百 - 3
「ごめんなさい…………治してくれて、ありがとう」
「なぜ……礼なんて……」
「ノーマッドがいなかったら、私は今もあの部屋の中だったもの……。世界の広さも、埃っぽさも、冷たさも……この痛みだって知ることが無かったわ……。私は、こんなたくさんのことが経験出来て嬉しい……だから、感謝しているの」
「………………」
彼女の気丈さに、ノーマッドは胸が締め付けられるような思いがした。見殺しにした上に自分の失態を誤魔化すために文句を言ったノーマッドに対して、ミアは謝罪し、礼まで口にした。
化物が跋扈するこの世界において、自分の身を守るのは自分しかいない。ノーマッドがミアを利用してミュータントに勝機を見出したのは、この世界の秩序においてなんら間違った行動ではない。
しかし、人としての器の違いを見せつけられたような気がしたノーマッドは、途端に自分があまりにもちっぽけな存在に思えた。その気持ちをさらに誤魔化すように、マントを脱いで、患者服を失ってしまったミアに羽織らせた。
「これを着てろ……裸だと冷える」
「いつになったらかしてくれるのかなって思ってたわ。もしかして私の体に見惚れてたの?」
「そんなわけあるか。……ガキに興味はない」
軽口を叩く元気はあるようだが、明らかにミアの顔色は悪い。彼女はよろけながらも、壁に手をついて立ち上がった。
「おい、もう少し休んでろ」
「嫌よ。ノーマッドの足手まといになっちゃう」
ミアは苦しそうにマントを抱きしめながらそういった。ノーマッドには、自分よりも小さく、弱い少女に気を使われているように感じた。苛つけば苛つくほど自分が小さな存在に思えてくる。やがて彼は、自身の気持ちに折り合いをつけ、負けを認めた。
「……いや、お前は足手まといなんかじゃない。俺を助けてくれた。だから今度こそ、俺がお前を守るよ。必ず」
ミアの健気さと気丈さに敬意を払い、矮小な自分を恥じた。彼女はただの少女ではない。もちろん、不死性というあまりにも特異な能力を持っているが、ノーマッドが認めたのはそこじゃない。
彼が認めたのは、気高い心と高い精神性。
それは世界がこうなる前に尊ばれていたもので、この荒み切った世界によって失れてしまったもの。
けれど今は少しだけ、かつての自分に戻れたような、そんな気持ちになっていた。
「そう……でもこの部屋は暗いし生臭いしで落ち着かないから、せめて通路に出ましょうよ」
「わかった」
ノーマッドはミアの肩と足に手を回し、抱きかかえた。彼女は目を閉じてすぐに意識を失ってしまった。腕の中の彼女を見おろしながら、ノーマッドは小さく舌打ちをした。それは誰でもない、自分に向けての舌打ちだった。
焼却炉管理室の扉を潜り、扉を閉めようとしたら部屋の中からノエルが飛び出してきた。
「お前、どこにいたんだ?」
「にゃあ」
「……まあいい。扉を閉めるから、そこをどけ」
両手が塞がっているため、ノーマッドは背中で押して扉を閉めた。扉が閉まると、通路は耳が痛くなるほどの静寂に包まれた。
これまでずっと騒がしかったミアは眠っている。彼女の存在がこの通路の、いや地下の寂しさを紛らわしていたのだと知った。
扉の傍にミアを降ろし、リュックサックを枕にして横たわらせた。ふと、リュックの上部に付いているジッパーが半開きだったことに気づく。ノーマッドはジッパーを閉めようと、手を伸ばしたが、半開きの部分からノートがはみ出していることに気づき、閉めるのをやめた。
ミアを起さないようにそうっと、ノートを引っ張り出し、冷たい通路の壁を背もたれにして座りながらノートを開いた。カードキーを手に入れた部屋で見つけた『レイン・デマンド計画』と題されたノート。このノートはミアを監視する部屋にあったことから、彼女と何か関りがあるはずだ。ノーマッドは、ミアの正体の手がかりを求めて、表紙を捲った。