我、天命を得る
妖精とは精霊界の住人である。
精霊界とは、この世界に隣接する異界のことだ。異界は分かりやすく言えば桃源郷とかあの世みたいな場所のことで、ある特定条件下で行き来可能な世界らしい。精霊界と言うからにはもちろん、精霊もいる。そのほかにも幻獣と呼ばれる類のものや、悪魔に天使まで。あまりにも多様な種族が住んでいるから、彼ら自身も全ての種族は把握していないそうだ。そのカオスな世界を治めて、というか秩序を創り出しているのは五柱の王だ。
人間側はというと、精霊界の住人とは基本的にビジネスライクな付き合いをしている。稀に友だちになったり、主従関係になったりすることもあるそうだけど……。
いかん、どうして俺は普通に説明なんかしてんだ。決めたじゃないか、魔法を見るまでは、希望を捨てないって。精霊界? 異界? 知るか。そんなものはここが地球ではないと言う証明になるわけが……ある? あう。
「ねえねえねえ! キミはリーちゃんの子なんでしょ? うっはは! 超似てるし、小っちゃいリーちゃんだし! 女の子? 男の子? どっち?」
「おとこ……」
「男の子なの? 可愛いね! 食べちゃいたいんだけど! ねえ、リーちゃん。あっちに連れてっちゃダメ?」
「ダメよ。リューマはまだ二歳なの、帰ってこれなくなっちゃうでしょう」
「えー残念無念! お家にご招待はまた今度ね!」
うるせえぇ、コイツ。小さな体からは想像できない大声で頭に響くのだ。もっと、控えめにしゃべってほしいが、二人が俺の不機嫌顔に気づく様子はない。この妖精めが! 全体的に緑色で意味不明なんだよ。
「ふぃー、ちゃん? ようせ、て、なに?」
「なんだい、気になるのかい? いーよいーよ。教えてあげる! 妖精族はね、精霊界セーメディアと現実界バルメディアを自由に行ったり来たりできる唯一の種族なの。だからお仕事たくさんあって、お給料も良いんだよ! 妖精族はすごいんだから!」
「すごい、の?」
「もっちろん! 二つの世界の交流は妖精族から始まったんだからね!」
彼女が言うには、精霊界と現実界の二つの世界が存在することは、かなり昔から知られていたようだ。だが、まともな移動手段もないし交流もできないから、お互いに不干渉の時代が長く続いた。その状況を打破したのが、精霊界の先々代の王たちである。
隣り合う世界だけあって、偶発的に迷い込んでしまう事例はかなりあったそうな。迷える隣人の帰還手段として、古くから双方で世界を渡る方法は研究されてはいた。それが実を結んだのが、ざっと八百年前。
この研究によって、特定条件下において二つの世界を繋ぐ回廊を出現させることが可能になった。ただし、通行制限アリ。この通行制限と言うのが、魔力特性に大きく影響されるもので、妖精族は一番適性があったらしい。このときから妖精族は、世界交流の中心的な存在として活躍している、と言う話だった。
へえ、そうですか。
なんというか、ええ、うん。はい。もう「認めちゃえよ☆」っていう神様のおぼしめしなんですかね。この世界にいるのかは知らんが。
俺は無我の境地に入りかけていた。もういいや、めんどくさいことは後回しにしようとか思ってたら、ちび妖精が何か変なことを言い出した。
「リーちゃん、リーちゃん! この子、洗礼受けてないの? なんで?」
「それはねえ、受けたには……受けたんだけど…………。この町の教会で使っている精霊水では濃度が足りなくてね、もっと濃いのを取り寄せてもダメだったの」
「マジ? どんだけ内魔力多いの、この子! じゃあさ、じゃあさ。『試練の泉』に連れていけば? ここから近いでしょ?」
「そうしたいけどね。リューマを連れて山道を歩くのは、無理でしょう? だからせめてこの子が五歳になるまで待とうと思ってたの」
「そうだったのか! でもでも、私ならひとっ飛びでいけるよ! 洗礼受け
るのはやい方がいいでしょ? 私が連れってあげる!」
「まあ、本当に? じゃあ、お願いするわ」
あれれ? 謎ワードがどんどん増えていくぞ? 決定的な確証もないままに外堀を埋められていってるカンジ。たすけてー。
なんて考えていると、身体がふわッと浮いた。
「……な!!」
「リーちゃん! ちょろっと行ってくるから、おやつ作って待ってて!」
え、行くって何。どこに。それよりも、今浮いてない? 俺、浮いてるよね。おろして、降ろしてってばああああ!!
