後部座席
「そういやぁ、あそこにちっちゃい山あるじゃん? あそこさぁ……出るらしいぜ」
大学の友達5人で集まって宅飲みをしていると、不意に山崎が窓の外を見ながらそう言った。
「出るって?」
「決まってんだろぉ~? コレだよ」
そう言って、山崎は胸の前で両手を下に向けてプラプラと振ってみせた。
「幽霊? おいおい、夏の夜だから怪談でもやろうって言うのか?」
日本酒が入った紙コップを傾けていた、この家の主である進藤がめんどくさそうな顔をしてそう言うと、山崎は「いやいや」と手を振った。
「別にそういう訳じゃなくてさ。これはサークルの先輩から聞いた話なんだよ。どうもその先輩が実際に見たらしいんだよねぇ」
「へぇ? それはちょっと面白そうじゃん?」
ウイスキーを飲んでいた木下が真っ赤な顔でそう言うと、山崎はいい聴衆を得たとばかりに笑って話し始めた。
「なんでもあの山には頂上付近に祠があるらしいんだけど、丑三つ時にその祠に向かって山道を車で登って行くと、いつの間にか後部座席に知らない女が乗ってくるんだってさ」
「はい、ありきたり。10点」
「ちょっ! ヒドッ!!」
「安心しろ、1000点満点だ」
「なおさらヒドイわ!!」
進藤の辛辣なツッコミに、5人全員声を上げて笑う。
一通り笑った後で、安田が目の端に浮かんだ涙を拭いながら続きを促した。
「そ、それで? 先輩が実際に見たのか?」
「あ、ああ……サークルの先輩達で実際に行ってみたら、山道を8割くらい登った辺りで本当に出たらしい」
「ほ~ん、やっぱり白い服着た長い黒髪の女の人だったんか?」
「いや、意外と普通の恰好した女の人だったらしい。だからこそ先輩達は幽霊じゃなく、知らない女って言ってたんだが」
「ふ~ん、それはちょっと珍しいな。20点」
「おっ、ちょっと上がったじゃん」
「いや、でも1000点満点中20点なんだろ?」
「いや? 5000点満点だが」
「下がってんじゃねぇか!!」
また皆で笑った後で、安田がもう一度話を戻す。
「それで? 乗ってきてどうなるんだ?」
「ん? 別に何も」
「え? 乗りっぱなしってこと?」
「いや、何か後部座席に座ったまま何もない空中をじーっと見詰めてたと思ったら、しばらくしてスーって消えていったらしい」
「何だそれ? ならやっぱり幽霊なんじゃね?」
「う~ん、まあ普通に考えればそうだよなぁ」
山崎がそう言って紙コップを傾けると、進藤が日本酒を手酌で注ぎながら言った。
「……で? オチは?」
「え? 今ので終わりだけど」
「何だよ。後になって一緒に乗っていた人間が次々と変死したとかいうことはないのか」
「いやいや、そんなことになってたら大学中で噂になるわ!」
「何だ、やっぱりつまらんな。5点」
「いや、怪談なんかにいちいちオチを求めるなよ! これだから関西人は! あぁいいよ、そんなにつまらないって言うんなら今から行こうぜ!」
「おいおい今から行くって……そもそも、丑三つ時って何時だっけ?」
「たしか午前2時だな。今から車で行けば大体そんなもんじゃね? という訳で森野、車出してくれ」
「ちょっ、マジで行くのかよ?」
急にフラれて焦る。
たしかに俺はこの家に車で来ていた。それに帰りも運転出来るように1人だけジュースを飲んでいたので、俺の他に車を運転出来る奴はいない。
「いやぁこの流れはもう行くしかないっしょ」
「まっ、ちょっとした肝試しだと思えば面白いんじゃない?」
山崎と安田は完全に乗り気だった。
正直こんな夜に山道を運転したくない俺は、何とか2人を説得しようとしたのだが、俺が声を上げる前に木下が立ち上がった。
「よぉ~~っし、じゃあ行こうぜぇ~~っとと」
「おいおい、大丈夫か?」
立ち上がってすぐにふらついてしまった木下を、隣にいた進藤が慌てて支えた。
進藤に寄り掛かった木下の顔は既に真っ赤っかで、目の焦点が微妙に合っていなかった。
「だ~いじょうぶ、らいじょうぶだっつーーの」
「いやいや、どう見ても大丈夫じゃないだろ。ったく、俺はコイツを見ておくから、3人で行ってこいよ」
「おいおい進藤、お前が来なきゃ意味ないじゃん」
「俺はそんな都市伝説興味ないよ。大体、今の話の内容が正しいなら、後部座席を1人分は空けておかなきゃならないだろ? お前と安田、そして運転する森野。ちょうどピッタリじゃないか」
「あぁ……まあ、それもそっか……いや、でも……」
「まあまあ、今ここで問答してたら時間が過ぎちゃうぜ? どうせ運転出来んのは森野だけなんだしさ」
「むう……仕方ないか、じゃあ森野、頼むわ」
いつの間にか行くことが決定事項になっていた。
俺は溜息を噛み殺しつつ、渋々腰を上げた。
「じゃあな、気を付けろよ」
「うぅぅーーーん」
進藤と、木下の呻き声に見送られて家を出る。
だが、いざ車に乗るという段になって少し問題が起こった。
