第一章 起承転結の起。主人公、ヒロインと出会うの図。・その6
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「ごめん、記憶違いしてた。入会手続きに印鑑が必要だったのは去年までだったんだ。今年からはサインだけに簡略化されてたから」
翌日、虎の巻を大型ホッチキスで閉じた俺は、文芸愛好会で静流に大嘘を並べた。静流は疑うでもなく、
「あ、そうだったんですか。わかりました」
と返事をして、書類に御堂静流と書きこんだ。隣にいる鴻上由紀乃もである。
「さてと、これで君たちは、正式に文芸愛好会の会員になったわけだ」
俺は書類を部室の書類棚にしまい、ポケットから虎の巻のメモをだしながらふたりのほうをむいた。由紀乃はいつもの様子だが、静流は脇にノートを挟んでいる。
「ひょっとして、それが?」
確認したら、静流が笑顔でうなずいた。
「はい。サーバナイトの設定資料です」
「中二ノートってわけか」
由紀乃が茶化すみたいに言ったが、静流の笑顔は変わらなかった。
「はい。私の大好きな設定なんです」
「――あ、そう」
由紀乃が期待外れの顔をした。からかうつもりで言ったのに、かえって嬉しそうにされて拍子抜けしたらしい。つか、中二設定ノートなんて、普通は読まれたら恥ずかしがるものだと思ってたんだが、喜んで持ってくる人間も世のなかにはいるのか。
「それで、あの、佐田師匠。昨日のお話にあったキャラクターなんですけど」
さっそく静流が切りだした。
「私、考えたんですけど、主人公は魔法少女にしようと思うんです。ファンタジー世界だから、やっぱり魔法を使う主人公がいいんじゃないかと思って」
「はいストップ」
俺は虎の巻を開いた。
「佐田師匠、それ、なんですか?」
「これは、プロ作家が、あっちこっちの出版社に出入りして聞いてきたアドバイスの虎の巻だ」
それにしても、念のため、昨日のうちに軽く目を通しておいたのが幸いした。
「これは、ある作家さんが二〇一四年に言ったセリフなんだけどな。編集部に、何出しても『舞台を学園しろ』『主人公は男以外ダメ』『主人公以外の主要キャラを女にしろ』『ラブを入れろ』ばかり。だそうだ」
「――え?」
静流が、少し残念そうな顔をした。
「じゃ、主人公は男じゃなくちゃいけないんですか?」
「ま、とりあえず、そうするのが賢明だな」
実際問題、主人公が女子ってのは、ライトノベル業界では、あるにはあるものの、そう多くはない。
「あのさ」
横で聞いていた由紀乃が手をあげた。
「そりゃ、ライトノベルは少年マンガっぽいってのはわかるよ? で、少年マンガなら主人公は男じゃん? それもわかる。でも、だからって、絶対に男じゃなくちゃいけないってわけでもないんじゃね? テンプレって飽きられるし。例外的に、主人公が女でもいいんじゃん? そういうのって、珍しがられるから目を惹くんじゃね?」
「もちろん、そういうオリジナリティが悪いとは言わない。むしろ必要だとは俺も思う」
俺もそれは認めた。
「ただ、静流の場合は、今回、はじめてライトノベルを書くんだ。最初なんだからテンプレでいいんだよ。テンプレってのは、言い換えれば王道だし、様式美でもある。まず、基本中の基本である、型を修得することが、いまの静流には必要なんだ」
あらためて、俺は虎の巻を開いた。
「これは、歌舞伎役者の市川猿之助丈先生の意見だ。『型破りというのは、既にある型を勉強し、良いところは採り、時代に合わせて変えるべきところは変える。本来の型を知って学んで認めて、だからこそ型破りなんです。型を勉強もしない認めもしない、知りもしないで勝手なことをやるのは、それは型破りではなくて、型なしです。そういうことをすると、形無しになっちゃうんです』」
朗読してから顔をあげると、静流も由紀乃も妙な顔をしていた。俺の言っていることがよくわからないらしい。
「つまりだな、たとえばボクシングで言うと、何キロも何十キロも走りこんで、サンドバッグを叩き続けて、ジャブもストレートも試合の駆け引きもすべて習得した人間だからこそ、パワーファイターとかスピードスタートかフリッカー使いとかよそ見とかカエルパンチとか、そういうオリジナリティのある闘い方ができるようになるんだ。そういうのを無視して、いきなりボクシングの試合中に蹴りをだしてオリジナリティだって言ったら反則負けになるだろ? ――確か、SF作家の山本弘先生も、何かの本で同じようなことを言ってたな。料理の基本を踏まえた人間が、いままでにない組み合わせを考えだして創作料理をつくるのはいいが、包丁を握ったこともないド素人が、せっかくの素材に無茶苦茶なことをしても、それは料理とは呼べないって」
家に帰ったあとで確認したが、これは「トンデモ本?違う、SFだ!」にある記述だった。それはいいんだが、相変わらず、由紀乃は難しい顔をして俺を見ている。
「もっと簡単に説明できる?」
「友情、努力、勝利の基本を無視して、友情、努力、敗北なんて話を書いてもだめだってこと」
「あ、それならわかります」
「ふうむ」
静流がうなずき、由紀乃が考えこんだ。
「それって、つまり、まずは形から入れってことじゃね?」
「ま、いい意味で、そういうことになるな。ごたごた考えずに、とにかく形を覚える。習うより慣れろとも言うし。これは芸事の基本だ」
肯定して、俺は静流に向き直った。