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「お兄ちゃん、帰ろ〜」


 教室に戻り、僕を待ってくれていた双子の兄に声をかけた。僕に気づいた兄は柔らかく微笑む。


 うーん、綺麗だ。

 妹の僕が言うのもなんだが、兄は美形だ。教室の窓から降り注ぐ陽光を浴びて微笑む姿は、胸元を飾るクロスとあいまって、宗教画を彷彿とさせる。


 僕たちの家は教会で、牧師をしている父と三人で暮らしている。

 母はわけあって、今は遠くにいる。


 教会の庭には、四季を問わず様様な種類の花々が咲き乱れている。手入れが行き届いているのは、兄が世話をしているから。僕は園芸にはあまり興味が持てないし、花の名前もよく知らない。でも、しょっちゅう庭を眺めてる。

 ――その視線の先には、常に兄がいた。

 美しい花々に囲まれ、その花よりもなお美しい兄に、僕はついつい見とれてしまう。

 僕に詩や絵画の才能が無いのが悔しいな。いや、生半可な才能じゃ、かえってこの神秘的なまでの美しさを汚してしまうかも。

 実際兄はしょっちゅうモデルになってくれと懇願されているけれど、僕がそいつらを全部シャットアウトしている。

 僕と父もモデルを頼まれることがあるけど、めんどくさいからお断り。見られるのは好きじゃないんだ。って、兄も好きなわけじゃないんだろうけど、ごめん、見逃して。目が勝手に引き寄せられちゃうんだもん。


 言っておくけど、身内の贔屓目ひいきめじゃないからね。

 例えばうちの周辺の道路。ちゃんとした車道だけど、兄がいる時間帯は迂回していくことが暗黙の了解になっている。自転車の場合は降りて押して歩くべし。ボ〜ッと見とれて事故るのを防ぐためだ。


「ジェイ?」


 兄が僕の名を呼ぶ。

 兄は声も綺麗。澄んだ透明な響き。僕はこの声で名前を呼ばれるのがいっとう好き。兄の真名から一字もらったこの名前を。


「啓はどうしたの? 一緒だったはずだろう?」


 啓君は担任と仲良くトイレに絶賛放置プレイ中でーす♪


「…………えへv」


 僕は語尾にハートマークをつけてみた。

 先に帰ったと言おうにも、鞄はまだ教室にあるし、『真面目な啓は図書室で調べ物続行中だよ』、とかもっともらしいことを言ったとしても、僕の嘘が兄に見破られなかったためしがない。


「啓君はちょこっと取り込み中です。今日は二人で帰ろうよ。早くしないとドラマが始まっちゃうよ〜」


 某○のソナタを夢中になって観る人たちを馬鹿にしていた僕だが、うっかり再放送で流れてたのを見てしまい、以来、韓○ドラマは片っ端から見まくっていた。突込みどころが満載で抱腹絶倒しながら。

 兄はそんな僕に呆れながらも、付き合って一緒に見てくれてる。

 やっぱりあれって二人以上で突っ込み入れながら観るものだよね。


 楽しみ方は色々あって、まず、第一話を見た段階でこれから出てくるであろう要素をお互い五つまで書く。記憶喪失、白血病、交通事故、金持ちの息子、室長、デザイナー、貧乏な主人公、実は死んでなかった、愛した相手が実は腹違いの妹だったetc……これらのキーワードをいれておけば、うち、いくつかは絶対当てはまる。で、当たった数の多いほうが相手の言うことを聞く、というゲームにしてるんだけど、今のところ引き分けてばかりだ。なぜなら、書いたこと全部当たってるから……。


「こら、またなにかやったんだろ」


 兄は僕の頭をコツンと小突いた。


「ごめんなさーい。でも、啓ならほっといても大丈夫だよ。ね、もう帰ろ」


 昨日はヒロインがお金持ちの男性と喧嘩してたから、玉の輿路線が決定したところだ。あのむずがゆさを心ゆくまで味わいたい。


「だめだよ、おば様に頼まれてるんだから」


 まあそうなんだけどさ。

 僕は小さい頃からお世話になっている、お隣のおっとりしたおば様の声を思い出した。


『ごめんなさいね、エル君、ジェイちゃん。啓のことよろしくお願いします。あの子ったら、ほっといたら気がつかずに自宅を通り越して隣町まで行っちゃうような子だから』


 確かにそう頼まれたんだけど、でも、それって小学校三年生くらいの時の話だよ、もう時効だよぅ。

 不満を顔に出した僕に、兄は優しく僕の頭を撫でて諭した。


「約束は約束だよ。君には約束はきちんと守る子でいてもらいたいんだ」


 兄の細い白魚のような指が僕の髪に触れている。その感触に僕はうっとりと目を細めた。


「……ん、わかった。ごめんなさい。啓は一階の職員トイレにいるよ、迎えに行こう」


 僕は兄には逆らえない。啓やディーを前にした時とは別人のように大人しく素直になってしまう。僕って二重人格なんだろうか?


