単の力
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
ふう、寒い寒い。上着選びも一苦労ね。
あなたもちゃんと着るものは用意している? もしたたみっぱなし、干しっぱなしのものがあったとしても、それなりの周期で、しっかり買い替えた方がいいわよ。思わぬ傷みが来ていたりするから。
――「いやだ、面倒くさい」って顔をしてる。
う〜ん、男の子ってどうもそのあたり、無頓着というか無神経というか、気にしない人が多いわねえ。
何というか、開放的って奴? 隠す気も必要も、ほとんどなくてオッケーっていうの、女から見ると、うらやましく思えることがあるわよ。
――どうしたの、変な顔してこっち見て? 女は普段から隠すことに長けているけど、見せたがりな気持ちもあるのよ?
スカートの丈を短くしたり、肩をちらりと出したりするのも、アピールしたい内なる願望の表れってわけよ。嫌な目で見る人もいるけど。
服を着ること。これは歴史ある、デリケートな問題。
厚着をしてしまいがちな今の時期だからこそ、ちょっと耳にして欲しい昔話があるんだけど、聞いてみない?
むかしむかしのお正月。それは、とある村の大きな家にとって、一年の中で最もにぎやかさを増す時期でもあります。
かつて、七人の子供を育てる夫婦がそこに住んでおりました。しかし、全ての子供たちがそれぞれ所帯を持ち、家を出ていくと、彼らがそろう機会は限られます。
すでに祖父はなく、広い広い家の中、普段は祖母と数人の侍女たちのみが暮らしていました。
祖母は毎年子供たちを、十二単をまとった姿で出迎えます。そして、年端もいかない孫たちを「ぎゅっと」ひとりずつ抱きしめていきながら、「あけましておめでとう」のあいさつをするのが、通例でした。
孫たちも祖母に抱きしめられることが好きだったそうです。
おばあちゃんの十二単は格別に暖かいと評判で、寒いところを移動してきた孫たちは抱きしめられることを歓迎していたとか。
やがて家の中で食事が始まります。
二十人以上が座るのは、何台も連ねたこたつの中。それで足元を温めながら、正月の料理を食べつつ談笑するのが、通例になっています。
一番の上座に位置する祖母は、この時、十二単をある程度脱いでしまっていました。「五単」ともいうべき、五枚重ねの格好になっており、残りの七枚の袿は、それぞれの家の子供たちの元へ配られています。
肩から羽織ると、これがまた暖かいこと。まるで肩から背中にかけて、程よいこたつの熱と一緒に、ぽかぽかと血のめぐりを良くしてくれる。これに食事が伴って、お腹にも血が集まり、子供たちは眠気にいざなわれるままにぐうぐうと寝入ってしまいます。
そして、子供たちはそれぞれの寝床へ運ばれて、大人たちが子供たちの前ではできないような愚痴や世間話をする、というのが毎年の恒例だったのです。
けれども、ある年のこと。
いつもは日帰りする七つの家族のうち、末の孫がいる家族が、祖母の家に留まらないといけない事態になりました。
その家族は行き帰りの途中で、大きな川を渡っているのです。しかし、ご近所さんから回ってきた話によると、川が増水して流れが増し、人を渡すのは危険ということで船の運行を見合わせているとのことでした。
幸い、父親の仕事初めまでは時間があり、祖母の家へ泊めてもらう運びになったのです。
末っ子は喜びました。彼女はまだ五つになろうかという幼さでしたが、すでに今でいう冷え性に近い体質が、見受けられたとのことです。すぐに手足が冷えてしまい、手袋などの防寒対策をしても、年明けの寒さは、彼女にとってつらいものでした。
それだけに、暖かさがいっぱいの祖母の家に留まることができるのは、彼女にとって願ってもなかったことなのです。
今までは七つの家庭に分け与えられていた、七つの単。それをひとりじめできる、千載一遇の好機なのです。
彼女は泊まりが決まった晩、祖母に頼み込んで、その単のすべてを布団に使ってみました。
彼女が布団へ求めるもの。それは何よりも、重さでした。
自分の身体によって、簡単にはねのけられるものでは、熱も簡単に逃げ出してしまいます。
閉じ込めるもの。熱も身体の自由も何もかも、その重さによって押さえつけ、逃がさないでいられること。
それが成されて初めて、眠っている時の無防備な自分の身体を、預けるに足るものとなる。彼女は幼い身ながら、すでに布団に対してそのような条件を求めていたそうです。
その点、祖母の七つの単は及第でした。
ずっしりと身体を押さえつける重さは、一度、お試しで、彼女が自分の家で持っている布団を、すべて重ねた時と同じくらいだったのです。
あの時は、家族すべての布団だったこともあり、ほんの一時だけですぐに取り上げられてしまいました。
でも、祖母の宅にいる今ならば、次の日に目覚めるまで、気兼ねなくこの重さを独占できます。期待に胸を膨らませながら彼女は横になりましたが、心からにじんでいた安堵感は、時間と共に薄れ始めてきたのです。
