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8.二日目

「じゃあ、二人はこの席で御願いね。」

由紀が俺と松岡に今日一日バスの一番前の席に座るように指示している。松岡が通路側で俺が窓側だ。


「松岡、窓際がいいか?」

俺は松岡に尋ねたが、松岡はお世話する立場だし通路側でも窓の外は良く見えるから大丈夫とフロントガラスを指さした。


確かに一番前の席に座っているので、運転席から見るのと同じ景色を見ることが出来る。むしろ横窓から見るより、迫力ある画面を正面から観ている気分になれるだろう。


俺たちに指示を出した由紀は、最後尾の席に歩いていき5人席の真ん中に座った。左右の4席には俺達の班のメンバーがいた。要するに由紀は松岡と席を交代した形になったわけだ。由紀を挟む形で座ることになった両隣の男子はルンルン気分に見えた。


さすがは人気のある由紀だ。そして何かと由紀と話をしようとする男子は両端に座る女子に少し白い視線を向けられていた。まあそれは自業自得というもんだろう。ちなみに俺のとなりの松岡は何も言わずジト目で後ろの光景を眺めていた。


先ほど別室で松岡を振った俺としては、引け目もあり松岡の精神状態がかなり気にはなっていたが、松岡の見た目はいつもどおりのように見えた。


「よう、夫婦もん。」

後から乗り込んできた事情を知らない同級生が俺と松岡に向かって冷やかしの声を掛けてくる。俺はそっと松岡の顔色を覗うが、内面はともかく表面上は通常運転に戻っていた。


「ふふん、結婚式には呼んであげないわよ。」

元気よく言い返していた。


点呼が取られて全員が乗車したことを確認したのちに、バスが目的地に向かって発車した。


「あめ食べるか?」

俺は松岡に持参のお菓子を勧めた。前世の記憶からある個人的に好みのまろやかな味わいと仄かな香りを伴う甘さ控えめの飴だ。近所には売っていなくてネット経由で仕入れている。


「ありがとう。美味しい飴ね。どこで買えるの?」

松岡は俺から飴を受け取り、包み紙を剥いで口に放り込んだ。溶ける飴の味が気にいってもらえたらしい。


「どっかで売っているのかも知れないけど近所では見たことないから俺はネットショッピングで手に入れているよ。」

「そうなんだ。友くんはネットで買い物なんかよくするの?」

「そうだなあ物によるけど、実物を確認したことがあるものなら二度目以降はネットで買うことが多いかな。」

「私はママが厳しいからネットでの買い物はあんまり出来ないなあ。お洋服なんか買いたいなって思うこともあるんだけど、ママがサイズとか色目とか実物を確認しないとダメだよって許してくれないんだ。」


松岡の母親は現実的で堅実な性格をしているようだ。まあ普通はそうだろう。実店舗でもサイズはSと言っても店によってブランドによって差があるのに、仮想店舗だと見た目との差が更に大きいことがある。モデルが着ているから似合うと思っても、自分に似合うかどうかは自分で試着してみなければ分からないこともよくある。


そんな他愛もない会話をしているうちに、二日目の最初の目的地に着いた。歴史上の有名な武将が山の上に築き上げた城郭だ。割と急な坂を登らないといけないので、車椅子の俺は実際のところパスしたい案件だ。


が、隣にいる松岡は「私一緒に頑張るからね。」と俺と頂上まで到達する気が漲っていた。一緒にというところが大事なんだろう。そう言われると俺も男として情けないことは口に出来ない。


「車椅子押して上がれるかな、花梨ちゃん。大変なら手伝いをお願いするけど。」

由紀は単に大変だろうから手伝いを付けようとしてくれたんだろうが、松岡には逆効果だったようだ。


「いえ、一人で大丈夫です。由紀先生はクラスのみんなをお願いします。」

問題などないと言わんばかりの口調で返答していた。

「ああ、俺も自分のことなんで頂上目指して頑張りますから先に行ってください。」

松岡だけに負担を掛けるわけにはいかないし俺も努力するので問題ないと由紀に伝えた。


由紀が今回用意してくれたのは自走介助兼用車椅子でハンドリムを自分で操作して自走も可能なタイプだ。そのうえ押し手部分には介助ブレーキも付いておりズリ落ち防止対策もばっちりだ。