ジタバタと暴れる俺をよそに、手のひらサイズの妖精は外に出る。
「いってきまーす!」
「う、うわああああああ――――!?」
ばびゅーんと効果音を出しながら、妖精のフィーは空の彼方に飛び去った。俺をぶら下げて。
二十分ほどの空の旅を終えて、地面に感動の再会を果たした。飛行中はつかまる物も無く、俺を持ち上げる妖精の羽は小さい。挙句の果てに、途中何度かブラックアウトしそうになったよ。高所恐怖症になりそうな経験だった。
あれは魔法的な、ミラクルな力が働いていて、落ちることはないとフィーは言ったが、信じられるか。二回くらい急激に高度が下がって、墜落しかけたもん。死ぬかと思った。
「ふぃー、どこいく?」
森の木々は背が高い。草も俺の身長くらいある。つまり、前が見えない。だんだんと不安がつのって、若干涙目になっているのは見逃してほしい。俺の体は推定二歳児なんだ。
「ふっふーん! とっても綺麗な所だよ! 見たら感動しちゃうもんね、泣いちゃうもんね!」
フィーは俺の人差し指の先っちょを引っ張りながら、自慢げに言った。今さらだけど、このフィーという妖精、かなりの美少女である。全体的な配色が緑色なのだが、髪や目はエメラルドグリーンで、光に反射してキラキラと輝いていた。黙って座っていれば精巧なビスクドールのようで、口を開けば残念なのが玉に瑕である。
草をかき分け進んでいくと、ひらけた場所に出た。
「うわ」
そこには鮮やかな碧い湖が広がっていた。アクアマリンの水には生き物の気配がなく、泳いでいる魚の姿も見えなかった。湖底はさらっさらの白い砂、沖縄の海を連想させる光景だ。
明らかにここだけが別世界。湖の所だけ余所から持って来たみたいに、土の色も変わっている。
「どうどうどう? キレイでしょ? 来てよかったでしょ?」
「……うん」
確かに綺麗だ。俺はのんきに絶景を堪能していた。フィーが俺をここに連れてきた目的を忘れて……。
「じゃ、行ってみよーか!」
「んう?」
フィーは再び俺の体を持ち上げると、湖の中央付近まで飛んで、手を放した。手を放した。大事なことなので聞き逃さないでくださいね。水深がどれだけあるかは知らないが、少なくとも幼児の足がつくような深さじゃない湖の上で、手を放しやがったのです。
俺はどうなるか?
そりゃもう……落ちますよ!
盛大に水飛沫をたてて、俺は湖に沈みました。
◆
湖の水に触れた瞬間、俺の意識は飛んだ。いや、拡大した。転生前、魂の川を漂っていたときの感覚によく似ている。魂が肉体の楔から解放され、自由になる。どこまでも飛んでいける。魂となって友との再会の約束を果たした男のように、今なら、地球にも行けるかもしれない。俺の故郷に――――。
その時、ぐんと意識が引っ張られ、世界の中に引きとどめられたのが解かった。一度解放された魂が肉体に還るとき、一時視界は暗闇に落とされた。
真っ暗な闇の中に、一筋の光が射す。
スポットライトに照らされるように、ソレだけが浮かび上がって見えた。剣だ。突き立てられた剣だった。
『これが……ぼくの……俺の道か』
唐突に理解した。これはおそらく、運命とも呼ぶべき何かだと。そして、俺にはしなければならないことがあると。多分、前世からの因縁だろう。死ぬ前の俺と、今の俺とつなぐ何かがあって、その何かのために俺は剣を取らなくちゃいけなんだ。
解かったのはそれだけだ。前世の記憶が定かでない俺では、全貌などまるで見えてこない。ただ、するべきことは理解した。
ふっと意識が肉体に戻る。水面が見えているから、落ちた直後か。魂に時間の縛りがないと言うのは本当らしいな。意識が拡大したときには、何年にも感じたのに、現実では三秒と経っていないようだ。
俺は手足をばたつかせて、水面から顔を出した。立ち泳ぎなんぞできないから、顔が沈みそうで息が苦しい。あれ、もしかして溺れてる?
するとフィーが飛んできて俺を引き上げた。ゲホゲホとせき込みながら、呼吸を整える。ちょっと水飲んじゃったよ……。
「大丈夫? ちゃんと見えた―?」
「うん、見えた」
「そっか、良かった良かった。連れてきた甲斐があるっていうもんだね! この泉で洗礼を受けたなら、キミはきっとすごい人になるよ」
「……うん」
洗礼、か。宗教的な儀式だろうとは思ったけど、ガチで水の中にぶち込まれるとは思わなかった。神託的な経験しちゃったし、転生しちゃったし、この世界には本当に神様がいるのかもしれないな。
何はともあれ、
「ぼくは、世界一の剣士になるよ」
俺はこの言葉を実現させなければならない。