発端①
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アレクとネロが空へ飛び立ったまさにその時、テイニール王国の東にある帝国で、大陸全土を巻き込む大戦のきっかけとなる出来事が起きていた。
「次! 480組!」
「ちっ、ダンジョンに入るならもっとましな装備を寄越せってんだ」
──ダンジョンとは、人類を襲う魔物と呼ばれる生物を生み出す場所である。入り口近くこそ洞窟やトンネルのようになっているものの、深く降りれば草原や砂漠、森や山、はてには火山などの環境が存在する魔境である。そこでは、魔物を倒した際に得られる魔石だけでなく、豊富な資源や稀に秘宝と呼ばれる高性能な魔導具を手に入れることができる。
今、粗末な武装をした6人組の戦闘奴隷達が、続々とダンジョンへと入っていた。また、子供達が彼らの列から数メートルほど離れて並んでおり、子供達のそばには千人ほどの武装した帝国の兵士達がいる。
さらに外側は、半円状に広がる高い城壁で囲まれており、城壁の上には万を超える弓兵や魔法兵等が奴隷達を監視していた。ダンジョン側は城壁よりも高いなだらかな崖となっており、その先は魔物が闊歩する魔の森が広がっているため奴隷達に逃げ場は無かった。そして──
「次! 501組!」
「父ちゃん!」
「心配するな。俺は必ず帰ってくるからな。そしたら、奴隷の身分から解放されるんだ。それまで母さんと妹を頼んだぞ」
「さっさと行かんか!」
立派な装備を身につけた兵士が、子供と別れを告げている男を無理やり引き離し、槍の柄で打ち据えて無理矢理ダンジョンの中にいれた。その時──
──ダンジョンの口が閉じた。
「……え」
ダンジョンの周囲にいた全ての者がその光景を呆然と見る中、先程父と別れた少年が悲痛な声をあげて、閉じた口に駆け寄る。
「父ちゃあああん!」
少年が泣きながらいくら叩いても、閉じた口は開かない。呆然としている兵士達、そのすぐ近くにいる粗末な武具を持った、ダンジョンへ送り込まれる予定だった2千人を超える戦争奴隷達。
奴隷達は、兵士達にどういうことか詰問した。兵士達は、詰め寄る奴隷を大声を張り上げて抑えようとする。しかし、興奮した奴隷を止めることはできず、閉じた入り口を確認していた兵士がつい槍を振るってしまった。最悪なことに、槍の先が少年にしがみついていた彼の妹へと向かう。
「危ない!」
槍は、咄嗟に妹をかばった少年の背に突き刺さる。少年はごふっと血を吐きながらも少女に微笑みかけ、気力を振り絞って最期の言葉を告げる。
「逃げろ……アイ、リ……ス。生き、て……」
少年は力尽きて倒れた。少女の悲鳴がこだまし、少女も糸が切れたように倒れ込む。一瞬の静寂の後、奴隷達は怒号を上げ、兵士達に襲いかかった。
殺気に気圧される兵士達、溜まりに溜まった今までの鬱憤により我を忘れて武器を振るう奴隷達、そんな混乱の中冷静に行動を始める者達がいた。
「爺、子供らをダンジョンの入り口付近に集めろ」
白と黒の縞模様の毛並みを持つ獣人族の精悍な青年が、熊人族の年寄りに耳打ちする。
「若、どうするおつもりで?」
「子供らだけ山へ逃がす」
「魔の森へ……では、若もそちらへ」
年寄りが青年に視線で示すが、彼は首を横に振った。
「大将首代わりになるものがいるだろう。逃げたのが子供らだけであれば、あるいは奴らも見逃すかもしれぬ」
「そんな! 奴らも魔の森に分け入ってまで追ってきますまい!」
「耄碌したか? 集められた者達を見てみろ。戦闘能力が高い者達を集めたと言えば聞こえはよいかもしれん。しかし、その実は目が死んでない者を集めただけだ」
「ダンジョンを攻略するためでは?」
年寄りの問いかけに、青年は再度首を横に振り、確信している様子ではっきりと告げる。
「……目が死んでいない者とは、奴隷になってなお反骨心を持っている者等、奴らにとって扱いにくい者だ。奴らが我らを生きて返すと思うか? これはダンジョン攻略を条件とした恩赦などではなく、ただの処刑だ。戦士が登れば矢を浴びせられ、子供らは死ぬ」
「まさか……」
「もう時間がない。これ以上の問答は無用だ。クロはいるか」
「ここに」
青年から呼ばれた瞬間、真っ黒な毛並みを持つ獣人族の男が彼の前に片膝をつき頭を垂れた状態で現れた。
「リオンを頼む。奴らに見つからずに登れ。殉死は許さぬ」
「……承知。御武運を」
「兄上! 僕も──」
リオン──青年の弟であり、彼と同じ白黒の縞模様の毛並みをもつ少年──が何かを言いかけるが、クロが当て身で彼の意識を刈り取り背中に担いだ。
「クロ、任せた。輜重隊はダンジョン入り口で子供らに食料を分けつつ、登るのを手伝え!」
「若はどちらへ!?」
青年は剣の切っ先を最も混戦となっている中央へと向ける。
「子供らに矢が向かぬよう、派手に暴れる!」
「お供します!」
「好きにしろ。早く死にたい奴は付いてこい!」
「「「「「御意!」」」」」
青年と彼に付き従う者達は、死地へと向かって突撃する。子供達が崖を登る時間を稼ぐために。