【2】スペックは高くてもニートはニート。
町を出て、熊が出るという森に向かう。
通い慣れた道だ。
通い慣れたと言っても、月に二度通るかどうかだが。
一度の依頼でも、一月の半分程度は遣り繰り出来る報酬が出る。
冒険者には危険が付き物なので、ギルドの依頼には一定の報酬が保証されていて、怪我などを負った時などは万全な状態に回復してから次の依頼を受けることができるのだ。
それに、ギルドの依頼を受けた場合のみ、ギルド専属の回復術師から治癒を受けることが出来る。
町には野良の回復術師も居るが、治癒費には報酬の半分を持って行かれる。
まあ、俺の報酬の半分だから、中級以上の冒険者には、痛くも痒くもない程度の金額なんだろうな。
ギルドには全部で10のランクがあるが、俺はそのランクでも下から2番目のブロンズ級に属する。
下から数えたほうが早いのだから正しく底辺冒険者と言って差し支えない。
ブロンズの上のアイアン級くらいなら、頑張れば成れると思うが、試験だの何だのを頑張るのは正直面倒だ。
頑張りたくないし、働きたくないのだ。
ブロンズでも、月に二度働けば生きていけるのだから、それで良いじゃないか。
贅沢できないし、宿もおんぼろだし、着替えも無いけれど、それで困る人が何処に居るんだ?
困るとして、それは俺なのだから、俺がそれで良いなら良いじゃないか。
誰に責められた訳でもないのに、いつの間にか言い訳をしてしまった。
身の振り方に不満があるのは誰でもない、俺自身なのかもな。
でも、働きたくないんだよなぁ。
町を出て四刻程経った頃、森に到着した。
すっかり太陽は真上に上っている。
暑いし、喉が渇いた。
今朝、最後の一滴を飲み干してから、何も口にしていない。
森に入ったら、先ずは川に行って水を飲もう。そうしよう。
久し振りに体も洗えるぞ。
着替えはないけど。
広い森だ。
依頼の標的を探すのはそれなりに時間が掛かるだろう。
そう急ぐことはない。
水を飲んで、果物を探して腹を満たす。それから依頼を達成させれば良い。
何度も来ている森だから、川の場所も知っている。
捕れる魚も知っている。
森の奥には果物も実っている。
標的が何処に出没するかも、粗方検討が付いている。
日が落ちるまでに町に帰れるようにしよう。
保存食用に果物を集めて帰るのも悪くない。
食べ物のことを考えると、腹は余計に空いたがやる気も湧いてきた。
ガサガサと木々を掻き分けて川を目指す。
どうせ飲むなら綺麗で旨い水が良い。
少し奥の方を目指そう。
俄然やる気が出る。
森に入って一刻経っただろうという時、俺の耳に水の流れる音が届いた。
思わず足が速くなる。
喉はもう限界。
段々と水の音が近くなり、ようやく拓けた場所に出た。
その瞬間、俺は目を奪われた。
川の中で身体を洗う、女の子の姿に。
「誰!?」
俺の方を振り返り、身体を隠す女の子。
急いで彼女に背を向ける俺。
何故こんなところに女の子が?
何で女の子一人で水浴びなんか。
それにこの子……
「あ、ご、ごめん!」
「誰なのかと聞いているのよ!私を追ってきたの!?」
女の子が怒鳴りながら近付いて来ている。
バシャバシャと水が跳ねる音が聞こえ、段々と声が近くなる。
「お、俺の名前はハルベルト。この森の北にある町に住む冒険者だ!今日はこの森に出るっていう魔物を討伐しに来たんだ!」
君を追ってきたんじゃ、と言いかけたところで、俺の喉元にヒヤリとした何かが当てられた。
「動かないで。私が少しでも腕を引けば、あなたの喉から血が噴き出すわよ」
背後からの殺気に、ゾクリと身が震えた。
この子、本気だ。
俺の喉元には、ナイフが充てがわれている。
彼女が僅かでもナイフを引けば、俺は死を免れないだろう。
「あなた、とても弱そう。防具もあなた自身も貧相だし、それに、あなた臭いわ」
「し、暫く体を洗ってないから」
ぐっ、と、当てられたナイフに力が入った。
「喋らないで。私が質問します。あなたはそれに、はいかいいえで答えなさい。余計な事を喋れば、ナイフを引きます。良いですか?」
「は、はい」
俺は女の子相手に身動きが取れなくなってしまった。
「その前に、この体勢は辛いわ。跪いて、頭を垂れて、両手を後ろで組みなさい」
俺は言われるまま膝を下り、跪く。
ゆっくりと頭を傾け、両手を後ろで組んだ。
「それでは質問します。良いですか?」
「はい」
「あなたは、追っ手ですか?」
「いいえ」
「サルディアンという男の名を知っていますか?」
「いいえ」
「タルシュットという街の名を知っていますか?」
「はい」
また、ナイフに力が入る。
薄皮が一枚切れたようで、じわりと滲んだ血が、首を伝って眼下に落ちた。
ヤバい。
これはヤバい。
彼女が何者かは知らないが、下手にはいと答えるだけで、首が切られる可能性があるぞ。
なんとか、俺は無関係だと。
君に危害を加えるつもりは無いと弁明しなければ。
「私の身体を見ましたか?」
「は、はい」
ちょっと待て。
今のはどういう質問だ?
