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◆◆◆ J(妹) ◆◆◆


 僕は今、人生最大の選択を迫られている――そう感じた。


 ――迫られているって誰にだよ! 

 ――知らん! よく使うフレーズだろうが! そんなものにいちいち対象を求めてどうする!

 ――求めろ! 自分の言動に責任を持て! 

 ――持てるかぁ! 運命とか神とか適当なのを当てはめとけ!

 ――牧師の娘が『神』を『適当』の範囲に入れるなぁっ!

 ――じゃあヤオヨロズの神々でいいよ! 便所の神様までいただろうが!

 ――んな不謹慎なこと考えて、トイレ入ってる時に祟られたらどうする!

 ――……怖いね……。

 ――……うん……嫌だね……。


 一連の脳内一人ぼけ一人突っ込みが収まったところで、僕は冒頭の『人生最大の選択』に答えを出した。

 ――起こそう。


「お兄ちゃん、起きて」


ゆさゆさと兄を揺さぶる。よくやった、自分。理性の勝利だ。


「……ん……ジェ……イ?」


 今は朝。ここは兄の部屋。目の前には、無防備な兄の姿。


「おはよ、目、覚めた?」


 最前の葛藤など微塵も感じさせないよう、にっこり笑いながら声を掛ける。


「ああ……おはよう……。寝過ごしちゃったのか……」


「うん、珍しいね。これのせい?」


 ベッドサイドに置かれていたコップを手に取りながら訊いた。

 コップの底の方にうっすら赤い色がついている。たぶん料理用の赤ワインを失敬してきたのだろう。兄はお酒に弱いから、朝になってもまだ残っているのかも。


「ああ……そうだった……。コップを隠す前に寝ちゃったのか」


 汗で濡れた前髪をかきあげながら、まだ少しぼんやりとした表情で答える兄。


 ……試練はまだまだ続きますか? さっきようやく理性を総動員して『起こさずに見ていたい』という自分を動かしたのに、まだやりやがりますか、コンチクショウは?


 悪夢を見ていたのか、うなされていた兄は…………壮絶に色っぽかった。苦悶に耐えるように眉を寄せ、喘ぐようにわずかに唇を開けて……って、思い出すなっちゅうに。


 とにかく、早急に完全に覚醒させよう。ていっと布団を引っぺがす。


 「いつもと逆だね」と苦笑しつつ起き上がった目の保養、もとい兄は、普段なら僕よりだいぶ早く起きる。そして、いつまでもベッドにかじりつこうとする僕を、天使の微笑で現世へと誘ってくれるのだ。

 もしこの兄を三途の川の向こう岸にマスコットとして置いておいたら、確実にあっちの世界の住人が増えるだろう。

 

「ご飯が冷めちゃうよ〜」


 食堂から父の声が聞こえた。『我が眠りをさまたぐる者、死の翼触れるべし ※若年性痴呆者限定』のプレートに阻まれて入ってこれないのだ。


「お味噌汁は温めなおしたら味が悪くなっちゃうよ〜」


 はーやーくー、とおたまをフライパンに当てる音がする。

 僕は「はーい」と返事をし、パジャマのボタンに手を掛けようとしていた兄を見ないようにして、部屋から出た。


 パタンと閉じた戸の前で、僕は両手を頬に当てた。まだ顔に血が昇ってるのがわかる。赤くなってるかもしれない。

 兄には気づかれなかったよね……? お酒入ると、寝起き悪いし。


 ――うなされている兄を一刻も早く起こしてあげなくちゃって頭ではわかってたんだけど、僕は思わず見入ってしまっていたのだ。ドクンドクンと鳴る心臓がうるさいくらいで。普段では決して見ることの出来ない兄の姿に、魅入られていた。