「おい、どっちが後部座席に座る?」
山崎の声に、安田がピタリと動きを止める。
まあたしかに、噂が本当なら、後部座席に座っていた奴はすぐ隣に幽霊が出現することになるのだ。そんな展開は流石に御免だろう。
「ここは言い出しっぺのお前が後部座席に座るべきだろ」
「いや、それとこれとは話が別だろ」
「いやいや」
「いやいやいや」
「あぁーーーもう、めんどくせぇなぁ! じゃんけんしろ、じゃんけん!」
結局、じゃんけんの結果、後部座席には安田、助手席に山崎が座ることになった。
ところが……
「おい、何でそっちに座るんだよ!」
安田は運転席の後ろ、つまり俺の後ろの席に座ったのだ。
「これじゃあ俺の真後ろに誰かが乗ってくるじゃねぇか!」
「ふん、言い出しっぺなんだからそれくらい我慢しろ」
「はいはい、もういいから出発するぞ」
内心自分の横と背後が埋まったことに少し安堵しつつそう促せば、山崎も渋々助手席に乗り込んできた。
それを確認すると、俺はカーナビを起動させ、ゆっくりと車を発進させた。
カーナビを頼りに車を走らせると、ものの10分で山道の入り口まで辿り着くことが出来た。
「うわっ、暗いなぁ。……本当に行くのか?」
「ここまで来て何言ってんだよ。行くに決まってるだろ?」
「流石にあんな言い方してやっぱり行きませんでした、じゃあ進藤に何言われるか分からないだろ」
2人に口々に言われ、俺は渋々アクセルを踏み込んだ。
車のライトをハイビームにして、ゆっくりと山道を登って行く。
カーナビによると、山頂付近にある祠までは一本道らしいので迷う心配はないが、道が曲がりくねっているので少し危ない。
「それにしても、進藤を連れて来れなかったのは残念だったなぁ。俺、あいつ実はああ見えてビビりなんじゃないかと疑ってたんだけどな」
「ははっ、それはあり得るな。本当はビビってたんだけど、必死に平気なフリをしてたってパターン」
「だろー? もしかしたらあいつ、ここに来てたら滅茶苦茶怖がってたんじゃね?」
運転に集中して会話する余裕のない俺を置いて、酔っ払い2人が盛り上がっていると、不意に景色が開けた。
「おお……!」
「へえ、キレイだな」
そこは崖沿いの道で、町の夜景が一望出来るようになっていた。
しばし3人、言葉もなく見惚れていると、また道は林の中に突入して辺りは暗闇に包まれた。
「スマン山崎、あとどれくらいだ?」
「ん~? まあ今で大体半分くらいじゃないか?」
カーナビを確認した山崎がそう言うと、背後の■田が声を上げた。
「思った以上に早いな。なあ、こんなに夜景がキレイなら、いっそのこと山頂まで行ってみないか?」
「ははっ、まあこのまま何もなければな」
と言いつつ、俺はもう都市伝説の話など半ば忘れ、先程の夜景の見事さに意識を奪われていた。
一緒にいる他の■人もそれは同じらしく、俺達はしばし無言で車を走らせた。
「結構進んだな。そろそろ山崎が言ってた辺りじゃないか?」
「ん……そうかもな、別に今のところ何にもないが」
「だよなぁ」
ルームミラーで確認してみても、後部座席には■■以外には誰も座っていなかった。
少し拍子抜けな気はするが、まあ都市伝説なんて所詮そんなもんだろう。
「まあさっきの夜景を見れただけでも、ここに来た甲斐はあったよな。どうだ? いっそのことこのまま山頂まで行ってみないか?」
「ははっ、まあこのまま何もなければな」
そう答えつつ、俺はそれもいいかもしれないと思い始めていた。
先程の地点であれだけキレイだったのだ。山頂まで行ったら、どれだけ広大な夜景が拝めるのだろう。
そんな風に思っていると、不意に山崎が緊迫した声を上げた。
「お、おい! 誰だよお前!!」
急な怒声に心臓が跳ね上がり、一気に空気が張り詰める。
山崎は背後を振り返りながら、誰かに向かって声を張り上げていた。
「まさか」「嘘だろ?」そんな言葉が頭の中に飛び交う。
それでも俺は、半ば祈るような気持ちでルームミラーを覗いて――――息を呑んだ。
俺の背後、誰もいなかったはずのその席に、見知らぬ男が座っていたのだ。
その男は山崎の問い掛けにも反応せず、目を見開いて空中の一点をじっと見詰めていた。
その異様な姿に呑まれたのか、山崎はそれ以上何も言わずに席に戻ると、緊張した声音で話しかけてきた。
「おい森野、もう後ろは見るな。しっかり前だけ見て祠を目指せ」
「い、いや、引き返した方がいいんじゃ……」
「先輩の話が本当なら、祠に近付いた時点で後ろのアレは消えるはずだ! いいから前だけ見て急げ!」
そうは言われても、気にならない訳がない。
しっかりとハンドルを握り直して運転に集中しようとしても、ついルームミラーに視線が行くのを止められない。
それからも背後の男は動きらしい動きを見せず、これなら何も起こらずに済むかも――――と思った瞬間、それは起こった。
バタバタバタッ、ギシッギシィ!!