「職員トイレ……?」


 う……。兄の顔になんとも言えぬ表情が浮かんでいる。

 僕がうなだれながら簡単に経緯を説明すると、兄はしばしの間無言で僕を見つめた。それから、


「仮にも思春期の女の子を男子トイレに入らせるわけにはいかないから……」


 そう言って僕を靴箱のところで待たせておき、一人で歩いて行ってしまった。

 それでしばらくはじっと大人しく待ってたんだけど、


「遅いなぁ、どうしたんだろ」


 僕は何度も腕時計に目を落としていた。啓を呼びに行くだけのことなのに、もう二十分も経っている。

 ……ディーに文句言われてるのかな、やっぱ。

 一生徒の可愛らしいイタズラじゃないか、あれくらい大目に見ろってんだ。そりゃ確かにちょっとやりすぎた感は否めないけど。……それでも文句があるなら直接僕に言えよ、兄は関係ないだろ。


「お兄ちゃんがフォローに回ることになるんなら、あんなことするんじゃなかったな……」


 兄は優等生だ。よほどのことが無い限り、教師に逆らったりはしない。ディーのあの慇懃無礼な態度で毒を吐かれても、ただ頭を下げ続けるだろう。――想像して、胸が痛んだ。


 やっぱり僕も行こう。「もう男子トイレには入っちゃだめだよ」って釘を刺されたけど、外から声をかけるくらいならいいよね。

 そう自分を納得させ、僕は早足でトイレに向かった。


◆◆◆ L(兄) ◆◆◆


「すみません」


 僕は頭を下げて、担任の拘束を解いた。

 彼は無言で立ち上がり、体をほぐした。


「いつもいつも、不肖の妹がご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございません。僕からもよく言っておきますので」

「言って聞くたまですか、あの猪が。明日にはもう忘れてケロッとしてますよ」


 担任はやや不機嫌そうに(いつもどおりの無表情にも見えるが)、ぼそりと答えた。これには僕も反論できず、もう一度頭を下げて、それから彼の手足を縛っていた布切れをゴミ箱に捨てようとした。


「あ、エル君。それは捨てな……」

「え?」

「……いえ、なんでもないです」


 彼が言いかけたことをやめるのは珍しい。なんでも臆することなくズバズバ言う人だ。どうしたんだろう?


 僕は、ふと手に持っていた迷彩柄の布切れに目をやって、あることに気が付いた。これは、以前妹が『見て見て〜、買っちゃった。お兄ちゃんも穿いてみる?』と持ってきた、エキセントリックな迷彩ズボンと同じ柄だ。あの時僕は、


『い、いや……遠慮しておくよ』


 少しひきつった笑顔で返したのだった。


『そう? 見てみたかったんだけどなー。お兄ちゃんっていつもシンプルな服しか着ないんだもん』


 残念そうに答えた妹は、けれど、


『あ、そだ。今度一緒に服買いに行かない? 僕がお兄ちゃんの選んであげるよ。ね、行こ行こ?』


 すぐに上機嫌になって僕におねだりしてきた。

 妹のセレクトに任せる気にはなれないが、この機会に僕のではなく彼女にまともな服を選んであげよう。そう思って、『いいよ。じゃあ今度の休みに行こうか』と承諾したのだった。

 『わーい、楽しみー』と心底嬉しそうな笑顔を浮かべた妹は、その可愛らしい笑顔のまま、どこから調達してきたのかも不明なヘルメットと木の枝を装備して、迷彩ズボンを穿いて鏡の前でファッションショー(?)を開始した。しまいにはエアライフルや果物ナイフを持ち出して、その時偶然遊びに来た啓を巻き込んでサバイバルごっこまで始めてしまった。


 今更突っ込む気にはなれないが、これだけは言わせておくれ。


『ジェイ……せめてお兄ちゃんのいる前で着替えるのはやめてくれないかな』


 一応年頃の女の子なんだから、ね……。


 僕は長い回想を経て、無残な切れ端となった迷彩ズボンのなれの果てを黙って担任に手渡した。どういう経緯かは知らないしあまり考えたくもないが、心の中で再び謝罪しておいた。

 本当にうちの子がご迷惑をお掛けして……。

 そして、彼もまた無言で受け取り、「それでは」と去って行った。


「おい」


 担任の足音が遠ざかると、僕はどすの効いた声とともに、啓の後頭部をはたいた。


「いったーァッ!」


 大げさな声出すなよ、軽く叩いただけだろ。


「う〜〜〜」


 啓は頭を抱え込んでうなっている。もう一発くれてやろうか?