それなのに重量が8kgを切っている。金属部分にアルミハニカム構造を取り入れた現代工学の逸品だ。よくこんな製品を見つけてきてくれたもんだと感心してしまう。ともあれ坂道は自力だけでは難しいが介助があれば不可能ではない。


俺達の返事を聞いた由紀は目をぱちくりとしていたが、納得したようだった。

「じゃあ、みんなと歩いて上がるのでゆっくり無理をしないようにして頂戴ね。」

担任の顔で返事を返してきた。


「先に行ってるからな。」

「上で待ってからね。」

クラスメートは次々と俺達に声を掛けて山の頂上にある天守閣を目指して歩いて登っていった。


「じゃあ行こうか、友くん。」

アクティビティサコッシュに身の回りの荷物だけを詰めた松岡は俺に声を掛けてきた。


「悪いな、松岡。貧乏くじをひかせて。」

「貧乏くじなんかじゃないよ。私にとっては当たりくじなんだからね。二人きりなんだし私を頼ってよね。」

少し嬉しそうな照れた顔をした松岡は車椅子を押して坂道を登り始めた。俺もハンドリムを操作して前に進めていった。


刀や弓で戦をしていた時代には、山城に籠って身を守るのが常識だったんだろう。でも後世に見学に来る人間に取っては平城のほうが楽だろうと少しは考えてくれたらよかったのにと、過去の武士に毒づきながら息を弾ませながら登っていった。


上り坂一辺倒ではなく、ある場所では緩やかな下りがあり平地が少しあったかと思うと、また急峻な上り坂になっていたりしていた。こんなところ鎧を装着して駆け上っていった昔の人って超人かよと思ってしまった。


途中で小休憩を二回入れて漸く天守閣が見えるところまでたどり着いた。俺と松岡は二人ともかなり疲れてふらついていた。あと少しだと思っていたところに、由紀が降りてきた。一緒にいる俺達を微笑ましげに見つめると、黙って松岡と交代して車椅子を押し始めた。


松岡は何も言葉が出せないほど呼吸が乱れており、今回は意地を張ることなく素直に従った。俺も汗だくで由紀に声を掛けることが出来なかった。由紀に押してもらいながら、必死でリムを操作してやっとのことで天守閣前の広場に到達した。松岡はへばりながらもなんとか後ろから着いてきていた。


たむろしている同級生があちこちにいる広場で、しばらく大きく深呼吸をして呼吸を整え、落ち着いてから俺は松岡に心からの感謝の御礼を言った。

「途中で無理かと思ったりもしたけど、松岡が一緒に居てくれたおかげで天守閣まで到達できたよ、ありがとうな。」


同じく呼吸を整えていた松岡は、俺の御礼を聞いて少し誇らしげに胸を張ってやはり笑顔で答えてくれた。

「登り切ったね。でも友くんと二人だから頑張れたと思う。友くんも一生懸命漕いでくれていたし、私も諦めるわけにはいかなかったしね。」


言っている意味合いが少し違うような気もしたが、とりあえず登り切った達成感で満足だった。由紀は何も言わなかったが、俺は軽く目線で御礼を言っておいた。ホテルに戻ったら音声にしないとな。


水を飲んで喉を潤してしばらく休憩をした俺達は、登ってきた山に比較して小さな天守閣の中に入って見学をした。当然、車椅子では入ることは出来ないので車椅子からおりて、松岡の肩を借りて支えて貰ってだ。くつも脱いで靴箱に入れた。


天守閣の中には、鎧や刀や感謝状など歴史的遺産がたくさん展示されていた。興味を示した男子は、ああでもないこうでもないと言って議論していたが、あまり興味のない女子は一通り見たら直ぐに出ていっていた。ただ一部の女子は鈍く光る刀身にへばりついてうっとりと眺めていた。


天守閣の真ん中にある、ほとんど垂直と言ってもいいくらいの階段で二階から三階まで登れるらしい。さずがに危ないので元気な男子が試しに登っているだけで女子で登ったものは誰もいなかった。ちなみに二階と三階は狭くて特に展示物はないという話だった。


