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1.邂逅

「大丈夫か、由紀?」

俺は右脚に焼きゴテを当てられたような灼熱感を感じていた。ついさっき由紀と一緒に車に撥ねられたんだ。茫然として動けずにいる由紀を両腕に抱きかかえたままだ。その由紀に肺から絞り出した細い音量で声を掛けた。


その呼び声が耳に届いたのか、由紀はゆっくりと能面のような顔を挙げて俺をぼんやりと眺めた。時間にして1秒か2秒ほど俺を見ていたか。俺の顔を思い出し状況を理解したのか、急に時計が動き出すかのように眼の焦点が合い表情が戻ってきた。

  

「友貴くんこそ、大丈夫!?」

由紀の表情には驚きと怒りと恐怖と苦悶が入り混じっていた。声は震えて口を開けたり閉めたりしていた。そして瞳には涙が浮かんでいた。驚きは事故に遭ったことが、怒りは事故への理不尽さが。恐怖と苦悶は恐らく人生で二度目の交通事故体験だからだろう。涙は悲しい過去の出来事が呼びさまされた結果もあるのだろう。


長雨が続く梅雨の時期、交差点でスリップしたセダンが歩道を歩いていた俺たちに突っ込んで来た。つい一瞬前の出来事だ。由紀は俺の左に居た。俺の陰になって右後ろから車が突進してくることに気が付くのが遅れた。


俺はクラクションとスリップ音で車が迫ってくるのを悟った。右後ろを振り向きかけた瞬間に、横滑りして制御不能の車を眼の端で捉えた。とうてい安全には逃げられないことも理解した。あいにくと俺と由紀はガードレールのない歩道を歩いていた。何もしなければ二人して跳ねられるだけの未来しか視えなかった。


俺は以前(・・)と同じく由紀だけは絶対に護ると心を決めた。瞬時に由紀を抱きかかえ、突っ込んできた車を自分の右脚で蹴りつけ後ろに跳び逃げた。残念ながら時間に余裕がなく上手く蹴りつけることは出来なかった。それでも己の右脚を犠牲にしながらもそれ以上は傷を負うこともなく着地の時に背中を打っただけで済んだ。着地の瞬間に由紀の体重が胸に乗って肺から空気が押し出されたが肋骨は熱くはないから折れてはいないはずだ。


「大丈夫だよ。それより由紀は怪我はないか」

「私は友貴くんが庇ってくれたから何ともないわ。」

「そうか、それは良かった」

由紀は名前を呼び捨てにされていることに事故で動転して気が付いていないのか、俺の質問に普通に返事をしてくれていた。


俺は由紀が無傷だったことが確認出来て安堵した。気が緩んだからか、右脚から激痛が襲ってきて顔が歪んでしまった。これは折れているな。でも脚が折れただけなら死ぬこともないな。痛みで少し思考がまとまらなくなっていた。ただ由紀が無事だったことは俺にとっては嬉しく自然と笑みが漏れていたようだ。


「なんで、笑っていられるの。痛くないの。右脚おれているんじゃないの。」

だが俺の笑みを見た由紀は少し怒ったようだった。そして心配する声で俺の右脚を指差した。俺の右脚に眼を向けると青いジーンズが紅く染まってきている。


熱く感じたから折れたとは思ったが開放骨折か。緊急手術が必要な案件だな。でも輸血は出来たらしたくないな。なぜか頭の中では冷静な判断をしている俺がいた。が、由紀は涙を流しながら震える声で言葉をつづけた


「先生はね、むかし今みたいな事故に遭ったことがあるの。そのとき一緒にいた大好きだった幼馴染の男の子が庇ってくれたの。そのお蔭で私は無傷。でもね、その子は私を庇って車に跳ねられたわ。お腹を打って口から血を吐き続けて私の眼の前で亡くなったの。」


「私は泣きながら精一杯彼を抱きしめたわ。死なないでって。でも私の腕のなかで、彼は『由紀が無事で良かったよ』と言って微笑んで静かに息を引き取ったわ。どんなに悲しかったか。いくら泣いても彼は生き返らなかったし。夢だと思いたかったけど現実は残酷。生きていく気力も無くなった。もうそんな思いは二度としたくないの。私を庇って誰かが死ぬなんて嫌。絶対に嫌。」


事故が引き金になってフラッシュバックしたのか。由紀は自分を庇って誰かが死ぬのは嫌だと泣いて訴えた。確かにその通りだろう。たとえ由紀を庇った相手(幼馴染)惚れた女(由紀)を護りぬいて、愛する(由紀)の腕の中で抱き締められて満足して死んだとしても。由紀に取っては幼馴染が生きて共に人生を歩むことが出来たほうが何倍も幸せだったろう。


