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第六話

 雨ばかりのじめじめした季節が終わって、どんどんと外は暑くなっていく。クーラーの効いた部屋に引きこもっていた頃の猫の僕は知らなかった。


 夏って、溶けそう。


「ねえ、ユキ。来週の花火大会、いっしょに行ける?」


 クーラーの効いたピザ屋でピザを食べながら、窓の外をぼんやり眺めていた僕はミキに顔を向けた。


「それとも、まだ花火の音が怖い?」


 ミキはそう言って意地悪な笑みを浮かべた。僕はムッとして首を横に振った。

 それじゃあ、駅の改札で待ち合わせね――と、言ったあと。


「もうすぐ……一年だね」


 ミキがはにかんで呟いた言葉に、僕はハッとした。


 そうだ、一年くらいだ。


 猫の悪魔は太っ腹だけどテキトーだ。

 一年くらいは一年くらい。365日とは限らない。


 もしかしたら今すぐ猫の姿に戻って、それきり二度とヒトの姿に変身できないかもしれない。

 もしかしたら猫の僕の寿命が終わるまで、ずーっとヒトの姿に変身できるかもしれない。


 もしかしたら猫の僕の寿命が終わっても、ヒトの僕の寿命が終わるまで、ずーっとヒトの姿に変身できるかもしれない。

 で、ヒトから猫に戻ったとたんに骨になっちゃうの。ちょっとしたホラー。

 猫の悪魔がすることはテキトーすぎて想像もつかない。


 でも、そろそろヒトの僕はミキとバイバイした方がいい。

 猫の僕が見つからないと今にも泣き出しそうになっていたミキを思い出して、そう思った。


 そう、思ったのに――。


「じゃあ、ミキ。また来週、花火大会で」


 最後にもう一度、ミキといっしょに花火大会に行きたい。

 僕はそう思っちゃったんだ。


 これが僕の、一番の大失敗。


 一年くらい、がやってきたのは花火大会の前日だった。

 スマホを確認しようとヒトの姿になろうとして……なれなかった。


 どうしよう。花火大会に行けない。行けないって君に伝えられない。

 どうしよう。ミキを待ちぼうけさせちゃう。ミキが……泣いちゃう。


 空を見あげてみた。

 一年前、ヒトの姿になった僕が猫の姿に戻りたいって思ったときみたいに猫の悪魔がやってくるんじゃないかって思ったんだ。

 でも、どれだけ待っても猫の悪魔はやってこない。


 せめて、スマホがあれば連絡できるのに。

 でも、ヒトの姿のときにしか僕のスマホは現れない。


 どうしよう、どうしよう。

 おろおろ、うろうろと考えて……みんなが寝静まった頃、僕はパパのスマホを借りた。


 ――花火大会、いけない。ごめん。 ユキ


 肉球でスマホを操作するのは難しかったけど、なんとかできた。これでミキを待ちぼうけさせないで済む!

 送信ボタンを押した僕はホッとして、ミキの枕元で丸くなった。


 ***


 翌朝――。


「娘に構ってほしいからって、こういうことしないでくれる!?」


「い、いや……パパじゃ……パパが送ったわけじゃ……!」


「もう、うるさい! 気持ち悪い!!」


 僕が起きると、すごい剣幕でミキがパパを怒ってた。


 しょんぼりと肩を落とすパパの手にすりすりと頭をこすりつける。

 ごめんなさい。だいぶ無理のある計画でした。僕の考えがだいぶ足りてませんでした。


「そうか、そうか。ユキちゃんは信じてくれるか、なぐさめてくれるか。ユキちゃんは優しいなぁ」


 パパは僕を抱っこすると、ふかふかの黒い猫っ毛にほおずりした。タバコくさくてむせそうになったけど、逃げたいけど――がまんする!

 だって、パパの目に涙がにじんでたから。

 なんか、ほんと、ごめんなさい。


 そうこうしているうちにミキは浴衣に着替えて家を出て行ってしまった。


 待ち合わせの時間を過ぎたら帰ってくるかな。

 花火があがる時間になったら帰ってくるかな。


 あきらめて、怒って……帰ってくるかな。


 僕は時計と窓の外とにらめっこし続けた。

 でも、待ち合わせ時間が過ぎても、花火があがる時間になっても、ミキは帰って来なかった。


 最初の花火の音が窓を震わせた。

 居ても立っても居られなくなって、僕は窓をこじあけて家を飛び出した。


 猛スピードで走っていく車。カンカンカン……と、うるさい踏み切り。ヒトにぶつかったら大きな声で怒鳴られた。

 でも、どれもこれも、もう怖くない。

 僕は必死に――猫の姿で必死に駅の改札に向かった。


 怖いのは、ミキが泣いていること。

 僕のせいで一人ぼっちで泣いていること。


 ミキはまだ駅の改札の前に立っていた。

 スマホの画面を見てはあたりを見まわして、またすぐにスマホの画面を見て……。


 ――帰ろう、ミキ。


 僕はミキの足元で言った。

 でも、喉から出てきたのはニャーという鳴き声だけ。


「ユキちゃん……?」


 ミキは足元の僕に気が付いて目を丸くした。


「どうしたの? なんでこんなところにいるの?」


 言いながら、僕を抱き上げる。


 ――帰ろう。もういいよ、待たなくていいよ。帰ろう。


 やっぱり喉から出てくるのはニャーという鳴き声だけ。

 それでも、言い続ける。泣き続ける。

 伝わらないのがもどかしい。もどかしくてミキの腕に爪を立てた。


 瞬間、花火の音がした。


「花火の音、怖いね。……帰ろうか」


 僕の背中をなでながらミキはようやく歩き出した。

 歩きながら、ぽろぽろと泣き出した。


 帰り道からでも花火は見えるのに、ミキはずっとうつむいたまま。空から目をそらしたままだ。

 ミキにぎゅっと抱きしめられて家につくまで、僕はずっと空を見つめていた。


 猫の悪魔がやってきたら残りの命を全部あげよう。

 残りの命を全部あげて、もう一回だけヒトの姿にしてもらおう。


 それでヒトの僕の口から……ユキの口から、ちゃんとミキにさよならを言うんだ。

 言わなきゃいけないんだ。

 言わなきゃ、いけないのに――。


 猫の悪魔はやってこなかった。一年くらい待ってもやってこなかった。


 ***


 しばらくのあいだ、君はヒトの僕にメッセージを送っていた。

 君の手元をのぞきこんでは猫パンチで邪魔をして。そのたびに君に怒られた。

 

 夏が終わって、秋になって、冬がやってきて……。

 春が始まる頃、君はようやくヒトの僕にメッセージを送るのをやめた。


 僕はほっとして……ちょっとだけ、さみしくなった。

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