第1章 先触れ
※この物語はフィクションです。
本文に現代パラレル的な言葉、表現、名称が登場しますがご了承ください。
「やあ、ノヴァ。今日も良い天気だね。」
熱心に、庭木の手入れをする切れ長の目、黒髪、痩身の少年に声を掛ける。
「ラトル様こそ、良くも飽きずに毎日庭仕事を覗きに来はりますなぁ。暇人。」
「君ほどではないよ。」
軽やかに笑いながら、風にそよぐ金髪と灰色の瞳の青年は返した。青い空に、澄んだ太鼓の音が響く。
「これ…。」
聞き覚えのある音に黒髪の少年が振り返るとほぼ同時に、金髪が前方の茂みを向いた。すると、茂った木々の間から、見慣れた姿が飛び出してくる。短く刈った黒髪に秀でた額、襟を首元まできっちりと締上げた男が、ラトルの前に跪く。
「どうしたの、クリス。」
「ラトル様。ナザレが落ちました。亡命者がいます。」
胸を押さえて一拍置くと、再びクリス・・・クリスチャン・メイヴィルは言葉を継いだ。
「女王の使者を名乗っているとか。」
「戻ろう。」
「ラトル様!!」
いつも穏やかに緩められた額に深い溝が刻まれるのに驚き、少年は庭木から離れた。
「ノヴァク。後から訪ねてきなさい。紹介したい人がいるから。」
それだけ告げると、足早にラトルとクリスチャンは城に向かって去っていった。ノヴァクは空を仰ぐと冷たい風が頬を撫でるままに、しばし立ち尽くした。
ラトルが肩にローブを掛けただけの簡易な姿で大広間の玉座の前に立った時には、すでに大半の重臣達が列席していた。父皇帝は不在。良くないタイミングでの凶報だ。
玉座下には、短く髪を刈込んだ細身の少年が跪いていた。少年の両脇に立った兵士が声を上げる。
「御前にあらせられるは、高貴なる方。使者は名乗られよ。」
ラトルのすぐ横に控えていたクリスチャンが言葉を添える。
「使者殿、顔をお上げなさい。」
クリスチャンが使者を気遣っているのを見て、相変わらず甘いと微笑みながらも、ラトルも付け加えた。
「女王の使者とか。」
意を決したように、目の前の頭は一度沈むと静かに言葉を紡ぎ始めた。
「“荒ぶる風の君”。」
顔を上げる。
「荒ぶる風の君。お久しゅうございます。どうか、どうかお力をお借し下さい。」
「ステフ…!?」
半分悲鳴のような声でクリスチャンは小さく叫ぶと、すぐに痛ましげな視線をラトルとステフの間でさ迷わせた。
「ステフ。かしこまる必要はないよ。良く知らせてくれた。」
「荒ぶる風の君!ナザレは・・・。」
「詳しい話を聞きたいところだが、お前がそう呼ぶのなら私もそのように応えようか。”凍てつく森”?」
「ラトル様・・・!」
その名を二度目に口にすると、緊張の糸が切れたようにステフは脱力し、その場に崩れ落ちた。すぐさまクリスチャンが駆け寄って腕をとる。
無言でラトルと視線を合わせると、クリスチャンは自らステフを抱き上げるとその場から連れ出した。
ステフ達が退場するのを確認し、広間の臣下達に向かってラトルは告げた。
「使者の名はステフィーヌ。二つ名を持つ“舞手”だ。我がガレリアにあっては、皇帝以下並び立つ客人ゆえ、心するように。」
この世には、古くからの騎士道の頂点として『舞手』という称号が存在する。その使い手が振るう剣はまるで踊るように華麗で洗練されていることから『舞手』と呼ばれるようになった。
始まりが騎士道であり、舞手の多くは王族・貴族の出身者である。さらにその中でも極めた技術を持つものは『二つ名』を与えられ、国の守護者として、王族とごく近くに値する尊敬を受ける。二つ名は限られた使い手だけが持つ称号であり、舞手の中でもその数は限られていた。
黒髪、こげ茶の瞳をした年若い女が二つ名を手に入れたのは、今から数年前のことだ。それよりも昔、この世界に幾つかある国の中でも最も歴史の深いひとつであるガレリアへ、ナザレの女王、ジョアン・ウィアに連れられてやってきた。そして、世界中の王族・貴族の子弟の中で、剣の腕を磨いた。
動機はただひとつ。女王が望んだからだ。当時、大国でありながらナザレには使い手と言える舞手はおらず、しかし常に内乱に脅かされていた。
類稀なる才能を持っていたのか、このステフィーヌは、舞手の称号を得ると同時に三度競技会を制し、見事二つ名を手に入れた。『凍てつく森』とは、彼女がウィアに拾われた場所であり、その冷たく鋭利な剣筋を揶揄したものでもある。
概ね、二つ名はその舞手の有り様を想像させるような名をつけるのが習わしだった。
「気分はどうですか?」
薄暗い部屋の中で目をあけると、秀でた額の青年が心配そうに覗き込んでいた。ふと視線を巡らせると、良く見知ったラトルの乳母が水差しを手に部屋を出て行くところだった。
「クリスチャン・・・。」
名を呼ぶと目の前の顔がうっすらと微笑んだ。
「お久しぶりです、ステフ様。2年ぶりでしょうか。二つ名を得られて、女王と一緒に陛下にご挨拶に参られた時以来では・・・。」
「クリスチャン。私、ウィア様を・・・・・・。」
