『八月の鏡』
ご覧いただきありがとうございます。
この作品は、夏の夜にふさわしい「怪談風ホラー短編」です。
古い家の鏡に映る“もうひとりの自分”をテーマにしました。
寝る前に読むと夢に出るかもしれません。お気をつけください……。
八月の蒸し暑い夜。
僕は田舎の祖母の家に泊まっていた。
築百年は超える古い家。障子はところどころ破れ、廊下はきしむ。
電気を消すと、外の草むらから無数の虫の声が聞こえる。
その夜、寝付けなかった僕は廊下を歩いた。
すると、物置の奥でふと奇妙なものを見つけた。
――古びた姿見。
木枠は黒ずみ、鏡面は少し曇っている。
だが、不思議なことに僕が映った瞬間、背筋が凍った。
鏡の中の“僕”が、一瞬だけ笑ったのだ。
口角を吊り上げ、暗闇で笑う僕。
実際の僕は笑っていない。
「……気のせい、だよな」
慌てて布をかぶせ、その場を離れた。
翌朝。
祖母にその鏡のことを聞いた。
「ああ、あれはね、夜は見ちゃいけないんだよ」
「どうして?」
祖母は俯いたまま答えなかった。
その日の夜。
寝ていると、障子の向こうからカタリと音がした。
胸騒ぎがして、物置へ行ってしまった。
布が落ちていた。
そして、鏡の中の“僕”が立っていた。
髪は乱れ、口は裂けるように笑っている。
動けない僕を尻目に、“そいつ”は口を開いた。
「――代わろうか」
僕は逃げ出した。畳を蹴り、必死に祖母の布団へ潜り込んだ。
翌朝、祖母に泣きついた。
「鏡の僕が……喋ったんだ」
祖母は真剣な目で僕を見た。
「いいかいレン。絶対に、三度目を見ちゃいけないよ」
「三度目……?」
「二度までは気のせい。でも三度目に見たら、もう戻ってこられない」
だが、その夜。
どうしても気になってしまった。
足が勝手に物置へ向かう。
鏡の前に立つと、そこに映っていたのは“僕”ではなかった。
血まみれで、目が真っ黒に沈んだ“僕”だった。
「……やっと代われる」
鏡の中の“僕”がそう呟いた瞬間、冷たい手がガラス越しに伸びてきた。
心臓が止まりそうになった。
必死に目を逸らし、叫んだ。
――そして、気がついたら朝だった。
それから数日後、東京の家に戻った。
もう二度とあの鏡は見ないと決めた。
だが、今こうして自室の机に向かっている僕の視界の端に――
姿見がある。
そんなもの、部屋に置いた覚えはないのに。
ゆっくりと視線を移す。
鏡の中の“僕”が、笑っていた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
子供の頃、誰もいないはずの鏡に“何か”が映った経験はありませんか?
本当は自分自身なのに、ほんの一瞬だけ別人に見える。
その違和感が積み重なると、得体の知れない恐怖へ変わっていく気がします。
「八月の鏡」はフィクションですが、もし夜中に鏡を覗き込むことがあれば……どうか三度目は、目を逸らしてください。