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No Mad Day's~滅びの世界で君は願う~  作者: 超新星 小石
12/52

マイナス八 - 2

「それじゃあ伊佐武君。次に会った時は、右手で握手しよう」


 スキンヘッドの医師、巍々丸はどこかへ行ってしまった。


 ベッドに寝たまま廊下に運び出されると、一気に喧騒が大きくなった。泣き喚く子供の声。怒鳴り散らす大人の声。神に祈る老人の声。顔を左下に向けると、流れていく廊下の景色の中で、セーラー服を着た栗色の髪の少女が白い壁に寄り掛かっている。少女の右手首には銀色のネックレスのような物が巻かれており、黒猫のぬいぐるみを大事そうに抱きしめていた。


 少女の真横を通り過ぎる瞬間、伊佐武の視線が彼女の赤い瞳と重なった。それは一瞬の出来事で、少女は遠ざかっていく。伊佐武を乗せたベッドはエレベーターに入り、扉が閉まると同時に喧騒は完全に聞えなくなった。少ししてエレベーターの扉の上にある電光板に「1F」と表示され、扉が開いた。


 今度は周囲の景色が下へと流れていく。ほどなくして大きな両開きの扉の前で止まり、看護師が首にかけたカードキーを扉の横にあるICパネルにかざした。電子音が鳴り、ストレッチャーのフレームで扉を押し開け、中に入った。


 電球が十個もついた照明の下まで運ばれ、看護師が出て行った。室内の空気は冷房が効いているのか、ひんやりとしていた。ミントやハッカを薄めたような消毒液の匂い。周囲を取り囲む色気のない薄緑色の壁や、黒い画面のモニタ。そして照明の光を爛々と反射している銀色のメスや鉗子が、より一層室内室内の冷たい雰囲気を助長している。


 しばらくして、緑色の手術服に身を包んだ大人が二名、手術室に入ってきた。


「伊佐武。調子はどうだ?」


 一人は父だった。父は今朝リビングで顔を合わせた時のような穏やかさで言った。


「ぼちぼちかなぁ」


 だから伊佐武も同じように、穏やかに答えたのだった。


「なにがぼちぼちなもんですか! これから大事な手術なのよ⁉ 二人とももっと緊張感を持ってちょうだい!」


 もう一人の手術服の人物は母だった。母はがらがらと銀色のカートを押してきて、その上に乗った段ボール箱を開いている。そして中から、緩衝材に包まれた物体を取り出した。


緩衝材を剥がすと、中から出てきたのは、クリーム色の手。指先から肘まで、関節まで精巧に造られた義手は、肘の断面から細いピアノ線のような物が数本飛び出している。


「はは、ごめんよお母さん。さて伊佐武、これがお前の新しい右手だ。この肘から出ている糸みたい物が、新しい神経になる。これを今からお前に取り付ける」 

「う、うん」


 クリーム色の手は確かに精巧につくられているものの、表面は滑らかなシリコン製。どうしても本物の人の手のようには見えない。なのに形や、皺まで再現されているからか、不気味さが際立っていた。それが今から自分の体に取り付けられる。傷口を再び切り開き接続するのだ。


「恐いか?」


 父の言葉に伊佐武の心臓が跳ねた。


「うん……ジェットコースターくらい恐い」


 伊佐武は素直に答えると、マスクと帽子隙間から見える父の目が優し気に歪んだ。


「はは……実は僕もなんだ。息子の腕にメスを入れるのがこんなにも恐いことだなんて知らなかった。でも心配しなくていい。僕もお母さんも、超が付くほど一流の外科医だからな。ジェットコースターくらい恐くても、ジェットコースターより安全だ」


