我、狼狽す
春爛漫。
森も山も柔らかな緑色に染まり、色とりどりの花が目を楽しませれくれる。その中でも特に目を引くのが、チェスリーの木だ。形は桜に似ているが、濃いピンク色の花で、花弁の枚数も大きさも桜の倍以上ある。ユーテリアの住人は、この花が咲くといよいよ春が来たなぁと冬服を仕舞い、この花が散ると春が終わるなあと夏服を出すのだ。花を咲かせる期間がとても長いので、衣替えの時期を知らせる木として定着している。
そのチェスリーの木は、現在八分散り。そろそろ過ごしやすい春の季節も終わり、ギラギラと太陽の輝く夏がやってくる。
夏はもっとも魔族の活動が活発になる季節だ。森に生命力が溢れるせいか、あるいは単純に高温を好むのか、はっきりとした原因は解明されていない。もっとも有力な説は、魔族の繁殖期が夏だという説だ。腹を空かせた魔族も危険だが、夏季の獰猛さはそれを上回る。それはきっと子どもを抱えているからに違いない、と。
真偽はわからない。ただ、これから森で狩りをするときは、今まで以上に慎重になる必要がある。
身を低くし、身体を木や岩の陰に隠しながら森を進んだ。
「…………いた!」
俺は新しい足跡をたどり、クレイ・フォックスを発見した。それも二匹だ。番だろう。クレイ・フォックスは下位種の中でも強い方だ。条件次第では上位種の魔族とも渡り合えるくらいで、純魔力を使わない状態でもドリル・ラビットよりもずっと速い。このキツネモドキ、一番警戒すべきはヤツの使う魔法の方だ。
純魔力はその名の通り、外魔力や気と比べて純度が高いから、同じ出力だと完全に力負けする。魔族というのはこの上質なエネルギーを用いて魔法を使う。人間と違って術式を必要としないから、彼らの魔法は原始的かつ大威力。魔族の使用する術理は原始魔法と呼ばれ、世の魔術師たちが血眼になって研究している魔法でもあった。
クレイ・フォックスは土の原始魔法を使う。効果範囲はそう広くはないので、魔術師が相手をする分には丁度いいのだが、俺は魔術を使えない。飛び道具なしでヤツを仕留めなければならない。
木の陰に身をかくし、クレイ・フォックスの動向をうかがう。番は食事中で、普通のシカをむさぼり食っていた。常にどちらかが周囲の警戒役をしているけど、つけいる隙はある。
俺は木の陰から飛び出した。
ポジションはやつらの背後、完全な奇襲だ。そして狙うは監視役だ!
「キュオン!」
接敵に勘付いた監視役のクレイ・フォックスは、即座に魔法を展開させ、俺の足元を崩しにかかる。
しかし、その攻撃は予測済みだ。
魔法が発動する寸前、俺は足から木を放出。高速で跳躍すると、木の幹を足場に立体軌道を描き、クレイ・フォックスに迫る。
両手に構えたナイフに気を流し込み、刃の中で回転させる。気の回転軌道はナイフの刃渡りよりも長く、短剣並だ。この技の胆は、間合いを惑わすことにある。
ナイフをやつの首の位置に合わせて振った。刃が届いていないぞとあざ笑うように、クレイ・フォックスは次の魔法を行使しようと口を開いた。
--ぶじゅううう!
クレイ・フォックスの頭部が空中に浮いた。ちらりとのぞく断面は、見事に水平。俺の腕も上がってきたようだ。
何が起きたのかも分かっていないマヌケ面がぼとっと地面に落ち、遅れて体が倒れた。
「もういっちょ!」
溜めていた左手のナイフをスライドさせる。この間俺は空中にいるから、やつが準備している魔法に嵌る前に決着をつけるのが吉。足元を拘束されると厄介だからな。
じゅううっと肉の焼ける匂いがした。いつの間にか力んで、気の回転数を上げていたらしい。二匹目のクレイ・フォックスの首は焼き切れていた。
「あ、やっちゃった」
十分に気のコントロールができていなかったと、自分の未熟さを反省する。いくら連戦で疲労が蓄積していたとはいえ、気の操作だけは過ってはならないというのに。
ヴェル爺に怒られるかな……?
