君の涙
試合が終わった直後、緋織は観客席の空気が一変していることにすぐ気づいた。
歓声はある。熱気もある。
でもその中心にいるのは、自分ではなかった。
「さすがレインだな、やっぱトッププレイヤーって格が違うよ」
「マジでカッコよかった〜! 演出も映えすぎ」
「魔法少女? いや、普通に無理あったでしょあの動き」
周囲の会話が、遠くで雷鳴のように響いてくる。
緋織はうつむいたまま、拳を握りしめていた。
重い鎧の感触がまだ体に残っている。
だけど、その“重み”とは裏腹に人々の声は、まるで空っぽだった。
──それだけ、何も届いていなかった。
壁に寄りかかるようにしてスマートフォンを開く。
SNSには、すでに試合の切り抜きや反応が並び始めていた。
「魔法少女(笑)」
「結局、レインが格の違い見せつけたね」
「なんか泣きそうな顔してたけど、それで勝てるなら誰でもヒーローでしょ」
「やっぱプレイヤーが主役って証明されたなー」
「過去の遺物出てくんの、ほんと草」
読み込む指が震えた。
(──ああ、また、だ)
5年前。
誰よりも本気で戦って、仲間を失って、それでも立ち上がった。
その結末が、「魔法少女はもういらない」という言葉だった。
そして今、また戦って、また届かなくて──それでも、同じように言われている。
(私は……本当に、何のために剣を握ったの?)
もう、耳をふさぎたかった。
目を閉じて、全部なかったことにしたかった。
でも──それでも見てしまう自分がいた。
心のどこかで、認めたくなかった。
彼らの言葉に、自分のすべてを決められるのが、怖かった。
──なのに、痛いほど、それが胸に刺さっていた。
肩をすくめ、そっとスマホを伏せる。
その手のひらに、微かに汗が滲んでいた。
(……悔しい)
ただ、その一言が、ずっと喉元で震えていた。
静まり返った控室の扉が音もなく開いた。
そこに立っていたのは、朔日だった。
試合後のざわめきをまるで切り取ったような、静かな佇まい。
緋織はその姿にすぐ気づいた。
でも、すぐには顔を上げられなかった。
それでも、微笑む。
無理やり口角を上げる。
今にも崩れそうな笑顔で──。
「……ごめん、朔日。負けちゃった」
声が、わずかに震えていた。
心の奥に押し込めたものが、震えで滲み出ていた。
朔日は、何も言わなかった。
そのまま、静かに緋織の前に膝をつき優しく両腕を回す。
小さな身体を、強く。でも壊れないように抱きしめた。
「……私には、本音で話していいんだよ」
それはただの慰めじゃなかった。
朔日だけが言える、朔日だけが届く言葉だった。
緋織の喉が、きゅっと締まった。
一秒、また一秒。
押し殺してきたものが、胸の奥からあふれ出しそうになって。
「……悔しかった」
ぽつりと、唇が開いた。
「みんなを、馬鹿にされたのに……何も、できなかった。勝って、魔法少女は弱くなかったって……証明したかったのに……!」
声が震える。
次第に、涙が目の端を伝っていく。
「……私、本当に、勝ちたかったんだよ……!」
胸元を握りしめながら、必死に嗚咽を抑える緋織。
泣きたくない。泣いたら、負けた気がする。
でも、涙は止まらなかった。
朔日は何も言わず、その背を撫でた。
頭を優しく抱え、あたたかく包み込む。
「大丈夫。緋織は……ちゃんと、戦ったよ」
その言葉に、緋織は肩を震わせたまま、泣き続けた。
静かに、でも確かに──本音をさらけ出して、ようやく息ができるように。
涙の波が、ようやく静まりはじめた頃だった。
控室に満ちていた緊張と哀しみが、すこしだけ、薄くなる。
朔日が、そっと言葉を落とした。
「……落ち着いた?」
その声は、まるで小さな灯火のようだった。
ぽつんと心に火を灯すような、やさしい温度。
緋織は、しゃくり上げながら、こくりと頷いた。
「……うん。……ごめんね」
涙の名残で赤くなった目元を袖で拭いながら無理やりでも、いつものように笑顔をつくった。
「情けないところ……見せちゃって」
その笑みは弱くて、どこか無理のあるものだったけれど、それでも緋織は“笑おう”としていた。