 伊佐武は「よくわからないよ」といって微笑んだ。


「まったくもう二人そろってなに言ってるのよ! もっとしっかりしなさい! ほら、伊佐武。点滴を抜いて麻酔の吸入器をつけるから落ち着いて息を吸うのよ」


 母は慣れた手つきで点滴の針を抜いた。その後、伊佐武の口に亀の嘴のような形をした半透明のマスクが当てられた。マスクの中央には突起があり、自然に口の中央付近まで挿入される形状になっていた。マスクに繋げられたチューブから、霧のようなものが送られてくる。特に味はしない。仄かに甘ったるいチョコレートの匂いがした。徐々に、意識が遠のいていく。


「術式、開始します」


 父が白いゴム手袋をつけた両手を合わせて呟いた。その光景を最後に、伊佐武は完全に意識を失った。


※  ※  ※


 手術が無事に終わって四日後の昼。拒絶反応もなく、術後の経過は良好だ。そしてついに、初めて義手を動かす時がやってきた。右手に巻かれた包帯が外され、ベッドに置かれる。白衣を着た父と母に見守られながら、伊佐武は緊張した面持ちでベッドに仰向けで置かれている新しい右手を見つめた。


「動かしてごらん」


 父に言われ、伊佐武はゆっくりと頷いた。そしてこれまで通り、右手を握ってみた。すると義手の指が、ぎこちないながらも折れ曲がっていった。


「動いた!」


 意識してからタイムラグがあることと、神経を接続しているとはいえ、触覚までは再現されていない違和感はある。しかし伊佐武は、再び手を動かせる喜びに涙が溢れてきた。


「伊佐武! 良かった! 本当に良かったわ!」


 母が大粒の涙を流しながら、伊佐武を抱きしめた。息が詰まりそうな程力強い母の抱擁にも文句ひとつ言わず、伊佐武は抱きしめ返した。彼の右手は、しっかりと母の背中を押さえている。その事実に、伊佐武も涙をぼろぼろとこぼし始めた。


「よく頑張った。伊佐武……ぐす」


 父も目元を手で押さえながら、静かに泣いていた。感動の場面を壊すように、父の首にぶら下がっていたPHSが着信音を響かせた。


「もしもし?」


 PHSを耳に当てて返事をした父は酷い鼻声だった。けれど、それも最初だけで、通話口を耳に押しあてているうちに仕事の顔になっていく。


「なんだって!? それは本当ですか!?」

「どうしたのよあなた。そんなに慌てて」


 母が不思議そうな顔で父に尋ねた。父は強張った顔で、PHSを耳から離し、母と、そして伊佐武を見つめた。


「今、伊佐武の血液検査の結果がわかったんだ。そして伊佐武の血液に、寄生生物に対する抗体が発見された」


 抗体の発見。それは、全人類にとっての希望。それからはあっという間だった。伊佐武は精密検査と特効薬を作る研究のため、聖神クリストファー病院よりも設備が充実している『東京医療大学付属病院』に搬送されることになった。


 伊佐武が初めて義手を動かした日の夕方には、聖神クリストファー病院の屋上にヘリコプターが到着し、伊佐武を乗せて飛び立った。


 伊佐武は静岡県浜松市の上空から、どんどん小さくなっていく病院の屋上を見た。そこには、医者という使命のために残ることになった父と母が立っている。彼は一人で東京へ行くことになったのだ。そのことは寂しかった。だが父と母に手術され、二人の存在がどれほど多くの人の救いになっているのかを実感した今では、誇らしくもあった。


 伊佐武は病院の屋上から視線を変えて、町中にそびえたつアクトタワーを見た。オレンジ色の外壁をしたそのビルはいつも駅に用事があって行くときに空まで届きそうだと思っていた。今は、そのアクトタワーよりも高い場所に自分がいる。不思議な高揚感が湧いてきた。視界の右側は夕日に染まった茜色。左側は半月が浮かんだ濃紺色。


 アクトタワーを境目にして、空が鮮やかなグラデーションで彩られている。


 伊佐武は動かせるようになったばかり右手で、ヘリコプターの窓に触れた。


 彼は、この美しい景色を一生忘れないだろうと思った。


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