第一話 ありふれた朝と、ありえない願い
いつからだろう。
自分の人生を、自分で「選んだ」と言えなくなったのは。
正確には――
選ばなかったのではない。
選ばずに済む道ばかりを、無意識に選び続けてきたのだ。
学校も、進路も。
気づけばすべて、誰かが敷いたのか、それとも自然に生成されたのかわからないレールの上にあった。
敷かれているなら、乗ればいい。
外れなければーー転ばない
転ばなければーー痛くない
波風を立てず、摩擦を避けて、無難に進む。
だがレールを外れてみたいという気持ちもあった。
でも、失敗するのが怖くて
結局はそのまま
――まさか進行方向にレールがないとは知らずに。
⸻
耳を刺す目覚ましの音で、瓜原颯真かわはらそうまはまぶたをこじ開けた。
白い天井は今日も変わらないはずなのに、どこか遠く、ぼんやりと霞んで見える。
胸の奥に、言葉にならないざわつきが残っていた。
(……今日は、何か起こるだろうか)
小説みたいな異世界転生。
少年漫画みたいな覚醒イベント。
現実じゃありえない。
分かっている。
分かっているけれど――ありえたら、いいなと思ってしまう。
期待を胸の奥に押し込めて、颯真は家を出た。
⸻
朝の空気は冷たく、吸い込むたび胸がひきつる。
通学路を歩きながらも、妄想は止まらない。
(角を曲がったら、運命の出会いとか……)
曲がる。
何もない。
次の角を曲がる。
やっぱり、何もない。
小学生が駆け抜け、自転車がブレーキを鳴らす。
世界は今日も、期待に対して無言だった。
学校が見える頃には、期待はすっかり冷え切っていた。
現実はいつだって、余計な優しさをくれない。
⸻
昇降口に入ると、いつもの空気。
挨拶する相手は数人。友達と呼べる相手は、いない。
正確には、いなくもないけれど、いるとも言い切れない。
教室に入り、席につく。
ざわめき、笑い声、椅子のきしむ音。
どれも“日常”のはずなのに、自分には遠く感じられる。
しばらくして1時間目の数学の授業が始まった。
教師の声は音として耳に入るが、意味としては抜け落ちていく。
ノートを取るふりをしながら、颯真は思う。
(……狭いな)
何が、とは言えない。
ただ、息が詰まる。
⸻
昼休み、颯真はひとりで弁当を開く。
教室の笑い声は、ほんの数メートル先のはずなのに、膜越しに聞くみたいに遠い。
「なあ、昨日のイベントやった?」
同じゲーム仲間の大樹が近づいてきて、しばし軽い会話を交わす。
ボスが強かっただの、範囲攻撃がどうだの―。
「そういえば、あの地震なんだったんだろうな」
原因不明。
1週間ぐらい前
世界中で同時に起きた、妙な地震。
ネットでは『変な生物を見た』なんて投稿も増えていたが、
どうせフェイクだろうと、颯真は気にも留めなかった。
みんなが非日常の話をしているとそれを否定したくなる
逆張りというやつだろうか
自分はその非日常を求めてるくせして
「もしかして世界が滅ぶ前兆だったりして!…ま、そんあわけないか!」
会話が終わると、大樹は友達と一緒に購買へ向かっていく。
その背中を見送りながら、颯真は心の中でぼそりと呟いた。
(僕だけ、物語の外側にいるみたいだ)
主役どころか、モブですらない。
背景の背景。
エキストラ未満。
⸻
放課後。
最後のチャイムが鳴ると、教室は一瞬で華やかな声に満たされる。
長い、でも思い返すと短い時間が終わる。
鞄を肩にかけ、窓の外を見る。
夕日が机の上に伸び、光がじんわりと広がっていく。
(……今日も、何も起きなかったな)
ため息が漏れる。
特別な力が目覚めるどころか、普段通りの一日。
そんな出来もしない奇跡に縋っている自分自身が、いちばんみっともない。
帰る途中、オレンジ色に染まった空を見上げる。
夕日はいつ見ても綺麗だと思う。
気づけば、家の近くの河川敷に来ていた。
ここは不思議と心が落ち着くから好きだ。
土手の斜面を撫でる風、下で野球をする子供、対岸に見える二つの大きなマンション。
ふと、空に黒い鳥のような影があることに気づく。
それははるか上空で羽ばたいているように見えた。
瞬間、周りの音が聞こえなくなる。
その影に目が釘付けになる。
聞こえるのは高鳴る心臓の音だけだ。
(なんだあれ?…まさかドラゴン!?ネットの投稿は…本当なのか!?)
そんなわけがない。
現実を信じろ。
現実を。
多分それは、ただの見間違いだった。
おそらく自衛隊基地が近いし、自衛隊機だろう。
そんなことを考えているうちに影は雲の間に消えていった。
非日常に触れた気がして嬉しかった。
心の中の重みが少し軽くなった気がする。
まだ心臓はドクドクと音を立てている。
帰宅すると、台所から母の声が聞こえる。
部屋に入ると、機械的にゲームの電源を入れた。
三時間ほどオンラインの仲間とプレイし、宿題をやり、夕飯を食べ、シャワーを浴びる。
すべてが“普段通り”だった。
夜。
ベッドに横になり、静かになった部屋で天井を見つめる。
(漫画みたいな展開なんて来ないって……分かってるんだけどな)
胸の奥がかすかに渇く。
所詮僕は、どこにでもいて何処にでもいる中学三年生、その他大勢の1人だ。
⸻だからこそ
特別になりたかった
自分だけの何かが欲しかった
けれど努力する気は、いつの間にかどこかに置き去りにしてきた。
その願いだけが、目の前でふっと浮かび上がっては沈んでいく。
分かっている。
奇跡なんて来ない。
努力もしない自分に、何かが起きるはずがない。
それでも――心のどこかで、期待している。
自分だけの物語が始まる日を。
名前すらないモブの僕にも、ふいに光が差す瞬間があるのだと。
やがてまぶたが落ち、意識は静かに闇へと沈んでいった。
⸻その夜。
颯真はまだ知らなかった。
この眠りが、夢ではなく、夢のような現実に向かう片道切符だったことを
読んでくれてありがとう!
ぜひ評価していってください