なのに松岡は言い出した。

「登ろうか、友くん。」

「え、いや危ないし、上には何もないって話だし、登っても仕方ないだろう、松岡。」

「一緒に昇りたい。」

松岡は少し伏せ眼ながら視線を合わせて俺につよく訴えてきていた。ちょっとの間、俺は迷っていたが、『今日一日は花梨の友くん』でいるのが筋だろう。たまたまながら天守閣のなかには由紀は居なかった。


落ちたときのことを考えて、松岡を先に昇らせ、後ろから俺が右膝を支えに利用して左足と両手を合わせてゆっくり昇っていった。松岡にも先々いかないように説明して常に二人が前後の位置になるようにしていた。


三点固定でハンドホールドはなるべく目の高さで、俺は左足になるべく重心が乗るようにして、時に腕力登攀を駆使して階段から身体を離して極力ぐらつきを生まないようにして昇っていった。


無事二階を通過して、もう少しで三階に到達するという時に、松岡は靴下が滑り階段を踏み外した。俺は松岡のすぐ後ろで一段ずつ堅実に階段を上っていた。視点は常に松岡に合わせていたので、落下してくることには直ちに気が付けた。そして左足と右膝に力を入れて踏ん張り、左手は階段をしっかりと掴み、松岡を待ち受けた。


さほど衝撃もなく右手と身体全体のバネを利用して松岡を抱きとめた俺は、しばらくじっとしていた。受けとめた状態のため、俺の顔が松岡の右肩の位置に乗る形となっている。


首筋から汗の薫りが立ちのぼる松岡の華奢な身体は少し震えているようだった。そして早鐘のようにうつ松岡の心臓の音が俺に直接響いてきていた。息が少し荒くなった松岡は口から声を出そうとして何回か息を吸ったあとでようやく言葉になった。


「ごめんなさい、友くん。大丈夫?」

「俺はなんともないよ。花梨こそ、だいじょうぶか。どこか打ってないか、痛いところはないか?」

俺が花梨を心配して声を掛けると花梨がなぜか硬直してしまった。


痛みで動けないのかと心配する俺の頭には疑問符が飛んでいたが、花梨の次の言葉で事態を理解した。

「花梨って初めて呼んでくれたね、友くん。」

落下の恐怖も混じっているのだろうが、涙ぐんだ花梨からは歓喜の小さな声が産まれ、頬は紅く上気していた。


『今日一日は花梨の友くん』と思っていた俺は無意識のうちに「花梨」と名前呼びをしてしまっていたのだ。一年生から6年生までクラスが常に一緒だった花梨を特別な女の子として俺が意識してなかったと言えば嘘になる。


だが好きにならないように一定の距離を保つようにしていたことも事実だ。それでも心の求めるところは別だったと言えるのだろうか。由紀と再会していなければ坂を転げ落ちるように花梨に接近していたのかもしれない。


「今日一日は花梨の友くん、だからな。」

誤魔化す様に俺は花梨の耳元で囁いた。それが更に花梨の体を揺する結果につながったが、仕方のないことだろう。うっとりと俺の言葉を反芻していた様子の花梨は、しばらくしてから再起動した。


足場を確認して両手で階段をつかんだ花梨はゆっくりと身体を三階まで引き上げた。続いて俺も花梨に腕を取られて到達した。天守閣三階の小窓から眺める下界は、大きな建物ですら豆粒のように見える特別感慨深い眺めだった。


左手で窓枠を持って窓際に膝立ちで立つ俺の前に、花梨は同じく膝立ちで立ち、背中から俺の身体に軽くもたれていた。花梨の身体に廻された俺の右手には花梨の両手が乗せられていた。かつての城主はだれと眺めていたんだろうか。そして下界を眺めて何を思ったんだろうかな。


