我、驚愕す
息を潜める。
呼吸の音、葉の擦れる音。ほんのわずかな音を頼りに、敵は俺の位置を探っていた。長く発達した耳は、ささいな音も聞き逃さないとばかりにひくひくと小刻みに動いている。
生命の溢れる森は不気味なほど静かで、そこに暮らす生き物たちの気配を感じさせない。陰に潜み、息を殺し、隙をうかがう。それが森の流儀である。
かさり。
眼下の草むらが揺れた。
――――今だ!
俺は循環させていた気を足の裏に集中させ、木の幹を蹴った。急に木の上から飛び降りてきた俺に、敵は一瞬、身体を硬直させた。
俺が着地の勢いを殺し、次の一歩を踏みこむ前。敵は逃走を捨て、攻撃態勢に入った。
ギュルルルル!
魔法子核が純魔力を生成する音だ。敵は跳躍し、回転しながら俺の眼前に迫る。
「当たるか!」
突撃の軌道を読み、状態を捻って避けた。
手に持った剣の刃に気を込める。すれ違いざまの一閃。敵の首を的確にとらえた一撃だった。ぶしゅっと赤い血が舞う。首をはねられた敵は突撃の勢いを失い、地面に落ちた。
胸の部分に露出していた、宝石のように輝く魔法子核は、主の命が失われた途端に暗く濁ってしまった。
「ふいー。ドリル・ラビット、とうばつせいこう」
こげ茶色の体毛に包まれた角を持つウサギ、ドリル・ラビットはれっきとした魔族である。体長は五十センチから大きいものだと一メートルくらいで、魔族の中では大分小さい方だ。だが、侮れないのはそのスピードと貫通力。ドリルのように螺旋模様の浮き出た固く長い角を生かして、自ら回転しながら体当たりを繰り出す。大型の猛獣だろうと風穴を開けてしまうほどの威力があるので、直撃するとそれなりに危ない。
一般人なら確実にグサリとやられます。
専ら戦士や魔術師の訓練用に狩られるので、「ラビットを倒せたら見習い卒業」と謂われていた。ゲームで例えるとスライムみたいな立ち位置だ。これで雑魚なのだから、熊さんを狩れるようになるまでの道のりは長いぜ。
本日五匹目のドリル・ラビットを担ぎあげる。十分に血抜きしたとはいえ、背中のリュックはぎゅうぎゅう詰めでかなり重い。
「今日は、ここまでか」
ヴェル爺のノルマを達成したので、森に長居は無用だ。ごく浅い部分であっても、危険な魔族が出没しないとは限らないからな。
冬が明けてからというもの、一日の修行内容に森での狩りが加わった。でも、春の魔族って危険なんだよ。特に冬眠種は。腹を空かしている上に、純魔力をたっぷり蓄えているからだ。だから、万が一にもフレイム・ベアなんかと遭遇しないように、細心の注意を払う必要がある。
森を出てリンドーの木がある空き地まで、気を全開状態にして走り抜ける。十分くらいでリンドーの木が見えてきた。ヴェル爺はいつものように木の大枝に腰かけて、街を眺めていた。
「ヴェル爺! ドリルとってきたぞ!!」
意気揚々とリュックに入った戦果を掲げる俺を見て、ヴェル爺は楽しげに笑う。リンドーから降りたヴェル爺にリュックごと預けた。俺が狩った獲物は全部ヴェル爺に渡しているのは、俺では獲物を売れないからだ。
魔族は特殊素材に分類され、専門の資格を持った人間じゃないと加工・販売ができない。禁猟期間をのぞき、魔族を狩るのは禁止されていないが、戦士や魔術師もしくは見習いでもない限りわざわざ魔族討伐なんてしない。
だから魔族素材の持ち込みは、冒険者互助組織である『エフ・ギルド』に一元化されている。勿論、国家直属の組織だ。エフ・ギルドに認可されて活動しているのが正式な冒険者、国をまたいで活動する実力者はフリーランスだと聞く。
お分かりいただけると思うが、きっちりと法整備され管理組織も存在するので、年齢規制なんかもあるんだな、これが。異世界に行ってギルドに身分証もなく登録できるなんて、ましてや年齢問わずなんて、そんな都合のいい話はないのだ。少なくともこの世界では。
俺の年齢ではエフ・ギルドに加入もできないし、素材も売りに行けない。よって、現役を退いたとはいえ、いまだにライセンス持ちのヴェル爺に何とかしてもらうのが一番。
どれくらいの値段で売れるかは、知らないし聞く気もない。だって俺はまだ三歳児、修行中の身だ。収入云々に関しては、冒険者になってから気にすればいい。
「きょうは、きれいに切れた。ちゃんと一撃でしとめてきたよ」
「そうかそうか。リュー坊は剣の使い方が分かってきたようじゃな」
「ぐいっとじゃダメ、すいっときると、きれいに切れる」
「コツを掴んできたか。リュー坊は頑張り屋さんじゃからな、上達も速いのう」
ふふん。身体は幼児でも心は大人。俺は今の努力が無駄にならないと確信しているし、「なんでこんな事しなきゃダメなの」的な疑問もない。学校の勉強が嫌いで、大人になって関数とか使わねーよ! と文句を言っていた(多分)過去が懐かしい。
それに、ヴェル爺はとても良き指導者だった。ムチャはさせるけどムリはさせない、ぎりぎりのラインで課題を出してくる。できれば褒めてくれるし、できなければできるまで根気強く待ってくれた。待たせたことはあんまりないけど。
ふむ。俺の目標である「世界一の剣士」に一歩ずつ近づいているな!
