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18.花火大会

「ただいま帰りました。」

「お帰りなさい、勇人。」

外出から帰宅すると由紀の母親から勇人と呼ばれた。俺が勇人であると母親に認識されている。


後ろに立つ美紀と由紀の表情からすると俺のことを話したことは分かったが、どういう話をしたのだろうか。どう認識されているかによっては話は違ってくるんだが。


無言の誘いに従って、リビングで母親と向かい合って座った。由紀が飲み物を用意してくれた。暑い中、歩いて帰ってきた俺にとっては冷たい御茶はありがたい。冷房の効いたリビングも気持ちはよい。だが話があるはずの母親は少し俯いたまま身動きしていない。雰囲気までひんやりしたのがいいわけじゃないんだが。


会話がなければ話が進まない。母親から言葉が出ないのであれば、俺から口火を切るべきだろう。母親が俺を勇人と認識していることを前提としてだ。事故で死ぬことなく24歳を迎えた俺ならばどんな話をしただろうか。由紀をくださいと挨拶に来たとしたら。


「むかし、ここで由紀と夏休みの宿題をしたことがありましたよね。」

小学校二年生の夏休みのことだ。ラジオ体操から帰ってきてから、強引に由紀に誘われたんだった。そのときに美紀が由紀の妹と知った。それまでは颯希の友達というだけだった。


