいに、おめおめと帰ったりしないからね」
初手を間違えた気がするけれど、コイツを見るとイライラしてしまう。そのせいでケンカ腰のようになってしまった。
「コホン。その……あれよ。名前を教えてくれないなら、勝手に変な名前を付けちゃうわよ?」
と言って脅してみたが、ピクリとも反応しない。
「……どんな名前になっても、知らないから」
とはいえ、名前なんて考えて来ていない。
檻の周りを歩きながら、コイツがどんなつもりで一緒に来たのか、それを考えていた。
知能が高いのは間違いない。オオカミに襲われた時も流れ者達に襲われた時も、わたしの言った事を理解して返事をした。いや、理解していたかは断言出来ないけれど、相応の動きをしていた。
森の中を一緒に歩く時も、勝手に居なくなったり止まってしまったりも無かった。こちらの速度に合わせて、まるで部隊の一員のようだったのだ。
「お前……と言うのも、失礼かもね。気を許してはいけないと思ってるから、どうしても偉そうにしちゃうのよ」
わたしや皆を護るために来たなどと、都合の良い解釈はしない。
取り入るための、作戦かもしれないのだから。
(わたしが来るのは、分かってたのかしら)
黒いトラから、念話で聞いていたかもしれない。どこまで離れていても通じるのかは、知らないけれど。
(そう言えば、最初は戦ったんだった)
「おまえ……オホン。あなた、最初は襲ってきたわよね。…………違った。私だっけ」
そうだ。
(リリアナのコイツに対する警戒の無さに、逆にダメだと直感的に思ったのよ)
まるで、わたしにするみたいに、無条件に優しくしようとしていた。どんな獣が居るのか、最大限に警戒していたというのに、瞬時に受け入れようとしたのだからおかしいに決まっている。
「やっぱり、あなたは古代種なのよね? だから……リリアナや皆も……」
わたしから斬りかかって、負けたのに殺されなかった。無傷だった。それは確かに獣たりえない事だけど。その強さよりも、その高過ぎる知能が恐ろしかった。
(だからこそ、倒しておきたかったんだけどね)
姿も、霊獣か神獣か。コイツはじっとしているだけでも、品格や威圧を感じる。
それらを含めて、どんな言葉が良いだろうかと、コイツを見ながら檻の周りをゆっくりと歩く。
「そうね、魅了してる……のかな。自分の事も含める感じだから、おもはゆいけど」
コイツを見ていると、なんとなく正しい答えが見えて来るような気がする。
「ね。当たりでしょ。あなたは獣の古代種で、見る者を魅了する」
きっと、おそらく間違いない。
それを確信して言葉にするのが、嫌だっただけなのだと思った。
「そっか、私も、皆を何かのチカラで魅了してるんだ?」
(本当に……言葉にすると、自分が嫌になる)
答えてよ。と、思った。
自分の置かれた環境、状況。全てが上手く行き過ぎているのは、理解しているつもりだ。
それに甘えていて、良いのかどうか。
ダメな事だと言われても、今さら一人になど……なりたくないけれど。
「あなたは、ひとりでも堂々としているのね。どうしてかしら。強いから?」
兵器を手にしたわたしも、堂々と出来そうではある。でも、とてもそんな気にはならない。
コイツの持つ品格も威圧感も、自分で手にしたものだ。わたしは……貴族教育で品を学んだけれど、威圧感など無い。ただ可愛らしいだけ。古代種という分類は同じだとしても、差は歴然としている。
「何か、言いなさいよ……」
どうせ、何も言わないのは分かっているけれど。
「……にゃぁお」
「えっ?」
(答えた? それとも、単に鳴いただけ?)
「答えてくれたの?」
そう聞いてしばらく待ったけれど、顔を自分の体に半分埋めたまま、もう鳴いてはくれなかった。
「いじわるねぇ……」
ただ、こうして何も答えてくれなくても、コイツを見ていると自分の事が見えてくるような気がした。
コイツは古代種として完成しているのなら、わたしはなぜ、こんな風ではないのだろう。
(チキュウとオロレアの混ざりものだから? それとも、虐げられて育ったから?)