 『王子様にかけられた悪い魔法を解いたのは娘の接吻でした』――なんてお話し思い出しちゃって、ますます頬が熱くなるのを感じた。



◆◆◆ K(幼なじみ) ◆◆◆


「啓さん、エル君たちが迎えにいらしたわよ」

「はい、今行きます、お母様」


 僕は漆塗りの廊下を静かに歩いて、母に「行って参ります」と丁寧に頭を下げ、外に出た。

 昨夜は遅くまで札書きをしていたので眠くてしょうがない。


「おはよ、啓」 

「おはよう、今日も朝から不景気なツラだね、啓」


 前者は「ヨッス」とピシッと手を上げながら、後者は一見好青年的な爽やかな笑顔で挨拶してきた。


「……おはよう。人の顔にいちいち文句つけないでよ」

「ああ、ごめんよ。素直なタチなんで、つい思ったことを口に出してしまうんだ。配慮に欠けるよね、気分を害したなら謝るよ」

「……いい朝だね」


 僕は寝不足も手伝って、ずいぶんと攻撃的な気分になってきたが、明日からの薔薇色の未来を想像してなんとか聞き流す。

 ククク……その笑顔も今日までだ、エル。明日には僕のおまじないで、世の中で一番不幸って顔させてやる。

 知らずほくそえんでいた僕を、ジェイがジィッと見上げてることに気が付いてドキッとした。


「な、なに? 僕の顔に何かついてる?」


 まさかおまじないのことがばれた?

 ジェイはこくっと頷いて、


「目の下にはっきりとクマが。徹夜でもしたの?」

「あ、いや、ちょっと遅くまで召喚符書いてたんだ」


 よかった、ばれてない。


「クマさん……」


 そう呟いたエルを、


「……なに?」


 僕はぎろりとにらんだ。


「いや、なんでもないよ。さ、ジェイ、こっちにおいで。花咲く教会の道で啓君に出会っちゃったからね」


 …………。


 エルは昔から僕のことをおサルおサルと失礼極まりない呼び方をしている。しかも最近は猿だけでなくレパートリーが広がってきている。先生がジェイのこと猪扱いしてるのも、それに影響されてるんじゃないかと思う。

 ――あっ! そこまで考えて気がついた。

 やっぱり先生がジェイのこと好きなはずないよ。だって好きな子のこと動物呼ばわりするわけないもん。

 その発見に、僕はちょっとだけ気分が向上した。


「啓、ちゃんと寝ないと脳細胞が大量に破壊されるよ。君の場合、もともと百三十億個くらいしか無さそうなんだから」

「百三十億?」


 聞き返しつつ、思う。多分、少ないんだろうな。


「通常は百四十億個だよ。だから君は、人より気をつけなくちゃ。ね?」


 いや、『ね?』じゃなくて……。


 せっかく向上した僕の気分は一気に下降した。懐の召喚符に手が伸びかける。


「そだ、忘れてた。お兄ちゃん、この保留符確かめてもらえる?」


 エルを挟んで向こう側にいたジェイが、昨夜持って帰ったミィちゃんの保留符を取り出し、エルに見せた。


「失敗」


 エルが即座に答える。また失敗かぁ……。


「でも、面白い符になってるよ」

「え、何が出てくるの?」

「ダミーだよ」

「だみぃ?」


 僕が首を傾げていると、


「知らないの? まあ、かなりマイナーなやつだからおサルが知らなくても無理はないか」

「サル、サル、言わないでよ……」

「じゃ、アウストラロピテクス。よかったね、ちょっと進化したよ」

「……サルでいいです……」

「ではサル君、親切な僕がダミーについて説明してあげよう。謹んで拝聴したまえ」

「はいはい……」

「ダミーというのはね、変身能力を持った(あやかし)なんだ。正式名称は別にあるんだけど、そっちはちょっと発音できない。フィンランドの伝承に見られ、中国にもよく似た能力の妖怪がいる。一説には昆虫の変化(へんげ)だとも言われている。つまり昆虫の擬態、あれが進化した能力だというわけだ。僕もこの説に賛成だね。ダミーは術者に命じられた対象に変化するんだよ。姿形だけでなく、DNAからその能力までをも正確にコピーする。妖といってもどちらかというと精霊に近い性質だし、君ぐらいの術者なら使役できるはずだ。服や所持品までちゃんとコピーするし、それは本体から離れてもダミー自身が消えるまで存在してるから……使いようによってはかなり面白いことができるよね」

「面白いかな?……」


 例えば、自分のコピーを作って代わりに学校に行ってもらうとか?


