第3話 逃走
森の中を走る一つの影があった。
歳は14歳ほどだろうか。茶色のおさげが特徴的な可愛らしい少女であった。
「はあ、はあ……」
その少女は息を切らした様子で、時折後ろを振り返りながら歩を進める。
彼女の服は擦り切れ、肌にはいくつも傷がある。血が滲み痛そうに表情をゆがめているがそれでも休まず進み続けている。
「ここまで来れば……」
背後の安全を確認した彼女は少し休もうとする。もう足が棒のようになっており、これ以上走るのは限界であった。少し休み、それからまた逃げようとする。しかし、
『ブモオオオオオオォ!!』
森の中に悍ましい声が響き渡る。
木々が揺れ、森の中の小動物は我先にと逃げ出す。
そしてその声を聞いた少女の顔は青ざめ、力なくその場に尻をついてしまう。
「そんな、もう追いつかれちゃうなんて……」
バキ、という枝が折れる音と共に、巨大な影が少女の背後から現れる。
頭部が豚の、悍ましい見た目をした亜人。オークだ。
オークの身長は2メートルを超えており、非常に大きい。
体には脂肪が多くついておりたるんでいるが、その脂肪の下には筋肉の鎧が隠されている。素手で木をへし折り、岩を砕くこともできるオークは、ベテランの冒険者であっても一手間違えば命を落としてしまうほどのモンスターなのだ。
当然少女が勝てるような相手ではなく、逃げることしかできない。
『ブオオオオッ!』
「ひ……っ」
オークの鳴き声に怯えた少女は、這うようにして逃げる。
しかしオークはその巨体に似合わず俊敏だ。あっという間に少女に追いつき、その太い腕を少女に伸ばす。
「やめて……っ!」
『ブブブ♪』
少女は抵抗するが、オークはそんなこと意に介さず彼女の服をつかむと、強引にそれをちぎって脱がそうとする。
その時少女は気付いた。自分は殺されるのではなく、これからオークに犯されるのだと。慰み者にされ、死ぬよりも辛い目に合わされるのだと、そう理解した。
「いや、やめてぇ!」
『ブモ、ブモモ♪』
少女は必死に抵抗するが、力の差は歴然。オークは意に介さず服を脱がそうとする。
オークにはメスもおり、人間と子を成すことは不可能である。しかし性処理をしたいだけであれば人間相手の方が都合がいい。
オークは股間を膨らませ、よだれを垂らしながら少女に自分のそれを近づけようとするが……
「間一髪、といったところだったな」
『ブモ!?』
突然森の中に知らない者の声がして、オークは驚き声の方を見る。
いつからそこにいたのだろうか。そこには黒い衣服に身を包んだ男がいた。その後ろにはメイド服を着た絶世の美女もおり、オークはむしろそちらの女性に視線を奪われる。
「やれやれ。その少女の次はアリシアか。オークというのはヤることしか頭にないのか?」
「不快ですね。オーク風情がクロウ様の所有物である私に欲情するなど。恥を知りなさい」
オークは人間の言葉を理解できない。なにを言われているかは分からないが、自身が罵倒されていることはなんとなく察したオークは、少女から一旦手を離すとクロウたちに狙いを定める。
楽しみは最後に取っておく。このオークはそのタイプであった。
「だめ……逃げて……ください……」
少女は突如現れた二人組に、逃げるように促す。
オークは大人が複数人がかりでも歯が立たない強敵。とても戦士に見えない二人が勝てるようには思えなかった。
ならば自身が犠牲になってでも逃げてもらいたい。そう考えるほど少女は心優しい性格をしていた。
少女の言葉を聞いたクロウは、彼女を安心させるように微笑むとオークの前に一歩出る。
「心配してくれてありがとう。だが……大丈夫だ。すぐ終わる」
クロウは右手を上げると、人差し指でオークを指差す。
なにかされると思ったオークは駆け出し、クロウめがけて拳を振り上げる。
『ブオオオッ!』
オークの戦術は単純明快。
先に殴り、倒す。ただそれだけ。
死ななかったらもう一回殴り、攻撃されたら耐えて殴り返す。
もはや戦術とはいえない野蛮な戦い方であるが、オークの強靭な肉体が合わさればそれはれっきとした戦術となる。
今までこの戦法で人間に負けたことはない。今回も同じだろう。そう思っていた。
『ブモォ!』
クロウめがけ放たれる拳。
しかしクロウはそれが当たるより早く、言葉を紡ぐ。
「死亡」
そう口にした瞬間、オークの動きが急激に遅くなる。
顔色が悪くなり、振り上げた腕をゆっくりと下ろすオーク。
一連の流れを見ていた少女だけでなく、オーク本人にもなにが起きたか分からなかった。
『ぶ、お……ぉ』
オークの顔色は青を超して黒くなり、生気が急速に抜けていく。
立っていることすら困難になり、その場に膝をつく。そしてそこから数秒あがいたが……やがてその場に倒れ、絶命する。
時間にしてわずか数秒。
突然死んだオークを見て、少女は「え……?」と困惑する。
「お見事ですクロウ様。死霊術でクロウ様の右に出る者はいないでしょう」
「言い過ぎだ。死亡は弱い生き物にしか効かない。オークが弱かっただけだ」
クロウは死んだオークの横を通り、少女に近づく。
そして倒れている彼女に手を差し伸べる。
「大変だったな。もう大丈夫だ、安心してくれ」
「は、はい……」
クロウの手を取る少女。
その瞬間、彼女は胸がドキドキするのを感じた。
顔が赤くなり、視線を合わせるのが恥ずかしくなる。
彼女……サーシャ・リッテンは、この時感じた強い気持ちを、一生忘れることができなかった。