人見知りで、人の顔色をうかがって、なんとか皆の中でやっていけている程度では、古代種たりえないのだろうか。
いつか期待外れだったと、仲間の外側にされてしまわないかという不安はずっと、ほんの少し残っている。甘えたりワガママを言ってみたりして、それでも大丈夫だよねと、確認している最中なのだ。わたしは。
――まだ、その程度の尊厳しかない。
そんな事をリリアナに打ち明けたら、「私達はもう家族でしょ!」と、怒られるだろうけど。そうだろうと思っても、怖いものは怖いのだ。
コイツを見ていると、そんな自分の弱さを、コイツとの差を、まざまざと突き付けられてしまった。同じ銀髪と赤目なのに、こうも違うのだと。
「……そういえば、名前をつけるんだったわね」
勝手に落ち込んで、勝手に凹んで帰るところだった。
とは言っても……白いから「シロ」などという、安直な名前しか浮かばない。
ただ、それだとシロエと音が被るなぁ、などと思った。
「青銀の虎柄、かっこいいわね」
ネコのように丸くなって、顔を自身の体に半分埋めた可愛い姿でも……その柄は時折、淡く光って「特別な存在」である事を主張しているかのようだ。
ブルー。シルバー……。銀の元素記号は、エージー……。シルバーのあーる……。
(えいじーあー……)
「――エイシア」
(これ、いいかも!)
結局ブルーは入らなかったし、導き出した手順は、思い返すと意味が分からないけれど。
「音の響きが綺麗? よね? どうかしら。あなたの名前、エイシアにしましょうか」
檻を何周かして、ちょうど頭の先に来た時だった。
どうなのよ。と聞き直した時に、一度だけ白と青銀の三角耳がピクッと動いた。
「ッフフ。耳が反応してるわよ? 気に入ってくれた……って、思っておくわね」
気に入ってくれたなら、もう少しくらい喜びを表してよ。とも思ったけれど。
コイツが自分のモフモフで気持ちよさそうにしているのが、無性に腹立たしく感じた。こんなに色々と考えて、名前も付けてあげたのに、お前はのうのうと、もっふりしているのかと。
そして、わたしも全身で埋まってみたら、温かくて良さそうだなと。
ただの獣なら、そんな事は微塵も思わなかっただろう。でも、コイツは最初に斬りかかった時でさえ、わたしを殺さなかった。
(……まあ、仮に殺されても、コイツが処分されるならそれでもいい)
その考えを何度か反芻したところで、わたしは帯剣ベルトを外した。それを見ていた護衛騎士が、その行動に違和感を覚えたのだろう。こちらに近付こうとしている。
「……エラ様?」
「大丈夫よ。きっと」
騎士の心配を尻目に、わたしは檻の中に入った。そして、白い獣――エイシアのおなかの辺りに分け入った。
「エラ様!」
我を忘れて助けようとしてくれたのか、男の人の体で鎧まで着けているのに、正面を向いて檻の鉄柱を抜けようとした。
ガシャン! という金属同士のぶつかる音に、エイシアは一瞬そちらを見た。
「エラ様! いけません!」
「大丈夫。この子を信じなさい」
――わたしが一番、信用していないのに。
それでも、こうでもしなければ、わたしの葛藤が晴れることはない。
襲ってみろ。それとも、本当に味方を気取るつもりか。それを問うための行動だった。
「お前のもふもふは、わたしのものでもあると言ったら、お前はどうするの?」
そう言って、白い毛皮の中に潜っていく。
もっと長いのだと思っていたその毛は、しっかりと抱き付いても体の半分くらいしか埋まらなかった。防寒マントが無ければ、背中が寒いままだ。
それでも、その体温はまるでホットカーペットのようにホカホカとしている。
「あったかいのね、お前。夏は暑いでしょう」
食われるなら、頭からがいいな。とは、思っていた。でも、声は震えていないし、手も震えていない。
本気の覚悟を決めたら、恐怖はない。
リリアナを護るため。コイツの動向を探るため。
「さあ。どうするの? エイシア」
するとエイシアは、こちらを向いてその大きな口を開けた。
(――あれ。案外、素直に食べちゃうんだ……)