今日の狩りはここまでにして、あとの時間は気の操作訓練に充てることにしようか。ドリル・ラビットだけを相手にしていた頃と比べ、ずいぶんと大きくなったリュックに、クレイ・フォックス二匹を仕舞って背負い直した。
満杯になるまで入れると、俺の身長よりも大きくなってしまうリュックは、正直言ってすごく移動しにくい。森の中では目立って仕方がない。
だから森を移動するときは、必死に身を隠したり気を使って存在を隠ぺいしたりと、相当苦労している。獲物を狩るよりも気配を消す方が大変だった。
「……これも、しゅぎょうのうち」
気を取り直して、リンドーの木がある空き地まで急いで走った。気の扱いが上手くなってくると、自然に走るスピードも上がってくる。今じゃ景色が流れるように見えるくらい速くなっていた。
リンドーの木は今が盛りだ。去年も見たが、今年はまた一段と咲き狂っていて、圧巻の一言である。今年は例年と比べ、魔力の流れが不安定になっているから、植物は生命力の恩恵を受けて成長がはやくなる。俺の家の庭も草木が急激に成長して、なんだかジャングルみたいな状態になっていた。
ヴェル爺はさすがに満開状態のリンドーの木に登る気はしないのか、木陰でのんびりとくつろいでいた。くつろぎ過ぎて花びらに埋まりそうになってるよ。
「ヴェル爺! きょうもたくさんとれたぞ」
「これは大猟だの。ちょいと見せてみい」
どさっとリュックを地面に下ろし、ヴェル爺に中身を見せる。ドリル・ラビットにウィンド・ウィーズル、クレイ・フォックスなどなど……どれも下位種ばかりとはいえ、一日に五十匹以上獲れる日も多くなってきた。
獲物との遭遇率が異常に高いから、休息時間が取れないことが問題といえば問題だ。父も今年は『魔の収穫祭』の年だって言っていた。大気中の魔力濃度が高くなって植物が異常繁殖し、それにつられて魔族の数も増大する年をそう呼ぶらしい。
俺の戦果を見分するヴェル爺の目も、こころなしか厳しい。
「ヴェル爺。もりに入ると、まぞくがうようよしてる。まちをおそったりしない?」
父も、ヴェル爺も、魔族の増え過ぎには細心の注意を払っていると思う。地球にいた頃、山に食糧が不足して獣が人里に下りてきたニュースを度々耳にしていた。こっちでも、事情は少し違うが、似たようなことが起きる。
食料と、縄張りの奪い合いだ。
植物が異常繁殖しているとはいえ、魔族が増え過ぎた場合、争奪戦が起こるのは必然だった。魔族は各個体が強力な分、プライドも高くて縄張り意識も強かったりする。その争いに敗れた魔族は行き場をなくし、はては人里を襲うようになる。
「リュー坊がたんと狩ってくるしの。何よりお主の父もいる。……そうそう魔族が人里を襲うことはあるまいよ」
ヴェル爺の言葉を聞いて、俺は少しだけ気が楽になった。もう母さんは臨月をむかえ、双子はいつ生まれてもおかしくないのだ。そんなときに魔族の襲来なんて、ぞっとしない。俺が修行の時に必死で魔族を間引いてるのには、それを心配してるからって理由もあった。
「うん。わかった」
「よしよし。では、いつものメニューから始めるかの」
「きょうこそ、ヴェル爺から一本とってやるのだ」
「その意気じゃ。ほれ、かかってきなさい」
最近はヴェル爺も両足使うようになってきた。剣はまだ片手持ちだが、これは大きな進歩である。手合せでは、気を最小限に抑えて打ち合いをする。
先天的な才とは恐ろしいもので、なんと、単純な気の出力だけを見るなら俺の方が上だ。でも技の錬度やテクニックではまず敵わないので、いくらパワーに優れていても、当てられなければ意味がない。
つまり、気なしの状態で一本入れられるようになったら、もしかするとヴェル爺にも勝てる余地があるかも知れないねー、ということだ。
三代目の我が相棒を握る手に力を込める。
ヴェル爺と相対するときは、その気迫に呑まれないように闘志を燃やさねばならない。静かに立っているだけなのに、隙がない。解かりやすい動の闘気ではなく、むしろその逆、不動の静の闘気で俺を圧倒する。
まったく勝てそうなヴィジョンが浮かばないな。困った困った。
上段からの振り下ろし。ヴェル爺は鋭い一撃は避けて、大ぶりな一撃は受けにまわる傾向がある。だから、あえて受けさせる。
キンッ! と甲高い金属音が響く。ヴェル爺が俺の剣を受けたのを見計らって、俺はヴェル爺の顎を蹴りあげた。
ヴェル爺は頭を傾けて蹴りを避けた。俺の足は空気を蹴る。
ここまでは想定通り! 次だ!
俺は宙に浮いた体をくるっとひねり、回転の勢いを利用して今度はヴェル爺の横っ面を狙う。しかし、またもや俺の足が宙を蹴ったかと思うと、身体がぐいんと引っ張られる感覚が俺を襲う。
ヴェル爺は俺の二段目の蹴りを屈んで避け、俺の足を掴んで投げ技に入った。
やられた!