見た奴は殺すとか言うんじゃないだろうな。
確かに見たけど、それは不可抗力ってやつで。
「私の身体は、美しかったですか?」
……どうする。
これはどっちが正解だ。
はいと答えたら、「よくも私の身体を見ましたね。死になさい」って言われそうだし、いいえと答えたら、「よくも私を辱しめましたね。死になさい」って言われそうだし。
第一、この子は、まだ10歳くらいだ。
美しいと言ったらそういう意味で身体を見たと思われるかもしれない。
それに話し方からすると、良いとこのお嬢様って可能性もあり得る。
美しくないと言ったら侮辱と取られる可能性がある。
これはどっちが正しいんだ……
「答えなさい。私の身体は、美しかったですか?」
「……いいえ」
あの一瞬で見た光景が真実なら、選択肢としては此方が有効。……だと思うんだけど、どうだこれはぁ……
「……そう。そうですか。そうよね」
「私の身体は、美しくないわよね」
そう言った彼女の腕から力が抜け、ナイフを持った腕はだらりと垂れ下がる。
とその時、俺達の眼前、木々の中から、突如一匹の熊が現れた。
「!?」
「え?」
ヤバい! 女の子に気を取られ過ぎて、辺りへの注意が散漫になってたか!
こいつが俺の今回の標的!?
現れた熊は俺の身長よりも大きい。
今朝、ギルドで俺に突っ掛かって来た男といい勝負だ。
こんなのが小型だって!?
明らかに大人じゃねぇか!
ギルドの連中はどんな報告受けて依頼を発行しやがった!クソッ!
突然現れた熊に驚き身動きが取れない女の子と、跪いたままの俺。
状況は圧倒的に不利。
俺と熊の距離は二歩分もない。
焦りながらも俺は左手で女の子を突き飛ばす。
バシャッと大きく水が跳ねる音。
彼女を突飛ばすと同時に、右手で自らの剣を抜く。
片膝を立て、そのまま熊の胴体に斬りかかった。
熊は俺の動きを捉えると、大口を開いて牙を剥き出し、俺の首を狙って飛び掛かる。
グシュッ、という鈍い音と同時に、血飛沫が上がった。
「こんな時に何をするのよ!? 危ないじゃない!……え?」
川から身を起こした女の子が再び俺を怒鳴り付ける。
と同時に、間抜けた声を出した。
俺と彼女の見つめる先。
熊の胴は二つに分かれ、辺り一面が熊の内臓や体液で真っ赤に染まっていた。
「これ、あなたがやったの?」
「そ、そうだけど、それが何か?」
視線を落とし、彼女の身体を直視しないようにする。
ただし、今度は背後を取られないように。
「あなた、実は強いの? 魔物を一撃で真っ二つにするなんて。それも、そんな剣で」
俺が持っていた剣は、刀身が錆びてボロボロだった。
剣としての役割をとてもじゃないが果たしてくれそうにない。
「ちょっと、訳があってね」
というかこの子、魔物の死体を見てもちっとも怯まないんだな。
どんな環境で育ったんだ。
それに身体の事といい。
「ねえ、あなた」
再び俺に近付いてくる女の子。
俺は直視しないように気を付けながらも、牽制する。
「な、なんだい?もう、背後を取らせたりしないよ。さっきは、少し驚いて警戒が足りなかったけど……」
「そんな事はどうでも良いわ。あなた、私の為に働きなさいよ」
え。
え、何で。
「私の身体。見たでしょう?この傷だらけの身体を」
……はい。
見ました。
見ましたけど……
彼女の身体には、無数の傷があった。
切り傷。火傷。肉を無理矢理千切ったような跡も。
身体中、大小の痣や傷が残っている。
治癒魔法でも治せない、もう元に戻らないような傷が。
「私、追われているの。私の飼い主から。私の身体をこんなにした。私の家族を殺した。私の飼い主から」
ヤバい。
ヤバいヤバいヤバい。
この子、絶対ヤバい!
絶対に関わっちゃいけない子だ!
「私の身体を見たばかりか、私の秘密まで知ったのだから、あなたは私に償うべきだと思うの」
ええぇ!?
身体は見たけど、秘密を話したのはこの子の方からだし。
償うって何させられるの。
また殺されかけるんじゃないかこれ。
それも、最悪その飼い主って奴に。
「私、モニカって言うの。元奴隷のモニカ。宜しくね? 小心者のハルベルトさん」
「私への償いとして、これから一生懸命働いてくれるわよね?」
……ヤバい。
俺、働かなきゃいけないかもしれない……