まずは生きることから考えます
「お~い。君、大丈夫~?」
仰向けに倒れる僕の耳に、女の子の声が聞こえる。鈴を転がした、というような表現は月並みだろうか、とにかく耳に心地よい声が届き、意識が引き上げられる。
まず目に入ったのはアーモンド型で楽しげに少し吊り上った眼。それからくせっけのある横に広がった茶色い髪、その上にちょこんと生える猫耳・・・猫耳??
小さめの鼻に小ぶりな唇、まさに快活な美少女といった感じの女の子が僕の顔を覗き込んでいる。
「ちょっと・・・だいじょばない・・・」
「あははっ、大丈夫そうだねっ。」
ぱっと花が開くように可憐な笑顔が咲いた。
胸が高まったのは内緒だが、まずはこの状況の説明をしよう。
少し前に時をさかのぼる。
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ここはどこだろうか。
洞窟のようなものに違いないとは思うのだけれど、硬い石で覆われた狭い一本道の場所もあり、はたまたひらけてはいても草木に視界が遮られる場所もある。
光り輝く鉱石、美しい湖、足を止めてじっくり目に焼き付けたいと感じる景色をいくつも見つけることができた。
ここ数分でめまぐるしく風景は変化してそのたびに僕は頭の片隅でわくわくとした感情が育っていくのを感じながら、残りの大半の脳内で「どう生き延びるか」を考えていた。
そう。今、僕の背後には角が前に二本突出した、イノシシのような生き物が迫っている。いや、ずばりイノシシなのだろうか。体高は1メートル以上、全長は2メートルといったところだろうか。とにもかくにも鼻息荒く何度も何度も僕に向かって致死性の突進を仕掛けてくるものだから、僕としてはとにかく避けるしかない。
幸いにもこのイノシシのような動物はまっすぐに走る以外のスピードはそこまで速くはないため、横っ飛びで避けた後に一息つくことは可能だった。距離をとる、イノシシの突進方向を見極めながら走っては横っ飛び。その繰り返しを20~30分ほど続けたのが今の状況だ。
つまり、
「・・・はぁ・・・はぁ・・・ヤバい、もう足が動かない・・・死ぬ・・・」
そろそろ体のどこかしらに穴が開きそうだった。
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そもそもなぜこんなことになっているのか、実は自分でもよくわかっていない。
気づけば硬い石の床で大の字に寝転んでいて、状況が分からないなりにあたふたとみっともない動きを続けていた時に出会ったのがこのイノシシだったのだ。
このイノシシ以外にも生き物はいたように思うのだが、じっくり観察する余裕もなく走り抜けていたものだからよくわからない。よくわからないなりにイノシシとの時間を大切にしていたのだ(主に回避方法を考えるという点で)。
今、僕の中の世界には僕とイノシシしかいないようなものだ。
だったらイノシシは僕の世界のすべてであり、むしろイノシシこそが僕とも言える。
「言えねーよ!!」
下らない現実逃避はやめよう。今この状況をどうするかが最優先だ。
「このまま逃げていても埒があかない、穴はあくけど・・・て、違う違う!。ちゃんと考えろ考えろ!!」
そろそろ体力の限界も近づいて来ているので、そろそろ何かしら行動に移さなければならない。
「どうにかして逃げきるか・・・、どうにかして倒すか・・・。」
逃げるのはコツをつかんできたにしても、このイノシシはどうやら目や鼻も良いらしく、一度姿を見失ったくらいでは意味がなかった。
僕の「草の茂みへダイブ作戦」は先ほど失敗している。逃げ切るのは難しいと判断した方がいい。
「なら、倒すしかないだろ。」
誰もいないのにカッコつけたセリフを吐き、カッコ悪く横に跳んでイノシシの突進を避けた後、どうしようもなくて覚悟を決める。
腰につけた刃渡り15センチ弱のナイフを抜き放ち、歴戦の勇士になった気分で構える。
左手にナイフを逆手にもち、左半身を半歩前に。
「相手の突進力を利用してすれ違いざまに突き刺してやる」
言葉にして、イノシシの突進してくるのを待ち構えるが、
「いや、無理だろ・・・ギャーーーー!!」
再び横っ飛びで回避。よくあんなスピードで突っ込んでくるのを避けられるな、と自分でも感心する。
「さすがに速すぎる・・!!タイミングを合わせてカウンターなんて無理だって!!」
けど、やるしかない。死ぬのはいやだ。
「もう一度・・・」
再び構える。今度は大きな岩の前で、より腰を落として。
イノシシを避けるのではなく角を避けられれば、攻撃に移れるかもしれない。
「うまくいけば岩に激突させて倒せるかも・・・よし、来い!!」
再び真っ向から対峙し、イノシシの突進を待ち構える。
「来た・・・!心なしかさっきよりもよく見える!!これなら・・・!!」
漫画の主人公が覚醒した時のように僕の目にはイノシシが幾分ゆっくりと見える。タイミングを合わせてイノシシと体が触れ合うくらいぎりぎりで避けることに成功した。
なんてことはない。ただイノシシは岩にぶつかるのを嫌って本気で突進できなかっただけだ。勘違いはあったが何とかナイフが届く位置をとることに成功し、目の前には逆立った茶色い毛並が広がる。
急所の場所なんてわからないけれど右前脚の上を体の横から一直線に突き刺す。
「ふっ・・んらぁああああああああ・・・!」
肉をえぐる生々しい感触を覚えながらも、何とか刃の半分ほどまで食い込ませる。
「ぷぎぃ!!」とイノシシが短く鳴き声を上げるも、こちらに頭を向けようと角を振り回す。
刺さったナイフごと押されて転びそうになるも、すんでのところで耐え、ナイフを抜いて今度は奴の目を狙う。
目に突き刺さりはしなかったものの頭にナイフで切りつけることができた。
(どうやらこのイノシシは横に移動するのが下手みたいだな・・・
逃げてばかりの時は気づかなかったけれど、近くにいれば案外どうにかなりそうだ!!)
とは思うものの、さすがは獣。頭を振り回すだけで脅威だ。
散々頭突きを食らわされ、そのたびに少しずつ両者に傷がついていく。ナイフで切り傷が入る分、こちらに有利だ。
そのままくんずほぐれつを続けていたが、しびれを切らしたようにイノシシが雄たけびを上げる。
今までで一番勢いよく頭を振ったかと思えば、今度は後ろ脚で立ち上がった。
「踏み潰されるっ・・・!けどっ・・・!!」
勢いよく頭を振り上げたイノシシの続いて、こちらも何とか踏ん張る用意をした。
「狙いは首元!!失敗したらぺしゃんこだ!!」
最後の力を振り絞って、膝立ちのままナイフをイノシシの首をめがけて突き上げる。そのまま踏み潰そうと迫るイノシシは、下が見えないのか、思いっ切り落ちてくる。
体の下側だけあって守りは弱く、今までで一番簡単に刃が通った。自重がかかるままに落ちてくるイノシシの頭までナイフは通っただろうか。鳴き声も上げずにイノシシの体から力が抜けていく。
と同時に気づいた。
「どちらにしろ落ちてくるのは俺の上だった・・・」
ズンッと大きなものが落ちる音と、グェッと情けない声が聞こえるのは同時だった。
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話は冒頭に戻り、女の子に情けない姿をさらしているところへとつながる。
この日、この時から、僕の物語は始まった。
すべてが上手くいくはずもなく、
その時その時で最善だと思える選択をして、
でもそれが正解だったのかと悩みながらも、
みっともなく這いずってでも、
僕はこの世界で生きていく。
生きていくんだ。