誰が為に・・・「母の日」
「母の日」
それは<私>にとって、とても大切な日となった。
あなたにとって、この日はどんな日なのでしょうか?
中学生になってからは、毎日のお弁当作りに。
朝も早くから起き出して、造ってくれた。
クラブに入ってからは休みの日まで、お弁当を持たせてくれた。
幼い時には、風邪をひいたら看病してくれていた。
熱があると冷却材をおでこに貼ってくれた。
赤ちゃんの時の事は、覚えてはいないけど。
きっとミルクを飲ませてくれたんだろう。
だって今こうして生きているから。
最近まで母に感謝するなんて考えてもいなかった。
口を開けば、小言を言われ続けてきたから。
家を出てから、深く話し合う事も無くなっていた。
自分の事で精一杯な毎日を過ごしていた。
実家に帰る日も、盆と正月くらい。
その日は家族みんなが集まる日でもあった。
姉弟揃って親の前に居ると、どこか居心地が悪く感じてしまう。
だけど、急に老いたような母は違った。
目の前に御馳走が並んでいる。
いつもより朗らかに見える母は、饒舌に輪をかけて話す。
姉弟に向かって根掘り葉掘り訊いて来る。
ウザイ・・・つい最近まではこう思っていたものだった。
あまりしつこく訊かれると、<私>は殻に閉じこもってしまう。
話す事が無くなると、早々に自宅へ帰ってしまう。
そんな<私>に玄関まで送りに来ては、母が訊く。
「「次はいつ帰って来る?」」
そんな時は決まって半年に一度、年行事である盆と正月を交互に告げるだけ。
母は、それでも嬉しそうに頷くのだった。
本当は帰って来ても話す事なんて殆どないのに・・・
<私>には、母の笑みがどこからきているのかなんて慮る余裕もなかったし、歳でもなかった。
その当時には・・・
母が倒れたのを知ったのは、父からの電話があったから。
突然の事に動転したが、採る者も取り敢えずに駆けつけた・・・病院に。
身内が集まっている中で、父の背が小さく震えていた。
何がどうして・・・信じる事など直ぐには出来なかった。
それから数日は、今思い返してもアッという間に過ぎた。
小さな箱に修まった母の事が未だに信じられなかった。
母は、こんなにも軽くなってしまった・・・
仏壇の前に座ると、遺影が笑っている気がする。
何時までも小言を言っていた母。
偶にしか帰らない<私>に・・・
亡くなってからの事。
母を亡くし急に老け込んだ父が、教えてくれた。
<私>が偶に帰ってくる日の数日前から、母は楽しみに待っていたのだと。
年に数日しか帰って来ない<私>を・・・
帰って来てもろくに話もしなかった、<私>の事を。
父から教えられたのは、
母が最期の日まで、<私達>子の行く末を想ってくれていた話。
親子として過ごせていなかった数年の事を悔やむかのように。
懐かし気に話していたのは、まだ両親と一緒に過ごしていた過去の話。
母は幸せだったのだろうか?
自分が母なら、どうだっただろうか?
孝行は生きている間にすべきもの・・・
誰もが後から思う事なのかもしれない。
実際に自分がその立場になってみないと、わからないもの。
「母の日」っていつからできた?
なぜ「親子の日」が無いのだろう?
母の有難さを感じるのは、自分も同じ立場になってからの事。
口では「母の日」だからと、花を贈っても。
心からの感謝なんてそう簡単には出来ないモノ。
年に一度の「母の日」・・・
親と子が小言でも善いから話し合えれば<善い日>に。
もう、母の声さえも耳には入らないけど。
その想いは今も、心にだけは聞こえてくる。
この日は花屋さんに並んでいるカーネーションを一輪だけ買う。
だって、母は独りだけなのだから。
たったの独りに差し出すのだから。
墓前に手向けれるのが、今の<私>に出来る「「母の日」」。
墓前に手向けれる紅いカーネーションは、
・・・感謝を籠めて贈る、年に一度の親孝行・・・
失くしたモノは大きいけど、貰えた想いはもっと大きい。
<私>にとって、この日は<母との思い出>を失くさない為にあるのです・・・
飽く迄私感です。
皆様にはどう感じられましたでしょうか?