「ヴェル爺! てあわせ、しよう」
今日こそ一本取ってやる! 俺はやる気満々で剣を構えた。
「ほっほっほ。まだまだ脇が甘いぞい」
「げふっ!」
――案の定、ぽかすか打たれました。
その日、家に帰ると珍しく父がいた。いつもは日が暮れてから帰ってくるのに、今日は随分早い帰宅だな。何かあったんだろうか。
「よう、リューマ。帰って来たか。リアンナは今横になってるから、今日は俺と一緒に夕飯作るぞ」
「かあさん、どうしたの?」
具合が悪いのか? 朝、家を出るときはいつも通りに笑顔で見送ってくれたのに、風邪だろうか。心配そうな顔で父を見上げると、父は心配いらないと安心させるように俺の頭を撫でてくれた。
「リアンナは大事を取って寝ているだけだ。悪いことじゃないから、心配しなくていい。それよりもリューマの方が大変かもしれんなあ」
どゆこと? 俺は首を傾げた。
「なんせ、夏にはいきなり双子の兄ちゃんになるんだからな!」
な、なんだってー!!
母さん妊娠してたのか。しかも双子とか言いやがりましたよ。やっぱり医療技術も進んでるから、出産前に子どもの性別もわかったりすんのかな?
この世界は技術レベルの進歩がばらばらというか、ちぐはぐな感じなんよねえ。地球と違って、武器の類があまり発達していない。魔術師や戦士が圧倒的なせいか、誰でも使える武器を開発しようとする動きもないんだよ。個人技がすごすぎて、平兵士は雑魚、たくさんいても無意味、みたいな。
銃もあるけど、相手が気や魔術を使えれば普通に防がれるし。専ら娯楽・スポーツ用になっているらしい。
文明度は高いのに戦い方だけ原始的って、地球の記憶がある俺にしてみれば相当違和感がある。
でも、医療技術は高い。こっちでは外科手術と治癒魔術を併用するのが当たり前で、たぶん地球よりも優れていると思う。母さんの出産も、余程のことがないかぎりは安全だ。この時ばかりは、中世並みの文明度でなかったことに感謝感謝。
「おとうと? いもうと?」
「喜べ! どっちもだ!」
よし。妹は思いっきり可愛がって、弟はみっちりしごいてやろう。愛のムチだ。
「リアンナが元気な子どもを産めるように、二人でおいしいチャーネを作ってやろう」
「うん」
ちなみに『チャーネ』とはスパイシーなシチューだ。具はそれぞれの家庭で異なるが、ユーテリアの郷土料理である。父の料理は具がゴロゴロとたくさん入って、見た目はまさに男の料理。味付けも大雑把なのになぜか美味い。野生の勘だろうか。
夕食を食べ終えると、俺はルンルン気分で自分の部屋に戻った。俺の部屋の隣には、物置になっている空き部屋がある。きっとここが双子の部屋になるんだろうな。
部屋にある本棚を漁ってみる。ヴェル爺との修行がない日は、母さんによく絵本を読んでもらっていた。双子が生まれたら俺が呼んであげるのも良いかもな。本棚に並ぶ本たちはすべて読めるようになっているし、文字だって書けるぞ。
『ルベール王の伝説』『剣聖・ヴェルハルト伝』『炎の勇者と闇の迷宮』『大魔族図鑑』『リキーシュトア大陸のへんないきもの』『クライルヴィア王国史』
こうしてみると意味不明なラインナップだ。ていうか、これ絵本? みたいなのが何冊かあるぞ。文明が進んでるなら、児童文学だってもっとあっていいはずである。特に五冊目、『へんないきもの』とは何だ。どっかで見たことあるぞ、そのタイトル。
この書名たちを見て分かる通り、俺が居るユーテリアはリキーシュトア大陸の東端にあるクライルヴィア王国に属しております。王政なんだぜ? びっくりだろ。我が国は国土面積は中堅どころだが、技術力を武器に他国と渡り合っている。元日本人としては親近感がわくよな。でもクライルヴィアでは資源出るから、周辺国によく狙われる。
東端というからには大陸の端にあって、当然だけど海にも面している。ユーテリアは内陸の方の山奥にあるから微妙だけど、臨海都市にいけばうまい魚料理が食えると聞いた。楽しみー。
ぺらぺらと本をめくる。絵本とは名ばかりで、どれもかなり厚い。絵本というか、絵の多い本? 文章自体は簡単な言葉でわかりやすく書かれているから、一応子供向けではあるんだろう。
『剣聖・ヴェルハルト伝』に登場する豪快かつ華麗な剣技は、相当話が盛られていると解かっていても、やはり憧れてしまう。なまじ「気」なんてものが使えるから、余計に「できそうじゃね?」と真似したくなるんだ。黒歴史になるからしないけど。
でもいいよなあ……最終闘技・天地無法の極致!!
部屋の中を見渡して、誰も見ていないのを確認する。ちょっと構えてみた。ハアアア! 括目せよ!
……我に返って恥ずかしくなったのでやめます。