「痛いじゃないか、なにすんのさっ」

「君にトリップ旅行からご帰還願うには、これが一番早いんだよ。文句があるならさっさと自力で帰って来れるようにしなよ」

「帰るってどこにだよう……わけのわかんないこと言わないでよ」


 涙目でにらんでくる啓に思いっきり見下した目を向けてやった。


「じゃあ説明してもらおうか。君は今までどこにいて何をしてたんだい? 3秒以内に答えな。3、2……」


 僕は指の関節を小気味よく鳴らしながら言った。


「え、えと、おまじないが消しゴムで新しいの買わなきゃいけなくて先生が女子トイレでワイドショーに出て、それからえっとえっと……僕、なにしてたんだっけ。あれ? なんでエルがここにいるの?」

「――さあ、なんでだろうねえ、ハハ……」

「あれ? ジェイと先生はどこに行ったの?」

「二人は君があっちの世界に行っちゃってる間に、仲良くお手手つないで帰ったよ。残念だったね」

「えええええ――!?」


 ハハ、面白い顔。写メに撮って全校に流してやろうか?


「うそ……うそだぁ。ジェイは先生と仲良くないもん。いっつも喧嘩してるもん。さっきも先生のこと殴ってたし、縛って僕に見張りしてろって言ったし」

「君、全然見張りの役果たせてなかったじゃないか。ジェイはね、そんな役立たずな君に愛想を尽かしたんだよ、可哀相に。二人がいなくて君だけが残ってるってことがその証拠だろう? あの二人が仲良く帰っていくのを見て、姿が見えない君のことを心配した心優しい僕がこうやって捜しに来てあげたんだよ」


 僕は哀れみを込めた口調と同情した顔で啓に語りかけた。


◆◆◆ K(幼なじみ) ◆◆◆


 ううううう〜〜〜〜。

 エルの嘘臭い顔とわざとらしい口調に、僕は警戒モード全開になった。

 だまされるもんか。エルの言うことなんか信じないもん。

 さっきちょっと信じそうになったけど、エルが自分のこと心優しいとか僕を心配したとかありえないこと言ってるから、やっぱり嘘だったんだ。


「啓、僕の言うこと信じてないね?」

「うん、信じてない」


 僕はきっぱりはっきり断言した。

 エルは事あるごとに僕をだましたりからかったりして遊ぶというすごく嫌な趣味を持っている。だから今回のこともきっとそうに決まってる。


「じゃあ信じなくていいよ」


 やっぱりそうなんだ……。


「知らない方が幸せなことだってあるからね。僕だって信じたくなんかなかったんだから」


 え?


「見なきゃよかったよ、あんな場面。正直、ショックだった。あの子は、いつも僕の後をついてきていたのに……。あの子の手を引くのは、僕の役目だったのに……。いつまでも僕だけの妹ではいてくれないんだね」


 エルは自分の左手を、寂しそうに見つめていた。


「まだまだ子供だと思っていたのに、女の子っていつの間にか大人になっちゃうものなんだね」


 エルは僕と目を合わせて、苦笑した。


「ねえ、想像できる? あの子が、先生に笑いかけてる姿なんて」

「こないだ、先生にトラップ仕掛けたのが成功して高笑いしてたよ?」


 すごく楽しそうに笑ってたから想像できる。


「そういうんじゃないよ……。幸せそうな、はにかむような笑顔だよ」

「無茶言わないでよエル。人間の想像力には限界があるんだよ」

「……その限界を超えたものを見せ付けられた僕の気持ちにもなってみろよ……。あの二人が意識しあってるのは気づいてたけど、それでもまだずっと先の事だって思ってたんだ。ジェイはあの通りちょっとそういうことには鈍い子だからね」


 『ちょっと』かなぁ……。


「意識しあってなんかないよ! ジェイと先生仲悪いもん!」

「あれは照れ隠しだよ。二人とも素直じゃないからね」


 そうかなぁ……。ジェイはすごく自分に素直に生きてるような気がするんだけど。


「じゃあジェイが先生を殴るのも照れ隠しなの? それなら僕だってしょっちゅう叩かれてるよ。え……じゃあ、もしかして」


 ジェイって僕のことも好き……?


「ストップ。なんでそこで顔を赤らめるかな、君は。言っておくけど、暴力をふるうイコール好きってことじゃないよ。人の妹を勝手に変態性嗜好の持ち主にしないでほしいな」   


 エルは「まったく……君がうらやましいよ」と深くため息をついた。


「そんなふうに、現実から目を逸らして簡単に逃避できたらいいよね。僕も見なかったことにしたいよ、あんなこと……。あの子が、僕以外にあんな笑顔を見せて……僕以外を見つめて……僕がいたことにも、気づかないで……」


 エルの声が、どんどん沈んだものになっていく。それにつられて、僕の気持ちもだんだん下降していった……。


「ありえないよ……ジェイがエルに気づかないなんて……」


 僕が気づいてもらえないことならよくあるけどね……。


「だから、信じなくていいって言ってるだろ……。ごめん、今言ったことは忘れてくれていいから。ジェイと先生とはなんでもなくて、僕から離れていくわけでもなくて、君が愛想をつかされたわけでもない。そういうことにしておこう」


 『そういうことにしておこう』って…………ねえ……エル……嘘だよね……? いつもの演技だよね……? 

 僕は、半ばすがるような気持ちでエルを見た。


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