「……所持品も?」

「うん、なんなら全財産身に付けてコピーさせてもいいんだよ」

「それ、いいなぁ」


 僕は心がアッチに行ってしまいそうになった。


「成功符、山と持たせて……」

「お馬鹿。ダミーが消えたら一緒に成功符も消えるのに、たくさんコピーしてどうするって?」

「サルの次は馬鹿ですか……」

「馬と鹿。君、動物好きだろ?」


 僕は一人動物園か?


「生身は、あんまり好きじゃないよ……」

「……寂しい人生だね……」


 別にいいもん。式とジェイとで、幸せな家庭を築くんだから。


「あれ? 啓って動物嫌いだったんだ? ミィちゃんたちと仲いいから好きなんだと思い込んでたよ。そっかぁ」

「嫌いってほどじゃないよっ」


 残念そうに言うジェイに、僕は慌てて否定した。そう言えば昔ジェイは『犬を飼いたい』って言ってたことがあったんだ。


「だからジェイのうちで犬とか飼っても全然大丈夫だよ?」


 お隣さんだから、結婚しても犬とずっと一緒にいられるし。

 名前、なんにしようかなぁ……。ポチ、チョビ、タロウ……? うーんと。


「いや、犬はいいよ」

「そうなの? 飼いたいって言ってたよね?」


 気が変わったのかな? 散歩させるのが面倒だ、とか。


「それより僕、キメラとかがいいなぁ。どうせ飼うなら世界で一匹だけのがほしい♪」


 キ、キメラ(合成獣)ですか……。僕は冷や汗がツウッと背中を伝うのを感じた。


 こないだ教室の窓から鳥が空を飛んでいるのを眺めて束の間の平穏に浸っていたら、その下で捕獲網を必死で振り回してる生徒たちが目に入った。

(脱走したキメラが数匹いるので気をつけるようにってプリントが配布されてたっけ……。――さっき飛んでたのは鳥にしては少し大きかったかも)。

 そこまで考えて、その時の僕は何も見なかったことにした。


「ジェイ、キメラでなくても珍獣ならそこにいるじゃないか」


 エルが朗らかに笑った。


「……どこに?」

「はいv」


 エルは手鏡を僕に渡した。


「……僕がそうだって言うの?」


 僕は召喚符を取り出した。


「いいや、単に意味の無い行為だよ」


 エルは銀髪をサラリと揺らしながら、やたらに爽やかな笑顔で答えた。


 ……ウソだーッ!


「おいで……ミィちゃん」


 僕の中の何かがフツリと切れた。それは『理性』という名をしていたかもしれない。

 何もない空間に白い巨大な虎が出現する。


「行け……」


 ミィちゃんがエルに突進する。エルはそれをヒラリとかわす。ミィちゃんは壁を蹴って突進を繰り返すが、すべてかわされていく。


「ちっ、ちょこまかと……おいで、ソラ君」


 空中に青いドラゴンが現れる。ソラ君は一度空高く舞い上がり、一気に急降下してエルに襲い掛かる。地上では助走をつけたミィちゃんが猛スピードでエルに飛び掛かる。

 寸前、エルは石垣に手をつき、一気に高い石垣を飛び越え壁の向こう側に消えた。


「ねえ、啓」


 壁の向こうからエルの声だけが聞こえてくる。


「命乞いしても無駄だ……」

「最近、野良キメラが徘徊して問題になってるって知ってる?」

「知るか……行け」

「そう……。回覧版くらい読んどかなきゃ」

「喰らえ……」


 ミィちゃんは牙を剥いて壁を飛び越え、


「燃やし尽くせ……」


 ソラ君は壁の上空に行き、下に向かって青い炎を吐き出しながら下降した。


「だから、こんなことになるんだよ」  

 