言葉交わすことなく下界を眺め続ける二人だけの時間が流れていたところに、由紀の顔が階段からひょこっと見えていることに気が付いた。


「ええっと、二人の世界に入っているところ悪いけど、そろそろ降りないと。バスの集合時間に間に合わなくなるからね。」

遠慮がちに掛けられた由紀の声に、はっとした花梨は現実世界に戻って俺から離れようとした。だが俺の右手が身体に廻されていたので身動きが取れず、逆に身体を縮めて由紀の視線から隠れようとした。


「二人の世界に入ってましたか。」

いつから見れらていたのか分からず、苦笑して俺は由紀に話かけた。花梨の前なので言葉使いが微妙に敬語になる。


「うん、階段で花梨ちゃんが落ちたところから、ばっちり恋人の雰囲気だったわよ。それに隠れ部屋であやしいことをしていたらダメよ。」

由紀も硬く笑いながら俺に言葉を返してきた。ああ階段で花梨が落ちたところから見られていたのか。それにしても由紀はいつの間にあがってきたんだろうかな。俺達が昇り始めたときには居なかったのにな。


俺の腕の中にいた花梨は、俺と由紀の会話を聞いて、身じろぎして俺の腕から逃れた。

「ごめんなさい、由紀先生。」

「謝られるようなことは何もないわよ。」

「でも由紀先生の友くんと二人っきりでいたし、その偶然というか抱きしめても貰ったりもしたし。」

花梨はあたふたと由紀に弁解を続けた。


「先生が怒るのなら、ゆうくんに対してでしょうね。花梨ちゃんに対してではないわよ。それに『今日一日は花梨の友くん』なんでしょ。」

一瞬般若の笑顔が見えたが、すぐに天使の笑顔に戻してくれた。


花梨に囁いた俺の声が由紀には届いていたのか。元々は花梨が言ったセリフだが、それに対して俺が応えていたことも見抜かれているというところかな。ただその割には余裕が見えるような気がするのは、俺のことを信じていてくれるからと思いたい。あとで更にお詫びが必要になったな。


「ゆうくん、ゆうくん自身は怪我をしているのだし、今回は上手く助けられたけど、間違ってたら花梨ちゃんを守れない可能性があったでしょ。そのときに花梨ちゃんがどんな怪我をしたか分からないし、最悪の結果ということもあるわよね。」


「いくら花梨ちゃんが昇りたいと言っても、無理と無謀は区別して頂戴。何かあったりしたら後悔するでは済まないわよ。それと花梨ちゃんも大事にしてあげてね。」


だが由紀の怒りと悲しみは別のところにあった。由紀の真剣な顔と言葉に、俺は返す言葉はなかった。俺はまだまだ甘ちゃんというところだろう。いくら経過した精神年齢が由紀と同じだとしても、現実に生きてきた人生の中身は由紀のほうが大人だ。


「悪かった。俺の考え方が甘かった。すまん、由紀。」

素直に謝った俺に由紀は怒りのボルテージを下げてくれた。


「次があればいいけど、無いこともあるんだからね。」

少し涙声になった由紀の返事に俺は更にへこむことになった。自分の責任と言われればそれまでだ。反省する以外にはない。


由紀のサポートを得て、花梨と俺はゆっくりと下の階に無事に降りることに成功した。もしサポートがなかったら、降りるのはかなり難しかったと思う。やはり昇るより降りるほうが危ないなと実感した。


「お前ら、友貴は怪我もしているのに、一番上まで上るなんて無茶するな。おれらも上がったけど、怖かったぞ。」

下で待っていてくれた同じ班の男子はそういって諌めてくれた。


「まあ勘弁してくれよ。俺が悪かった。でも折角だし俺が昇りたかったんだよ。」

俺に肩を貸してくれていた花梨は何かを言おうとしたが、俺が右腕で花梨を軽く引き寄せたので、顔を左に向けて俺の顔をみるだけになり何も言わなかった。


後ろで由紀の溜息が聞こえたような気がした。

「じゃあ、ゆうくんは車椅子に乗って。下り坂が多いし、ゆうくんは手でブレーキをかけて、花梨ちゃんも介助ブレーキを利かせながら、降りていきましょう。」

由紀の指示に従って、俺達の班は揃ってバスの駐車場まで降りていった。


誤字脱字、文脈不整合など御指摘頂けば幸いです。

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