「――――――っ!!?」
突然背後の男が手足をばたつかせ、シートベルトを外そうとしだしたのだ。
しかし、いくらボタンを押しても何故かシートベルトは外れず、今度は両手でシートベルトを掴んで抜け出そうとしだした。
しかし、シートベルトはいっそ不自然な程がっしりと男を座席に拘束し、ビクともしない。
そして、どこか怯えたような表情をした男と――――ルームミラー越しに、はっきりと目が合った。
「――――!!」
背後の男が、無音の声を上げながらこちらに手を伸ばしてくる。
「ひっ、ひぃ!」
男の手から逃れるように限界まで前傾姿勢になりながら、俺は必死にアクセルを踏んだ。
隣の山崎も、もはや声もなく必死にドアに身体を押し付けていた。
そして、背後から伸びてきた男の手が、俺の肩に触れようとして――――ふっと消えた。
「――――っ、はあっ、はあぁぁ」
いつの間にか止まっていた呼吸を再開し、必死に肺に酸素を送りながら、ゆるゆるとスピードを落とし始めると、不意に車のライトが小さな祠を照らし出した。
どうやらここが目的地らしい。
完全に車を停車させ、山崎と2人、荒い息を吐く。
「助かったぁ」
「ああ、まさか本当に出るとはなぁ」
思わず安堵の声を漏らすと、山崎が怖々と後部座席を振り返りながらそう呟いた。
俺はとてもではないが後ろを振り返る勇気など持てず、ただハンドルにもたれかかって心臓が落ち着くのを待った。
「……帰るか」
「……そうだな」
このまま道なりに進めば山頂に辿り着くはずだが、とてもではないがそんな気力は湧かなかった。
帰り道はお互い無駄口を叩くこともなく、まるで何かから逃げるように麓に向けて車を走らせた。
無事進藤の家に帰り着くと、山崎と2人揃って安堵の息を零してしまった。
恐怖と緊張でぐっしょりと汗をかいた体で、半ば転がり込むようにして部屋に入る。
すると、部屋の中では真っ赤な顔の木下がいびきをかいて寝ており、それに迷惑そうな表情をした進藤が迎えてくれた。
「おう、おかえり。……どうした?」
俺達の顔を見て、何かあったのだと察したのだろう。進藤は眉をひそめてそう問い掛けてきた。
しかし、俺も山崎も、実に平和な2人の姿に気が抜けてしまって、詳しい説明をすることもなくその場でへたり込んでしまった。
そんな俺達を怪訝そうに見詰めながら、進藤が「あっ、そうだ」と声を上げた。
「さっきあの山についてネットで調べてたんだが、どうやらあそこの祠、昔この辺りに住んでた村人達が荒神を祀ったものらしいぞ」
「……荒神?」
辛うじて目線だけそちらに向けてそう言うと、進藤は「あぁ」と頷いた。
「昔天災が起こるたびに、村人達はそれを荒神の仕業だと考えて、あの祠に天災を鎮めてもらえるよう祈念したらしい。そして、その荒神に捧げるための人柱を、縄で縛った状態で荷車に乗せて運んでいたんだとさ」
「あぁ……そう……」
もしかしたら、あの男はその人柱にされた人間の霊だったのかもしれない。
しかし、今となってはそんなことどうでもよかった。
「それで? お前らは一体何があったんだ?」
「あぁ……ゴメン、その前にちょっと水を……」
とりあえずのどを潤そうと紙コップを手に取ろうとして、ふと違和感を覚えた。
「……? なあ、この紙コップ誰のだ?」
俺達は4人しかいないのに、何故かテーブルには5人分の紙コップがあったのだ。
俺の紙コップの隣にあるその紙コップには、飲みかけのカクテルが入っていた。
それを見て、進藤も首を傾げる。
「さあ? 誰かが新しく出したんじゃないか?」
「……そうか。まあこれでもいいか」
「おい、酒飲んでいいのかよ」
「あぁ車……まあいいや、こんなの飲まないとやってらんねぇよ」
そう言うと、俺はその飲みかけのカクテルを一息に飲み干した。