【1】働かなくても腹は減る。
今日も食い物に有り付けなかった。
もう三日も水だけで腹を満たしてる。
いや、考え方によっちゃ、水が有っただけマシだった。
何故なら、その水が今尽きたところだからだ。
「働かなきゃなぁ。はぁ。嫌だなぁ」
グゥゥと腹を鳴らしながら呟いた。
安宿の一室、その板張りの床でゴロゴロと身を捩る。
部屋の中には、俺が生きるのに必要最低限の物しかない。
剣に、盾に、弓に、銅板を打って拵えた軽鎧。
食器の類いや、寝具などは手放して久しい。
着替えは無い。どころか風呂に入った記憶も暫く前のことだ。
着ている麻の服はくたくたに縒れて薄汚れている。
これは必要最低限以下の物もないと言えなくないな。
いや、そんな事はない、ハズだ。
現に俺はこうして生きている。
飯も碌に食えていないが。
「はぁ、行くかぁ。よっこらしょっと」
強張った体を起こし、大きく伸びをする。
体を解し、装備を整える。
整えると言っても今着ている麻の服の上に銅の鎧、それも胸当てを被ってそれで終わりだ。
「はぁ。働きたくないでござる……」
宿を後にして、冒険者ギルドへと向かう。
ゆっくりと登って行く太陽が眩しい。
とぼとぼと歩きながら、どんな依頼があるかと想像する。
近場で討伐系の依頼があれば良いな。
討伐は良い。
この辺りには強い魔物はいないし、死骸も素材になる。
持ち帰るのが億劫だが、大型の魔物でもない限り、苦労はしない。
護衛も悪くない。雇い主に毛嫌いされることはあっても、報酬と食い扶持には困らなくなる。
同時に宿の心配もない。
相手が良ければ幌馬車の中で寝かせて貰えるし、たとえ商人などでも、俺が毛布一つ持っていないと見れば、薄布の一枚くらいは貸してくれるだろう。
ただし採集依頼、こいつはダメだ。
採集系は嫌だ……報酬が少ない上に、動き続けなければいけない。
どう考えても労力と報酬が釣り合わない。
採集は嫌だ。採集は嫌だ。
ブツブツ呟いている間にギルドに着いた。
扉を開くと、正面には依頼を受け付けるカウンター。右手に依頼書が貼り出してある掲示板。左手には酒場兼情報交換や仲間を集める為のスペースがある。
さらにその奥に、ギルドからの指名依頼を受けた者だけが通される特別待遇の接待部屋がある。らしいのだが、俺のような木っ端冒険者には無縁の場所だ。
ギルドの様子を一眺めした後、掲示板に向かう。掲示板の前には、屈強な中堅冒険者達がたむろしていて、近付く俺をギロリと一瞥してくる。
何だよ、睨まなくても良いじゃないか。
と、その冒険者の中から一人、特に体躯のでかい筋骨隆々の男が俺に近付いて来た。
「ようよう、ハルベルトじゃねぇか。随分と久し振りにおめぇの面を見た気がするが、なんだまだ生きてたのか。とっくの昔に魔物に食われたか、それかあのおんぼろ宿で干からびちまってるんじゃねぇかと仲間と笑ってたんだよ」
嫌みったらしく話しかけてる男。
こいつの名前は、名前は……何だっけ?
「相変わらず、ブロンズプレートなんてひょろっちい物使ってんのか。俺なんて、ホレ、見ろよ。このスチールアーマー。それも俺の体に合うように造らせた、特注品だぜ。この間北の洞窟で大型のサソリを討伐した報酬で拵えたんだ」
鈍銀に輝く胴鎧を見せ付ける男。
鋼を力強く打ち付けた、スチールアーマーは、いかにも防御に優れていそうで、そのぶん値も張る代物なのだろう。
俺にはよく分からんが。
何せスチール系の武具など、目玉が飛び出るような値段の物が殆どで、胴の胸当てを年中使っている底辺冒険者の俺には、到底手の届かない逸品だからだ。
いや、大型の魔物を討伐するような依頼をそもそも受けたことのない俺には、元々無用の長物なんだけどな。
そんな高価な鎧を特注で造れる程の報酬の魔物だ。
恐らく大層強力な魔物なんだろう。
何だよ大型のサソリって。
絶対ヤバい毒持ってるだろ。
こえーよ。
そんなの、俺の命が幾つあっても足りない。
いや、絶対にそんなヤバい依頼受けないけどな。
「おめぇがどんな依頼を受けに来たかは知らねぇが、今はシルバー級以上の依頼が専らだ。ブロンズ級のおめぇが受けれそうな依頼なんて、今はこれっぽっちしか出てねぇぞ。ホラよ」
男が掲示板の下の方に貼られている薄茶色の依頼書を二、三枚手荒く剥がすと、俺に放って寄越す。
あーあーあーあー。
荒っぽく剥ぐもんだから千切れて報酬の所が読めなくなってるよ。
いや、くっつければ読めるけどね?
わざわざ剥がさなくても良いじゃないかと俺は思うんだよ、うん。
俺は拾い上げたに目を通す。
えーと、何々?
南の森に出没する小型熊のハント。
西の滝に生息する食用の魚の捕獲。
あとは……げっ、解毒の薬草の採集。
この男の言うように、本当にまともな依頼が無いぞ。
と思っていたら、急に俺の体が宙に浮いた。
「おい! 俺は親切におめぇが受けれそうな依頼を見繕ったんじゃねぇんだよ! 依頼の確認なんかしてやがるんじゃねぇ!」
俺は男に胸ぐらを掴まれ持ち上げられたのだった。
服が捩れて首が絞まる。
これは、く、苦しい、ぞ。
息がし辛くて、こふっこふっ、と咳き込んでしまう。
何か喋ろうにも、首が絞まっているから喋れない。
両手で男の腕をタップして、降参の意を示す。
男は満足したのか、ぱっ、と手を放して俺を解放する。
げほげほと、さっきより大きく咳をしながら息を吸い込む。
絞められた首が、まだ痛い。
「チッ。相手にもならねぇ。この臆病者がっ。よくそんなんで冒険者が続けられるな。今までよく生き残れたもんだ。低級依頼でも、運悪く強力な魔物に出くわしちまって命を落とす奴もいるってのによ」
男はつまらなさそうに吐き捨てると、もう俺に興味は無いのか、周囲で俺と男のやり取りを見ていた仲間に混ざり、受付へと歩いて行った。
周りを見ると、遠巻きに俺達を眺めていたのだろう他の冒険者達も俺を見て仲間と何か囁きあっている。
どうせ、臆病だの非力だのと、俺のことを批難しているのだろう。
まあ、言われても仕方の無いことだ。
俺には財も無いし、助けてくれる仲間も居ない。
やる気も無ければ志も低い。
こうやって批難されることにすら、慣れてしまっているのだから。
我ながら、本当にどうしようもない。
俺は取り零してしまった依頼書を拾い上げ、受付へと向かう。
さっきの男達は、とっくに依頼を受けて出て行ってしまったようだ。
受付の前に立って、3枚の依頼書の中でも一番報酬の良いものを差し出す。
さっきまで俺を見ていたのだろう、受付嬢が、苦笑いで依頼書を受け取った。
依頼書を確認した受付嬢の顔がさらに苦々しくなる。
「小型熊のハントでございますね。あの……その、大丈夫ですか?小型と言いましても、魔物は危険が伴いますが……」
受付嬢にまで心配されてしまうとは。
俺は無言で頷き、依頼を受けてギルドを後にする。
はあぁ。
空きっ腹に堪えるぜ……