俺の言葉を聞いても母親は微動だにしなかった。聞こえていないはずはないが。何かを言われるまで続ければよいだろう。俺の記憶と思い出と思いを。


「そうね。宿題を手伝う約束をしてたんだったよね。」

俺の右隣に座る由紀が相手をしてくれる。

「約束を盾に、お姉ちゃんが我儘を言っていたんじゃなかったっけ。」

母親の左隣に座る美紀が暴露する。

「そんな由紀が悪いんじゃないもん。」

小さい頃に戻ったかのような口調で由紀が美紀に反論する。

「そうだな。由紀は悪くない。あれは約束なんだから当然のことだったよな。」

俺の言葉に、満足そうな嬉しそうな由紀。

「ほら、勇人も言ってくれているんじゃない。あれは約束。由紀は悪くないもん。」

溜息をつく美紀。

「いや、割と無理やりだったよ、お姉ちゃん。」

「何を言うのよ、美紀。」

折角盛り返せると思ったら、美紀に反論されて窮地に陥る由紀。由紀が俺をすがるようにみる。ここに由紀の味方は俺しかいないようだ。


「花火大会に誘われたのも、その夏のことでした。浴衣を絶対に着てこいって約束させられましたけどね。」

懐かしい思い出だ。そして俺の由紀に対する思慕の原点だ。


「由紀の浴衣姿は綺麗でした。可憐な由紀と一緒に花火が見れて嬉しかったです。今思えばそれが俺の由紀に対する恋のスタートでしたね。」

美紀が興味深そうに聞いている。


「そう言えば、勇人がその浴衣のことを褒めてくれたのって、たしか5年生の時にあった臨海学校でだったよね。」

由紀が懐かしそうに笑った。由紀の笑顔で場がすこし和む。


「そうだな。何年も経ってからだったよな。その時に褒めてくれなかったって文句を言われたよな。」

「そうだよ。でも臨海学校で着た水着はあの時に褒めてくれたから嬉しかったよ。」

「うん、赤い水着は可愛かった。」

臨海学校と言えばもうひとつあった。


「肝試し、怖いの苦手なのに申し込んでいたよな。」

「好きな男の子と行くなら肝試しでしょって言われたからね。」

「そうだったんだ。で俺は、しがみ付く、か弱いを由紀をしっかり護らなきゃって思ってた。それに良い匂いがしてたのでドキドキしたよ。」

笑顔の由紀の顔が赤くなる。


「あのお化け役の人達って、本気だったもんね。怖かったよ。」

俺と由紀の思い出話だけが進んでいく。あのときには由紀を護れると俺の心が落ち着くようになっていた。


「冬のスキー合宿のときも大変だったな。」

「ああ、あれね。遭難しかけたやつね。」

初耳なのか母親が顔を上げた。だが何も言わない。


「頂上から滑り下りるときに宿屋があるほうじゃないほうへ降りたんだよな。」

「そうそう。分かりにくかったし、勇人と二人だけで間違った方へ行っちゃったんだよね。」

「麓についても何もない。冬だし暗くなってきかけてた。尋ねようにも誰もいない。」

「そうよね。心細かった。でも勇人は外した板を由紀のも持ってくれて、手を引いてくれたでしょ。頼もしかったよ。」

「あんときは必死だった。由紀を護るのは俺の役目だと思ってたしな。」

麓の道伝いに宿の方へ夕闇の中、半泣きの由紀を励まして連れて帰ったのは俺にとって勲章もんだろう。


「あのとき食べさせてくれたチョコレート美味しかった。」

「ああ、隠し持ってたやつな。お菓子禁止だったけど、由紀が食いしん坊だから、俺が持ってきてたやつだな。あんな場面で役立つとは思わなかったけどな。」

「食いしん坊だなんてひどいわね。勇人は意地悪なんだから。でも花火大会のときの夜店でも同じことを思ってたでしょ。」

生命の危険があったことでも思い出なら笑って流せる。


「交通事故。俺が死んだときも同じだったな。由紀だけは絶対に護り抜きたかった。で、護り抜けて満足だったよ。」

笑顔だった由紀の顔が陰る。


「それは嫌だっていったでしょ。勇人を犠牲にして由紀だけが生き残るのはもう嫌だよ。死ぬのなら一緒に死にたい。約束して。」

由紀が約束を迫ってきた。今世でもか。俺は笑いがこみあげてきた。


「絶対に由紀を一人にするようなことはしないよ。約束する。実際に、この間の海でも由紀を助けられなかったら俺は一緒に死ぬつもりだったからな。」

俺の返事を聞いた由紀に笑顔が戻る。


「約束だよ。」

「分かっているよ。」

俺は由紀を抱き寄せ、ゆっくりと口づけをした。


母親と美紀の目の前だ。

俺たちを見る母親の眼には温かい光がある。

美紀の咳払いで現実に引き戻される。


俺たちのやり取りを見ていた母親は微笑を浮かべていた。

「むかしを思い出すわね、勇人。」

続く言葉はすぐにはなかった。が、数瞬の瞬きの後に、小さいがしっかりした声が連なった。


「由紀と美紀から聞きました。あなたが勇人だと。姿形が変わっても、勇人そのものなんだと。」


「簡単には信じられなかったけど、あなたが勇人なら納得がいくことが沢山あって。何よりも由紀が嘘を言っているとは思えなかった。今の会話を聞いていても、本当に勇人が由紀と話しているんだと感じました。」

眼には闇と光が宿っていた。再び言葉が途切れた。


「俺は由紀といろいろなことをしていくうちに、由紀と何かをするのが楽しくなっていました。由紀が喜んでくれたら俺も嬉しかった。由紀が悲しかったら俺も泣きたくなった。いつのまにか由紀と一緒にいることが俺の生きるすべてになっていました。」


俺はようやく自分でも理解できるようになっていた、前世で由紀が好きになっていった理由を伝えた。


「今世で、由紀が俺の通う学校に赴任してきたとき、俺の血は沸き上がり由紀に突進したくなりました。俺は由紀が好きです。むかしから好きでした。死んだあとに由紀が好きだったんだと自覚して、伝えるすべがなかったときには切なさに耐えきれない思いをしました。」


「だから今回、交通事故に遭ったとき、俺のなかでは由紀を護る以外の選択肢は出てきませんでした。友貴となっても、俺は勇人です。なんで友貴になったのか、なれたのかはわかりません。でも運命に与えられたチャンスだと思っています。」


俺は思いつくまま母親に由紀が好きだということを伝えた。


母親は再び眼を瞑り俺の声を聴いていた。そして言葉を探し選んでいるようだった。次に眼を開いたときに言われた。


「由紀のことをお願いします。前世で何度も由紀を護ってもらって、今世でも護ってもらって。これ以上お願いするのは、本当は無理なんじゃないかと思ったりもします。でも母親として娘の幸せと願うと、あなたにお願いする以外のことは思いつきません。」


母親の心のうちでは葛藤があるようだった。だが俺のなかでは既に答えは出ている。


「しかと承りました。由紀を幸せに、由紀と幸せになるように努力します。こちらこそ宜しくお願い致します。」


俺は頭を下げた。今世、この年で挨拶をするのは、傍から見れば奇妙でも、魂年齢24歳の俺にとっては不思議でもなんでもなかった。


俺は由紀に向き直った。姿勢を正して、前世で告げることが出来なかったプロポーズだ。だが今出来る。


「由紀、俺と一緒に人生を歩んでほしい。俺のそばに居てほしい。いろいろとあるだろうけど二人なら俺は頑張れる。だから結婚してほしい。」


俺の言葉を待っていた由紀は泣き笑いで答えてくれた。


「こちらこそ宜しくお願いします。」


俺は由紀を抱きしめてもう一度しっかりと口づけをした。

「お姉ちゃん、おめでとう。」

美紀が祝福してくれた。


俺と由紀の婚約が成立した。口約束に過ぎないし、正式なものにするには現実のものとするには乗り越える障害が多い。が、一歩一歩乗り越えていくつもりだ。



思い出の花火大会が近付いてきた。小学二年生のときに初めて由紀と二人で出掛けた。由紀のことを意識する切っ掛けになった花火大会だ。それ以降毎年二人で出掛けた。だが、5年の夏が最期となり、それ以降は見に行けてない。俺は当然、由紀も一人では行けないし、行かなかった。