でも俺は伝えたかった。 

「俺はお前(由紀)守護者(ナイト)として愛されて、ドラマのワンシーンのような死に方が出来たことは満足だったよ。もちろん生きて一緒に人生を楽しめたほうが何倍も良かっただろうけどな。それはあの時の俺が力不足で事故を完全に避けることが出来なかったのが悪い。」

俺が苦笑と共に告げると、泣いていた由紀は眼をパチクリして何を言っているのか分からないという表情を見せていた。


それはそうだろう。二度とあんな悲しみを味わいたくはないと告げたのに、告げた相手である自分を庇った教え子が「俺はお前(由紀)を護りぬいて満足して死んだんだ」と言ったら理解が追い付かないだろう。


「由紀。今日と同じく梅雨の時期だったよな。で、あの時は今日とは違って俺が左で由紀が右に居た。右から突っ込んできた車を避けるには、由紀を引っ張って左に動かすしかなかった。そうすると当然俺が右の位置に来たわけだ。逃げる余地もなく車のバンパーで跳ねられたのは俺のミスだった。せめて腹ではなく脚か何処かで衝撃を受けていれば結果は違っただろうからな。」


俺は前世の事故の瞬間は良く覚えている。時間が止まったように感じたけど身体は動かない。走馬灯といわれるものの実体験だった。そして気ばかり焦っても向ってくる車から由紀を逃がすのはなかなかだった。俺は記憶にある昔の事故を細かく説明して由紀に俺を理解してもらおうとしていた。それでも由紀は何をいっているのか分からないという顔をしていた。


「わからないかな。一年前に由紀と再会出来たときは嬉しかったよ。由紀が教師になって俺のいる小学校に赴任してきたんだからな。実は俺はもうちょっと大きくなって自由がきくようになったら由紀を探しに行こうと思っていたんだよな。由紀と俺がいた場所はここからかなり遠いからな。探し当てて何を言うというわけにもいかないだろうとは思っていたけど、由紀が幸せに暮らしているかは知りたかった。」


「なんでかこんな故郷から離れた場所に赴任してきた由紀の表情は明るくはなかったが暗いというわけでもなかった。ただ表情に乏しく真面目というところだな。今日のことからしたら、過去を振り切れていたわけじゃなかったみたいだな。でも教師になったということは前には進むことは出来たんだよな。ひょっとして教師になったのは俺がなりたいって言っていたからなんかなあと思ってたりもしたよ。」


俺は自己満足的で少し自信過剰気味な話を続けていた。由紀は俺に抱き締められたまま俺の話を聞いていた。由紀の表情は理解出来ないから、びっくりした要素が加わった。そして期待を少し込めたそれでも有り得ないという思いが乗った表情に変わっていた。降り注ぐ雨が俺たちを濡らし続けるなか時間だけが過ぎた。俺を見つめていた由紀はゆっくりと口を開いた。それでも口調は懐疑心が前面に押し出されていたが。

あなた(友貴)勇人(幼馴染)の生まれ変わりなの?」


俺は言葉を紡ぎ続けた。

生まれ変わりだけど、生まれ変わりじゃないな。俺の意識は繋がっているからな。あの現場で息を引き取ってから空中に漂うことになっていたんだ。まあ魂の存在だよな。天国に行く前の段階なんかなと思っていた。何が出来るわけじゃなかったけど、それでも世の中のことは見えるし聞こえるし理解も出来た。(勇人)の家族が悲しんで(勇人)に縋って泣き叫んでしたのも、葬式で由紀が泣き崩れているのも見ていた。


葬儀場からの出棺が近づいたとき、二度と顔が見れないからと棺の蓋を閉めるのを由紀が最後まで嫌がって抵抗してたよな。そして棺の中の死装束の俺に向かって『大好き。愛している。』って叫んで口づけしたのも聞いていたし観ていた。俺は答えてやることが出来なくてせつなくて胸が張り裂けそうだったよ。


そのあと焼き場で俺が煙になったら意識が急に引っ張られる感覚があった。天国に行くのかなと思っていたら今の母さんの腹の中に落ち着いた。半年程は今の母さんの腹の中でまどろみの時間が流れた。そして出産を経て再びこの世に生を受けた。生まれるときは苦しいもんだよ。初めてじゃないけど、初めて理解したよ。