ステフィーヌの言葉に、クリスチャンは彼女が主を置いてこの国へやってきたことを思い出した。
「ごめんなさい、ステフ・・・。しかし、あなたはよくここまで辿り着いた。」
「己を責めるなとは言わないけれど、成すべきことがあるだろう。」
クリスチャンの後ろから降ってきた声に、思わず背筋が伸びる。急いで寝台から降りようとしたが、クリスチャンに止められた。
「ステフ、よく無事で。よく知らせてくれたね。」
「ラトル様・・・。」
昔とまったく変わらない美しい王子の姿と微笑みに、両の瞳から涙があふれ止まらなくなった。クリスチャンの代わりに寝台の脇へ腰を据えたラトルは言葉を継いだ。
「ステフ。ナザレで何があった?」
「反乱が・・・。首謀者はナザレ王家の遠戚にあたります、メール伯爵家のライナス。」
「ライナス?」
「殿下もご存知の通り、ナザレでは大粛正のあと、象徴となられたウィア様以外の王族は存在しないことになっているのです。いえ、存在してはならないのです。その為、今や数少なくなった王家に縁のあるもの達は、縁があることを口外しません。」
「では、一市民の資産家として?」
「遠い血縁であるとは伝え聞いております。」
「メール家と言えば、大粛正のおり、国王ご一家を屋敷に隔離したという、あのメール家なのですか?」
クリスチャンが口を挟むと先を促した。
「そのメール家の嫡子。今は当主となられた方がライナス様。ウィア様は幼い頃に面識がおありです。その為か、捕らえられても殺されることはないとおっしゃられ、私にはガレリアへ向かうよう命じられました。」
「共に逃げるより、ジョアンが残ることで時間を稼ぐこともできるしな。」
「ジョアン・・・ウィア様の命を受け、国を離れてから2日程の間はウィア様が捕らえられたとも、城が陥ちたとも近隣には伝わっては参りませんでした。余程引き返そうかとも考えましたが、3日目にガレリアの国境に差しかかった所、城が陥ち、王家は全面降伏したとの報を聞きました。・・・ラトル様、わたくしは・・・・・・。」
「辛かったろう、ステフ。よく堪えたな。」
「はい・・・・・・っ!」
ラトルの見かけによらず低く穏やかな声で労われ、抑えきれなくなった感情に涙と嗚咽しか出なくなる。そのステフィーヌを一度ゆっくりと抱きしめると、身体を離したラトルは2、3クリスチャンに何事かを命じる。
「お前のことだ。すぐにでもウィアの元に戻りたいだろうが、まずは身体を休めなさい。それからだ。ナザレを取り戻すにはお前の力がいる。明日もう一度、私と話をしよう。」
ラトルは念を押すようにステフィーヌに告げると立ち上がった。
「よくおやすみ、ステフ。また明日。」
扉の外にラトルを送り出すと、クリスチャンが振り返った。
「私は後でまた参ります。ステフィーヌ、おやすみなさい。」
ふたりが出て行った後も、一度ふくれあがった感情と悲しみ、不安で、ステフィーヌは再び眠りにつける気がしなかった。3日3晩、飲まず食わずで走り続けてきたにも関わらず、不思議と高揚し、すぐにでもここを抜け出さなければいけないような気がした。
ふと、控えめに扉を叩く音がした。
王宮の召使いか、それとも、もうクリスチャンが戻ってきたのだろうか。
ここはガレリアの王宮。よもや追手が現れる筈がないと思いながら、寝台の横に置かれた剣に手を伸ばす。
「開けるよ。」
高く軽やかな声が告げると、扉が開き、長身で肩口までの緩やかな曲線が美しい髪をした青年が現れた。
「驚いたよ。久しぶりじゃないか、氷の。」
「エマン!?」
部屋に入ってきたのは、旧知のガレリア貴族だった。エマン・サンドラ伯爵。大変能力の高い魔法の使い手だが、奔放すぎて手におえない、ラトルの悪友とも言うべき人物だ。
遠慮なしに寝台横の椅子に座り込むと、エマンは眉を潜めた。
「それにしても酷い頭だこと。仕方がなかったのだろうけれど、髪は女の命とも言うだろう?」
言葉の辛辣さと裏腹に、優しくステフィーヌの額に手をあて、髪をかきあげる。
「私ほどじゃないにしても、ラトルやらクリスやら、勝手なことを言って勝手に出て行ったんだろう?それで眠られやしないだろうと思って来てみたんだよ。」
再びステフィーヌの額に手を当てると、エマンが小さく呟いた。
「ここだけの話。あんまり魔法みたいなものは使いたくないんだけれどさ。しかも、私の力は回復の魔法とかそういうのとは違うから。役に立たないかもしれないけれど。」
エマンの得意としているのは援護魔法。人の持つ力を増幅させる為に使われる魔法で、それ自体が攻撃力や回復を促すものではない。
「ううん。ありがとう。力を借りれば回復が早まるわ。」
額が一瞬熱くなる。するとすぐに身体全体が沸き上がるように暖かくなってきた。
「さてと、お暇するよ。いま、ラトル達がナザレについてみんなと協議をしているから。だから安心しなさい。」
ステフィーヌは無言で頷くと寝台にもぐりこんだ。すべては、明日から始めればいい。
その姿を確認すると、エマンも部屋から出て行った。