「ねえ、当然浴衣着るよね、勇人。」

「そうだな、由紀は着るんだろ。」

「もちろんよ、良い浴衣見つけたのよ。」


俺と由紀は浴衣の相談をしている。由紀は落ち着いた浴衣を見つけたらしい。藍ベースに白が多く入った絞りの浴衣だ。絞りの凸凹は清涼感が感じられ、肌にも張り付かず高級感が漂っている。帯は赤だ。由紀には柔らかい雰囲気で良く似合っている。今回足元は和風サンダルを用意した。


俺は、明るいグレーベースで沙綾形の模様が施された浴衣を選んだ。沙綾形は菱形につぶした「卍」を連続文様で四方につなげたもので上品な印象で仕上げられている。帯は角帯で貝の口の帯結びを選んだ。


俺と由紀は手を繋いで、13年ぶりの花火大会に出掛けた。由紀は勇人の忘れ形見の赤のイルカのペンダントをしている。理映さんが持つ青のイルカと対になるペンダントで、ペンダントの中には笑顔の勇人がいる。


俺は勇人とはいえ、今の自分とは違う顔写真がペンダントに入れられているのは微妙だったが、由紀にとってはどちらも勇人で大事なんだそうだ。


花火大会は年を追う毎に盛大になっているそうだ。昔は地元民には穴場が沢山あったのだが、役に立たなくなっていた。より沢山の人が見ることが出来るようにと打ち上げ場所が移動したからだ。


浴衣の由紀を連れて見物するのに混雑は大変だ。だから俺は観覧席を確保してもらっていた。会長に。なので推理研究会のメンバーが一緒なのは仕方がない話だ。


地元に顔が利く会長は特等席を準備してくれた。打ち上げ場所の至近距離で灰被り席だ。テーブルとイスが周りと距離をあけて、余裕をもって置かれている。混雑とは程遠い環境でゆったりと花火が観られる。テーブルの上には食べ物が大量に並んでいる。由紀の眼が少し光ったような気がしたのは気のせいと思いたい。


バッカス理映もいる。アルコールは禁止にしてほしいところだが無理な話だ。テーブルには大量のビールや酎ハイもある。小さい子供を二人連れているところを見ると家族で来ているようなんだが、旦那さんの姿が見当たらない。聞いたら仕事で遅くなるそうだ。誰が女王様の面倒見るんだろう。


理映さんは由紀を見て最初誰か分からなかったようだった。だが胸元に見える赤いイルカを見つけて分かったようだ。

「由紀ちゃん!」

「お久しぶりです。御無沙汰しておりました。」

由紀は大人の挨拶をしている。

「大きくなったわね。わたしのこと覚えている。」

「ええ、もちろんです。と言いたいのですが、先日勇人から話を聞いて思い出しました。勇人が死んでから、楽しかった思い出は封印をして忘れるようにしていたんで。」

由紀の返事を聞いた理映さんは複雑そうな顔をしていた。

「でも、今は思い出しても大丈夫なんでしょ。そのペンダントをしているんだし。」

理映さんは、自分の青のイルカを見せながら、由紀の赤のイルカを指差した。


「ええ、勇人が入っているイルカです。そっちには由紀も入っていますよね。」

「そうね。こっちにはわたしと由紀と勇人が入っているわ。」

「水族館楽しかったです。このペンダントを由紀が我儘を言って勇人に買って貰ったのも良い思い出です。あと春の桜の花見も楽しかったです。お二人を運ぶのは大変でしたが。」

「もう、そんなことは忘れていてくれたらいいの。封印しておきなさい。」

理映さんは笑ってビールを煽った。女王様、控えめにお願いします。


夜の帳が降りて花火が打ち上げられ始めた。今年は合計で15000発を超える予定だ。二時間足らずで大量の花火が上がるさまは圧巻だ。しかも至近距離で連発に連発を重ねる。


火薬の臭いが漂い、煙の霞がかかる。陽気な酔っ払いたちはご機嫌だ。夜空に開くパステルの光が描く芸術。浮世を忘れて、いまだけは幻想の世界に浸ることが許されるだろう。音響が強くかえって音が遠くなり由紀と二人だけの世界が広がる。


無音の世界で、過去に見たのと同じで同じではない光のシンフォニーを俺と由紀は満喫した。ラストのしだれ柳では豪華な金色に輝く火の粉が連続で降り注ぎ、俺たちの未来を祝福してくれているかのようだった。

誤字脱字、文脈展開異常など御指摘頂ければ幸いです。

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