その8
「…姫、入るよ」
「男鹿様?」
数日すれば城での暮らしにもなれていた。
男鹿は鈴の部屋に訪れることの方が多く、男鹿が鈴を呼び出すことはなくなり、優礼や月秦に会うことも少なくなっていた。
「もうお食事の時間でしたか」
鈴が準備をしようと立ち上がると、男鹿がそれを制した。よく見ると背後に誰かが居るようだった。
「いや…まだ大丈夫だよ。君に紹介しておきたい人物がいてね」
「紹介しておきたい、人物…ですか?」
鈴は興味深く男鹿の背後を覗く。そこにはコートを着てフードを深く被った、男か女か判断できない人物がいる。
するとフードをとり、その姿が露わになった。美しい顔は女性のもので、つり目気味の瞳が印象的だった。
「どなたでしょう?」
「彼女はこの城で唯一の女のヴァンパイアさ」
男鹿によれば、元々ヴァンパイアは女の出生率が低く女が多くないので、城にいるのも彼女だけらしい。
彼女は城で働く男鹿の従者たちに血を分け与えているそうだ。
かといって男鹿には今は優礼と月秦以外の従者はいないようで、二人も週に一度で十分な為、彼女の仕事はあまりないらしい。
「…あなたが鈴姫?」
彼女は自ら名乗ることなく、聞く。鈴は訝しげに眉をひそめた。
鈴の故郷、紅の国では初対面の女性に対して名前では呼ばない。女性を名前で呼ぶのはごく親しい間柄のみであるのが普通だった。これは紅の国に限らず、どの国でもいえることのはずである。
鈴がたとえ一国の姫でなくても――お嬢さん、娘――女の呼び方はいくらでもある。鈴はその立場から、姫君と呼ばれることが多かった。
少なくとも初対面の人に鈴姫と名前で呼ばれたことはない。
「……そうです」
「…せいぜいご当主様のご機嫌をとって生き長らえることね」
馬鹿にするように笑い――否、恐らくは馬鹿にしているのだろう、彼女はそのまま名乗らず部屋を後にする。
鈴が思わず反論しようと腰を上げたとき――男鹿が彼女に振り向かずに冷たく言い放つ。
「失言を見逃すのもこれが最後だ、麗花」
「――ご当主様っ…」
麗花と呼ばれた彼女が振り向き、何か伝えようと狼狽えていると、男鹿は振り向き突き返した。
「去れ。しばらく俺の前に姿を見せることは許さん」
それはハッキリとした拒絶で、おそらく彼女にとってはとても大きな罰なのだろう。――彼女の顔は絶望そのものを表していたのだから。
鈴には男鹿が怒っているのは分かった――だがなぜ男鹿がそこまで怒るのかが分からなかった。
男鹿はそのまま鈴に何も言わずに、背を向けて去っていった。