原因は、熱離れでした。
四半時ほど楽しんでいた暖かさが、今やすっかり消えてしまっているのです。
単の中にこもった熱に、身体が慣れてしまった、とも考えました。けれども、手足の冷たさはごまかせません。
――これじゃ、手足を外に放り出したまま、眠っていることと変わらないじゃん。
祖母に抱きしめられた時には、確かに眠たくなってしまうほどの暖かさがありました。みんなで食事を取る時、単を貸してもらった時も然りです。
一枚の単の方が暖かくて、七枚の単の方が寒くなるなんておかしいと、彼女は感じました。
そして思ったのです。暖かさの源は、単たちではなく、それをまとう祖母自身にあるのではないかと。
手足の冷えに押されて、彼女はふらふらと、でも足音を忍ばせて祖母が眠る部屋まで行き、ふすまを開けます。
部屋の真ん中には先ほどまでの自分と同じく、単を布団にして寝息を立てている祖母がいました。
近づいて数えてみると、その枚数は五枚。暗闇に慣れた目は、その単の色合いが昼間に来ていたものと一致しているのを、見て取りました。きっと着ていたものを、そのまま体へと掛けているのです。
彼女は単越しに、祖母の上へ寝転んでみました。
背中から湧き上がる暖かさ。それは食事の時に羽織った時に感じた熱を、まったく失っていませんでした。
祖母は息を乱す様子が見えません。このまま単を拝借し、横で眠るのもいいかと思いました。けれど、祖母の身体を離れて自分が使ったとたん、やはりぬくもりが、時間と共に逃げていってしまいます。
――おばあちゃんの身体って、どれだけ暖かいんだろ?
彼女は残っている祖母の単を、一枚一枚、苦労してはがしていきます。下にいけばいくほど、単自身の暖かさと共に、重さが増しているのを感じました。
最後の一枚など、彼女の腕力では、少しまくり上げては休み、また少しまくり上げて……の繰り返しになってしまいます。
熱に関しても、ずっと握っていることができないほどの、熱さがたぎっていたためもあるとか。
そうして、すべての単をはがされてしまった祖母。下から出てきたのは、白い寝間着を身に着けた細い身体でした。
彼女はそっと、おばあちゃんのお腹の辺りに、すっかり冷えてしまった手を当ててみます。
火鉢に手をかざしている時のような暖かさが、指先に、手のひらに、まんべんなく広がっていきます。
冷えに縮こまっていた神経の喜びが、腕を伝い、肩を通して、胸へ注がれていく感触に、彼女はとろけそうになってしまいました。
もう、遠慮しません。ぬくもりの待ちぼうけを食い続けた両手、両足を順番に、柔らかく祖母のお腹へ乗せていきます。その安らぐ感じは、決してこたつに劣りません。
そして身体が暖まれば、頭もまた動いてしまいます。
――もしも、おばあちゃんの上に寝そべったら、どうなるだろう。
そんな気持ちに押されるまま、彼女は祖母を、あたかも敷き布団にするかのようにして、寝転びます。足の先を合わせると、ちょうど自分の頭は。おばあちゃんのみぞおちあたりに来ました。
みぞおちを刺激される辛さは、彼女もすでに知っています。「せきこんだら、起こしちゃうかも」と気を回し、ずりずりと少し身体を上へずらしました。
そこはおばあちゃんの胸です。今よりもっと小さい頃、身体を洗ってもらう時に、ぶらんと垂れ下がる乳房を見て、へちまみたいだなあと思ったことがありました。
そのしわだらけの双丘に、頭を沈める彼女。
そこはお腹よりももっと熱い。なのに、不思議と眠気が襲ってくるのです。自分の背中も全面も、すべてがぬくく、気持ちよさに満ちています。
――布団がなくても、朝までぐっすり眠れそう。
彼女が重くなってくるまぶたに、その意識をゆだね始めたのですが、その矢先。
バリっと、自分の後頭部から音がしました。
驚いて頭を上げ、祖母の胸を振り返ると、そこにははだけた祖母の胸の谷間に広がる、唇が見えたのです。むぐむぐと動く合わせ目からは、黒い髪の毛が芝のように飛び出しています。
手をやると、後ろの髪の毛の一部がなくなっていました。
悲鳴をあげかけたところで、かっと祖母が目を開き、孫の口を押さえます。
「――見たんだね?」
祖母の問いかけに、彼女はこくん、こくんとうなずくよりありません。
「うるさくしないようにね」と祖母は、自分の寝間着を合わせて、胸の口を隠します。
詳しいことは話してもらえませんでした。ですが、単で押さえておかないと暴れ出しちゃうから、今度からこんなことはしないでね、と釘を刺されて、彼女は部屋を追い出されたそうです。
あの単の熱は、祖母の胸にあるあの口からもたらされたんじゃないか。
そう思った彼女は、祖母が亡くなるまで、あの単に抱かれたり、羽織ったりことはしなくなったそうです。
けれど、亡くなられた祖母の胸の間には、彼女が見たような口は開いていなかったのだとか。