これまで封印をして誰にも話したこともなかった過去を俺は吐露した。次々と出てくる俺の言葉を聞いていた由紀は食い入るように俺を見つめていた。

「勇人?ほんとうに。」

まだ信じられない半信半疑の表情をしながら由紀は前世の俺の名前を口にする。由紀は元々非科学的なことは信じないタイプだ。二度と出会うことはないと思っていた幼馴染らしき存在に混乱していた。両手は俺の襟元をつかんで力が入り指の関節は白くなっている。


「今は友貴だな。ただ俺の感覚では勇人から友貴に変身したような感じだな。本質的な部分は何も変わってない。だから由紀が好きなのも変わってないよ。前の(勇人)の時から。」

少し照れながら俺は惚れた女(由紀)の顔を見つめながら言い切った。俺は由紀が好きなんだと自覚する前に、事故で死んだ。死んだあとに自覚出来たのでは手遅れだった。だから前の俺のときには伝えることが出来なかった「好きだ」という言葉。


俺は二度目の生を受けた。精神での経過年齢は同じでも肉体的には今の由紀との年差は12年ある。由紀は既に成人して教師として仕事をしているのに対して、俺は小学校6年生。これでは共に人生を送るのは難しいだろう。それでも先生と生徒という関係ならば持続可能じゃないだろうか。そう俺は考えてもいたので告白をした。死んでから後悔するのは俺ももう嫌だし。


だが由紀の表情は俺の言葉の理解と共に劇的な変化を遂げた。涙を流しているのは変わらないが、口から零れる言葉は叶わぬ願いが叶えられた喜びに溢れていた。

「勇人。大好き。愛している。なんで死んだの。なんで死んだのよ。もう二度と死んだら嫌。わたしを独りにしないで。」

心からの歓喜の言葉と共に俺に抱き着いた由紀は俺の首に腕を回して顔を密着させて耳元で泣き叫び続けた。


そして、むかし死装束の俺に向かってやったこと同じことを、やわらかい口唇を俺の口脣に合わしてきた。俺は由紀が今も俺を好いてくれていることが分かり嬉しかった。抱き締めた由紀のほっそりした身体を更に強く抱き寄せて二度と離さないと決心した。遠くから救急車のサイレンが聞こえてくるのを聞きながら。


何度聞いても嫌な記憶が蘇っていた救急車のサイレン。今日ばかりは頼もしく思えるのも、俺が交通事故で怪我をして弱っているからだろう。病人の立場からすると確かにあの音を聞くと助けが来たと思える。


雨で視界がくすぶるなか傘もささずに、「だいじょうぶですか」と声を掛けながら救急隊員が近づいて来た。がっちりした体格の救急隊員は手際よく俺の右脚から全身を簡単にチェックしていった。チェックの結果、右脚の骨折が一番の重症と判断された。俺は救急車に乗せられ救急病院に運ばれることとなった。


「ご家族のかたですか?」

救急隊員に尋ねられた由紀は「そうです。」とためらいもなく即座に答えていた。由紀に取って俺は家族の扱いになっていた。いまだに由紀の眼からは涙が流れ眼は赤く腫れていた。家族であれば俺が事故にあったことで悲しんで動揺していてもおかしくはないだろう。むしろ教師と教え子であれば泣き方が異常に見えるかも知れないというレベルだった。


「お怪我はありませんか?」

「だいじょうぶです。ゆう、いや友貴が庇ってくれたので。」

怪我の有無を救急隊員に尋ねられた由紀は、俺のほうを心配そうに見ながら答えていた。さすがに死人(しびと)の名を呼ぶわけにはいかず、今世の俺の名前で呼んでいた。それでも由紀は女性の救急隊員に一通り身体チェックを受けた。特に大きな問題はないと判断された由紀は救急隊員に頼まれていた。

「では病院まで同乗願います。」


救急車の乗り心地は最悪だ。ベットに寝ている俺は道路の段差のたびに上下に揺すられる。救急隊員は出来るだけ丁寧に運転してくれるし救急車のサスペンション自体は優秀だが、それでも急ぐということはある程度の衝撃は仕方がない面でもある。もちろん衝撃が患者にダイレクトに伝わらないように、ベットのスプリングはむしろ軟らかい仕様になっており、それが逆に患者の身体が長く揺れる結果となる。吐き気を催すもの当然だろう。そして俺を看ている由紀は、座席が横向きで由紀自身が気分が悪くなる状況だというのに、ひたすらに俺の心配だけをして愛を囁いているような声を掛け続けてくれていた。

誤字脱字指摘して頂ければ幸いです

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