 スタンと、エルが再び壁のこちら側に戻ってきた。そのエルは無傷だった。


「ミィちゃん、ソラくん、戻っておいで」

「無駄だよ」

「…………?」

「もう彼らは動けない」

「……くそっ」


 僕は残された二体の式神、ハル君とピィちゃんを呼ぶべく、札を取り出した。


「……二日酔いの体でこれ以上はきついかな」


 目にも止まらぬ速さで移動したエルは、僕の腕から手刀で札を叩き落していた。


「い……ったぁーっ」


 腕がジンジン痺れてる。


「残りの札も没収」


 エルは腕を押さえてうめいてる僕の懐に手を入れて、札を全部奪い取った。


「ミィちゃんたち消してあげなよ。今のままじゃ可哀相だから」

「気絶させたの……?」

「違うよ。さっき言ったろ? 野良キメラが徘徊してるって。たぶん学校から逃げたやつだろうね」

「それがどうしたんだよ……」

「対キメラ用に罠を張ってる箇所があるんだよ。一定以上の大きさの物体はあれで捕縛されてる。あれ結構きつそうだからもう消してあげて」

「…………」


 僕はしぶしぶ二匹を異界に帰した。


「まだお酒抜けてないな……。今の運動でちょっと気持ち悪くなった。タクシーで行きたいからピィちゃん呼んで」


 ホラ、とピィちゃんの札を渡される。ピィちゃんは炎の鳥さんだ。


「やだよ、なんでそんなこと聞いてやんなきゃなんないのさ」


 僕はふくれていた。


「タクシー代として、君が壊したビデオ代の返済を延ばしてあげるよ。それとも、今日にでも払ってくれるの?」

「う……ら、来月まで待って」

「決まりだね、行くよ」


 ……ピィちゃんを、人肌温度設定から江戸っ子風呂くらいに変えてやろうかなぁ……。


『ダメだ、僕の方が先にのぼせる』


 僕はぬるま湯がちょうどいい人間だった。


「あ、そうだ。ジェイは?」

「とっくに先に行ってるよ」

「え……またぁ?」


 ひどいよ、放っていくなんて……。


 ス○コラサッ○ッサのサ〜♪ と隣で歌っているエルを乗せて、僕たちは学校に向かった。


 くそう、いつもいつもエルにはひどいことされてるのに、一度も勝てたためしがない。式は術者が気を失うと消えるので、だいたい僕が気絶させられて終り、ってパターンになる。――せめて、せめてあのおまじないだけは成功させてやる……!

 決意を固めた僕は、都合よくエルの肩に抜けかけた髪があるのを見つけた。チャンス!


「ア、エル、カタニゴミガ。トッテアゲルヨ」


 僕は自然なそぶりでエルの髪の毛を取得した。


『やった!』


 心の中で快哉を叫びつつそのままポケットにしまおうとして……その手をグイとつかまれた。

 エルは、つかんだ僕の手と僕の顔を交互に見た後、にっこり笑って言った。


「購買に寄って行きたいんだけど、いいかな?」

「購買? なに買うの?」

「筆ペンを」

「筆ペン? なんに使うの?」

呪詛(じゅそ)返しを、ちょっと」

「…………」


 僕はサーッと青くなった。


「ねえ啓、かやりの風って知ってる?」


 エルは、ちょっと身を屈めて、下から覗き込むように僕を見た。


「呪はね、破られると、何倍にもなって術者に返ってくるんだよ」


 それから、僕の頬を両手で挟み、触れんばかりに顔を寄せた。


「人を呪わば穴二つ掘れ、ってね……?」


 至近距離のエルの瞳が妖しく光る。

 僕は心の中で涙を流した。


「エ、エルに呪いをかけるような人なんていないさ」


 僕は、多分『つくり笑い』とは、とうてい呼べないような顔をしてたと思う。

 さようなら、僕の幸せ……。

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