先触れ(2)
※この物語はフィクションです。
本文に現代パラレル的な言葉、表現、名称が登場しますがご了承ください。
あの日、城の裏手から出たところで普段と何ら変わらないと言っても良いほどであった。
ステフィーヌは、栗毛の馬に跨がり、後方の城を振り返る。
度々、城門を破壊せんとする轟音が聞こえたが、それ以外はまるで時が止まったように静かだった。
もとより、城を守るのはごくわずかな側近やウィアの身の回りの世話をする使用人達だけであった。
城下の国民達は息をひそめて成り行きを見守っているだけで、誰も我が国の女王の身に起きていることに特段の関心を払うものはいなかった。
あまりにも何も知らない「無垢」なのだ。
ウィアのことを、そう称した人が居た。
彼女は、純粋すぎるが故に、人の上下や貧富などを理解しない。
理解しようともしないし、理解されようともしない。
だから、とても傲慢な一方でとても気安い。
そんな女王を、国民が敬愛することはあり得なかった。
ただ、ナザレ王国がナザレ王国であり続ける為に、生かされているだけの象徴の女王。
傾国と謳われる程の美しい容姿を持っていたが、真実は、花瓶にたたずむだけの切り花のようだった。
それでも、ステフィーヌにとっては守らねばならない主には違いない。
ナザレからガレリアまでは、早馬であれば1日半ほどでたどり着くことができる距離にある。
ガレリアは、西の大陸で最も古い権威ある国々のひとつで、歴史ある大国と言う点ではナザレ王国も同様であり、立地も近いガレリア皇室とは親交があった。
ガレリアには、西の大陸に生きるものなら誰もが一度は耳にしたことがあるだろう高名な皇子が居る。
『ラトル・ガレリア』
聡明にて華麗。天上の天使が地に降りて来たかのようだと言われる美しく賢い皇子。
風を操る舞手。
「幼なじみ」なのだと、ウィアはよくステフィーヌに話した。
幼少の頃より見知ったラトルだけが、孤独なウィアが頼りにする唯一の”友人”であった。
実際に、舞手となる為にガレリアで修行したステフィーヌは、その目でラトル本人を見ている。
頼りにできるのは、確かにラトル・ガレリアしか考えられなかった。
気は急いたが、今は出来る限り目立つことを避けなければならない。
実際には予想外の長期間持ち堪えたが、両日中にも城が落ちるであろうことを考えると派手な行動は禁物であった。
ステフィーヌは、普段から「色彩が無い」と、ウィアに度々苦言を呈された地味な衣装に、さらにくたびれた旅装用の茶色のマントを身にまとった。肩下まで伸びていた美しい髪は、ガレリアとの中間点にある街でナイフで切り取った。
歴史ある大国と言っても、ナザレとガレリアは今やまったく違う立場にあった。落日の陽を見てから長いナザレに近づく程、その間にある町や村はくたびれて行き、ガレリアに近づく程、近代的で活気ある風景が続く。
美しい色彩に彩られたガレリアの街並と低い城壁が見えて来た頃、行き交う旅人からナザレ陥落の噂を聞いた。城門に近づく程に、ナザレのそれとは違う、どこか活気に満ちた明るい喧噪が聞こえてくる。清浄な空気を身にまとった、堅実ではあるがこなれた衣装の憲兵が、マントを頭から被った薄汚れた旅人に言葉を告いだ。
「旅の方。ガレリアへはどのようなご用事で?」
目を開けると、瀟洒な天蓋が見えた。
素早く左手を伸ばし剣に触れる。いつの間にか抜けなくなった癖。
その後ゆっくりと右に顔を傾けると、クリスチャンが少し額に皺を寄せた顔で椅子に座ったまま船を漕いでいた。
「クリスチャン・・・。」
ごく小さな声で呼びかけると、声に反応したかのようにひときわ大きく船を漕いだあと、身体を痙攣させて椅子から落ちそうになる。
今度こそ、ステフィーヌも慌てて大きな声で名を呼びながらクリスチャンの身体を支えた。
「クリスチャン!」
「・・・ステフ!?」
目を覚ましたクリスチャンは、慌てた様子でステフィーヌから身体を離すと襟を詰め直し頭を撫で付けて姿勢を正す。
「し、失礼しました。うっかり眠ってしまったみたいです。」
「クリスチャン、いつからここへ?」
「昨日、様子を見に戻りましたらお休みのようだったので・・・。」
「まあ、そんな・・・。」
クリスチャンは、ひたすら恐縮したように肩をすぼめると”面目ありません”と言った。
「私は部屋に戻りますね。もう数刻したらお迎えにあがります。」
「あの、クリスチャン。あなたがそんなことをしなくても・・・。」
黒髪に青い瞳の青年は、大変に気の優しい誠実な男だった。しかし、一本芯の通った己の信念は踏み外さない、非常に貴族然としている。実際に、このガレリアでも5本の指に入る名家、メイヴィル侯爵家の嫡男というのが、青年の素性だった。
このガレリアでは、『舞手』が非常に尊敬されている。二つ名までも持つステフィーヌが丁重に遇されるのは不思議ではないのだが、それにしてもクリスチャン程の身分の人間が手ずから尽くすのは不思議な気分だった。
クリスチャンが部屋を出た後、ステフィーヌは起き上がり部屋の一角にある豪奢だが品の良いテーブルに、不釣合いと言わざるを得ない粗末な包みが丁寧に置かれているのを確認した。
ナザレを出た時に持ち出したわずかな私物の包みから、宮殿で常に身にまとっていた衣装を取り出す。
ナザレの宮殿とて、断じて東屋などではないのだが、王家に連なるものがウィアだけとなって後の王宮内は、装飾もひとつ、またひとつと消えてゆき寂しいものであった。
ナザレの王宮では違和感を感じなかったその衣装は、ガレリアの宮殿内ではいっそ質素に見えた。
腰に3本の剣をさした後、この部屋に滞在して初めて窓の外をのぞんだ。
大きく、美しい装飾の施された窓から眺める広大な敷地、庭園の見事さに目が眩むのを感じる。
大輪の薔薇か百合のような女王が、今ここに居たらどれほど良かっただろう。
奥底で胸が痛んだことに気付いたが、ステフィーヌは努めて忘れることにした。
ほどなく、言葉通りクリスチャンが部屋を訪れ、ステフィーヌはラトル皇子の待つ部屋へ通された。