そんな彼女に、朔日は微笑みを返す。
とてもやさしく、まるで全部を知っているかのような表情で言葉を紡いだ。
「──いくらでも、見せていいよ」
その一言は、心の奥にまっすぐ届いた。
緋織の胸が、きゅっと締めつけられる。
“見せてもいい”と言われたことが、こんなに温かくて、こんなに苦しいなんて。
(どうして……この人は、こんなに優しいの……)
強くなりたかった。
格好よく戦いたかった。
もう泣かないって、決めてたのに。
そんな決意が、朔日の言葉ひとつで、簡単に崩れてしまう。
だけど──崩れてよかった、と、どこかで思っていた。
目元を隠すように、フードの端をぎゅっと引っ張って、
緋織は、照れくさそうに、かすれた声で呟いた。
「……ありがとう、朔日」
涙の筋を指先でそっと拭いながら、緋織はゆっくりと顔を上げた。
赤く潤んだ瞳の奥には、まだ揺れてはいた。けれど確かに、“何か”が灯っていた。
「……私、タナトスのことが知りたくて、アーツを始めたの」
小さく、でもはっきりとした声。
それはこれまで誰にも口にしてこなかった、本音。
朔日は黙って頷いた。
緋織の言葉を、否定も肯定もせず、ただ静かに受け止める。
緋織はそこから視線を逸らさず、真っ直ぐな目で朔日を見つめ続けた。
「でも、今は、それだけじゃない」
一拍の間。
呼吸を整えるように、言葉を繋ぐ。
「魔法少女は、弱くなかったって……ちゃんと、証明したいの」
声が、少しだけ震えた。
けれど、その震えを押し込めるように──。
「だから……お願い。朔日。これからも、私に……力を貸して」
その言葉には、揺るがぬ意志が宿っていた。
自分が選び直した道を、今度こそ歩ききるために。
朔日は、ほんの一瞬だけ目を細めた。
それは、笑ったようにも、見透かしたようにも映った。
そして、やがてその顔に、やさしい微笑みが浮かぶ。
「もちろん」
やわらかく、包み込むような声だった。
「君が望むなら──私は、どこまでも」
その言葉に嘘はなかった。
少なくとも、緋織には、そう聞こえた。
けれど、その声の奥には。
微かに、ぞくりとする“何か”が混じっていた。
やさしさに似た何か。
執着に似た熱。
そして──狂気のような、澱んだ静けさ。
緋織は気づかない。
それを包むぬくもりの、どこかが冷たいことに。
ただ今は、その言葉が嬉しかった。
頼っていいと、必要とされていると、信じたかった。
控室の静けさの中。
緋織の願いを受け止めた朔日は、ふわりと微笑んだ。
その笑顔のまま、ふっと身を乗り出す。
「……やっぱりさ、君の目、好きだなあ」
そう言って、朔日は緋織の顔を、真っ直ぐ覗き込んだ。
思わず緋織がびくりとする。
朔日の顔は、ほんの数センチの距離。
息が当たるほど近くて──その熱に、緋織は軽く身を引いた。
「ちょ、ちょっと……近いってば……!」
「えっ、そう? でも君、今日の目すごくよくてさ」
朔日は全然悪びれることなく、うっとりするような声で続けた。
「ちゃんと覚悟してるのに、少し不安そうな感じがあって……ああもう、これは推せるって思ったんだよね」
「お、推すってなに……っ?」
戸惑う緋織の言葉も聞かず、朔日はそのまま、ふわっと、柔らかく──緋織に抱きついた。
「今日もいい感じに仕上がってた。香りも……すっごく、よかったし」
「えっ!? ちょっ、さくひ!? 抱きつくの、いきなりはダメじゃ──!」
「だって推しががんばった日は、ぎゅってしたくなるじゃん?」
抱きつかれたまま、耳元にふわっと囁かれる。
息がくすぐったくて、鼓動が変なリズムで鳴り始めた。
(な、なんなのこの距離感……っ)
頬が、ぶわっと熱くなる。
「もう……ほんと、ズルいよ、朔日」
言葉とは裏腹に、緋織の声はどこかくすぐったそうで──完全には離れようとはしなかった。
まるで、このぬくもりの中に、少しだけ安心してしまったように。
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