フイユタージュ
「ロールケーキ、止めたら?」
「…………」
ちょうど午後の仕事が一段落し、僕は会社の屋上の片隅で『一ロール』しているところだった。青と白が混ざり合ったどんよりとした曇り空の下で、僕がぼんやりとクリームを混ぜながら上の方を見上げていると、彼女が突然目の前に現れてそう言い放った。普段は誰もいない時間帯なので、僕は吃驚して体を飛び上がらせた。
「……何だい?」
「ロールケーキ。体に悪いわよ」
彼女は僕の目の前で、仁王立ちしてそう繰り返した。僕は白いホイップを絞り出した。彼女が僕を睨み返した。
「今更……そう簡単に止められるモンじゃないよ」
休憩中に定められた喫ロール場所でロールケーキを作ったって、咎められる筋合いはない。
確かに今は時代も変わって、ロールケーキ作りは害悪だと言う声の方が大きくて、肩身の狭い思いをしなければならないが……。目の前に現れた、名も知らぬ彼女もその一人なのだろう。何かロールケーキに恨みでもあるのだろうか。彼女は口を尖らせて言った。
「だって、健康に悪いじゃない。お金だって馬鹿にならないし……」
「君、全員にそう言って回ってるの?」
「第一、休むにしたって効率が悪いわ。貴方がこうやってロールケーキ作りに行ってる間にも、下の階では仕事が山積みで、時間はずっと流れてるのよ。みんなに悪いと思わない?」
「おいおい……だって休憩時間だぜ。仕事中にロールケーキ作って咎められるならまだしも……」
「何か、他にないの?」
「他?」
僕は首をかしげた。彼女は少し俯きながら、つまらなそうに吐き捨てた。
「スポーツとか、ギャンブルとか、スマホのゲームとかさ……気を紛らわすものなら、他にいっぱいあるじゃない」
「そりゃあるけど……」
それでもやっぱり、僕はロールケーキが好きなのだ。気がつくと、やっている。依存症とか、習慣だとか、色々理由は考えられるんだろう。彼女の言うデメリットも、十分理解できている。僕はもう一本、スポンジに手を伸ばした。彼女はますます険しい顔になって僕を睨んだ。
ふと、僕は彼女の手の甲に小さな火傷の痕があるのを見つけた。
「それ……」
僕が指さすと、彼女はさっとそれを隠してしまった。彼女は少し悔しそうに唇を噛んだ。なるほど、僕は気が付かぬうちに彼女の古傷に触ってしまっていたのだと、申し訳ないことをしてしまったと、胸が少しだけ痛んだ。
「…………」
「…………」
しばらくの間、僕らは黙って無駄な時間を過ごした。ボウルの中で、不完全に混ざり合ったクリームが甘い匂いを鼻先まで運んで来た。彼女は足元を、僕は曇り空を眺めながら、時間だけがずっと流れては消えていった。
「……分かった。もう君の前では作らない」
「…………」
「…………」
それから彼女は黙ったまま、屋上を後にして、効率の良い時間が流れる方へと戻っていった。僕は作りかけのロールケーキを胸ポケットの中に強引にしまいこんで、しばらく胸がドロドロに汚れたまま、屋上から曇り空を眺めていた。