とっさの悪あがき。俺は剣を払うように振り、ヴェル爺の腕を狙った。ガキンと音がすると、俺の体は地面に投げつけられていた。
「かふっ」
「おう、今の連撃はなかなか良かったぞ。儂も少々ヒヤッとしたわい」
「うそだ。よゆうでよけてたぞ、ヴェル爺」
「嘘は言わんよ。成長したのリュー坊」
ヴェル爺は愉快そうに笑っている。立ち上がった俺の頭を撫でるヴェル爺の顔は、懐かしさを含んでいるように見えた。
「もういちどだ。ヴェル爺」
俺は剣を構えた。ヴェル爺も構えている。俺の修行は日が沈み始めるまで続いた。
◆
この頃の俺は、もうすぐ双子の兄弟が生まれると、家族が増えることを純粋に喜んでいた。俺自身の修行が順調に進んでいたし、魔族の下位種なら危なげなく狩れるようになって、ちょっぴり自信もついてきた。だけど……。
好事魔多し。
俺が思っていたよりもずっと、この世界に潜む『魔』は大きくて、暗くて、そして――――何よりも深かった。
◆
あの日は朝から暑かった。空は雲一つない快晴で、ぎらついた太陽の光が容赦なく俺たちを照らしていた。いつもと変わらない普通の夏の日、ただいつもと違ったのは、母さんが産気づいたことだ。
すでに父は仕事に行った後で、修行に行く前の俺が母さんの異変に気が付いた。この時点でもはやパニック寸前である。
そうだ。電話だ! --正確には魔導式通信機で、マナ・フォンという名前なのだが、この時の俺には関係ない。俺は即座に受話器を取った。病院や治安組織には専用の回線がつながっていて、ワンプッシュで通じる仕組みになっている。
『ハロー。救急ですか? 通報ですか?』
「きゅ、きゅうきゅーです! うまれるんです!」
泣きそうになるのを堪え、オペレーターさんの質問に答えていく。俺の涙はもう結界寸前だ。
『それでは搬送車を向かわせます。十分ほどお待ちになってください』
電話が切れると、俺はその場にへたり込んでしまった。心は紳士、心は紳士と何度も唱えて、次にするべきことを考える。
「かあさん。いたい?」
「だ……大丈夫よ。今は痛みが引いてるから……」
生まれるのはまだ先か? それとももうすぐ? 経験も知識もないから予測できない。前世の記憶もこんな時には役に立たない!
母さんの手を握る。そうだ。父は? 仕事場にいるよな? どうやって連絡すればいいんだ。俺、父の仕事場なんか分かんねえよ!
またあたふたと家の中を探し回り、メモ書きとか手帳なんかに連絡先が残されていないか、あっちこっちひっくり返したが、どこにも見当たらなかった。おい! 緊急連絡先はちゃんとわかるようにしておけよな!
俺は肩を落として母さんの元へと戻った。
「かあさん。とうさんどこいる? よんでくる?」
「お父さん、今は森に出かけている時間だから……病院に行ってから連絡してもらいましょ」
しばらくして搬送車が家の前に到着した。見た目は幌馬車に似ていたが、車を引く馬はいない。魔導式なんだな、たぶん。外に露出した運転席にはイカツイ兄ちゃんが座っていたけど、幌部分から出てきたのは中年のおばさんだ。ほっとした。
病院に辿り着くと、俺は母さんの言う通りに父に連絡してもらうように頼んだ。病室の前でじっと座り込んでいる。中では医師と治癒術らしき人が慌ただしく動き回っているから、邪魔にならないように外に出たのだ。
「…………魔力過剰によるショックだ。胎児にも……」
「おそらく、二度目の出産で……内魔力に過敏になって……」
中から医師たちの声が聞こえてくる。良くない状態なのか、矢継ぎ早に指示が飛び交っている。残念ながら、俺には彼らの話している内容が良く理解できない。俺はそわそわと落ち着かない体をなだめながら、彼らの声にじっと耳を凝らした。
しばらくして、父に連絡を取ると言ってくれた事務の人が、こっちに走ってくるのが見えた。父にはちゃんと伝わっただろうか? 事務の人は真剣な表情を隠して、僅かに微笑みを浮かべて俺の前でしゃがんだ。
目線が会う。
「とうさん。いつくる?」
俺は声が震えそうになるのを抑えて言った。おそらく顔は不安で一杯になっていることだろう。事務の人は大丈夫だよと言って俺の頭をぽんぽんと撫でた。
「お父さんは今、どうしても手を放せない仕事があるんだって。でも、赤ちゃんが生まれるときにはきっと間に合うから、待っててね」
事務の人は微笑みながら、大丈夫だと繰り返す。
直感だった。
今、父は連絡が取れない状態にある。森から帰ってきていないのか、他に非常事態でも起こったのか。父は病院に来れない。
ぽつんと病室前のベンチに腰掛け、俺は膝を抱えていた。
俺はどうするべきか? できることはあるのか?
ぐるぐると思考が同じところを回っていて、どれだけ時間が経ったのかもわからなくなっていた。ぎゅっと握りしめていた掌が冷え切っていた。突然、病室のドアが開き、母さんと医師たちが出てきた。
母さんは意識がないようだ。目を瞑って、顔は青白くなっている。
彼らは俺の前を通り過ぎ、処置室へと入っていった。俺はただぽつんと、閉じられた扉の前に立っている。
「とうさんを……さがさなきゃ」
母さんは本当に危ない状態なのかもしれない。父にこのことを知らせなければ!
病院の廊下を走り抜け、外に出ようとロビーにさしかかったとき、先ほどの事務の人の声が聞こえた。ささやくような、小さな声だったけど、俺の耳にははっきりと聞こえた。
「――――――――森に、魔族の群れが現れたらしいの」
急展開。主人公の家族がピンチです。