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君が笑ってくれるなら

 控室の空気は、ひどく静かだった。

 試合直前。

 緋織は一人、ベンチに座って、拳を握りしめていた。


(……やるって言っちゃった。言ったからには……負けられない)


 魔法少女が弱かったなんて、絶対に思わせたくない。

 絶対に──あの人たちの名誉を、これ以上傷つけさせたくない。


 それなのに──。


(……緊張、してる)


 指先が、冷たくて、汗ばんでいる。

 頭は真っ白で、足がうまく動くかもわからない。


「緋織」


 ふいに、横にぬるりと現れた朔日が膝をついて顔を覗き込んだ。


「大丈夫?」


 緋織は、少し遅れてこくりと頷いた。

 けれどその頷きには不安が滲んでいた。


 朔日は、静かに微笑んだ。

 そして──。


「緊張、ほどいてあげる」


 そう言って、そっと緋織の頬に手を添えた。


「え──」


 戸惑う間もなく。

 唇が、頬に触れた。


 一瞬。


 本当に、一瞬だけだった。


 でも──。


「っ……!?」


 緋織は目を見開いて、固まった。


「ふふ、少しは落ち着いた?」


 朔日は、なにごともなかったかのように微笑んでいる。

 緋織は、顔が熱くなっていくのを自覚しながら、うつむいて、もごもごと唇を動かした。


「べ、べつに……いきなり、そんな……」


「ふふ。友達同士なら普通でしょ?」


「そ……そうなのかな……?」


 緋織は信じたかった。

 でも、胸の奥では、ずっと何かが、ざらりと引っかかっていた。


(“普通”って、なんだっけ……朔日……なんで、そんなふうに……)


 わからない。

 でも──。

 どこか、あたたかくて。

 どこか、こわかった。

 朔日は、立ち上がって、緋織の手を取った。


「魔法少女軽視の風潮は、やっぱり思うところあるからさ」


 そっと、指を絡める。


「……勝ってよ、緋織」


「──うん」


 そのときだけは緋織も、しっかりと前を見つめて答えた。

 その指がどれほど熱を帯びていたかを、そのときの緋織は、まだ知らなかった。




 バトルフィールドに、白い光が降り注いでいた。

 巨大なアリーナの天井に張り巡らされたライトが、一斉にステージ中央を照らす。


 照明は、空の色を模した青に染まり、やがて仮想空間が完成すると、空気がピンと張り詰める。

 観客席には、無数の視線と熱気。

 コロシアムを模したスタジアムは三六〇度観客に囲まれ、熱狂と歓声が波のように押し寄せる。

 スタンドに設置された巨大モニターには、二つの名前が表示されていた。


 ──【緋織】

 ──【RAIN】


 その瞬間、場内のボルテージが一気に跳ね上がる。


「注目のエキシビジョンマッチが、いよいよ始まります!」


 実況の高ぶる声が、スピーカーから響き渡った。


「伝説の“魔法少女”生き残り、赫月緋織! そして対するは、現代のスタープレイヤー、ランクAのレイン!」


「五年前の英雄と、今をときめくトッププレイヤーの激突──この歴史的な一戦を、見逃すな!」


 観客の大歓声が、轟音のようにフィールドを包み込む。

 光が走る。

 風が吹く。

 フィールドの中心に──二人の姿が浮かび上がる。


 緋織は、黒と赤の重厚な鎧を纏って立っていた。

 その姿は、どこか異質で荘厳だった。


 鋼鉄のごとき厚みを持つ装甲。

 肩から腰にかけて走る赤いライン。

 そして、前髪の奥でわずかに光る赤い左目。

 黒いバイザーが額を守り、無言の威圧感を放っている。

 まるで戦場の亡霊のような、静かな迫力だった。


 一方、対するレインは白いマントを揺らして軽やかに現れる。

 全身の装備はスマートで、演出を意識した細身のデザイン。

 銀髪が光を弾き、どこか王子様のような雰囲気さえある。


「──皆、今日は楽しんでいこう」


 そう言って片手を挙げると、スタンドの女子たちから黄色い歓声が上がった。


(……派手だな)


 緋織は、静かに息を吐いた。

 手の中の剣がわずかに震えている。

 だが、それをぎゅっと握りしめると、その震えはすぐに消えた。


(でも、負けない──この試合で、私は“魔法少女”だったことを証明する)


 鋭く、強く、真っ直ぐに。

 その瞳に宿った決意は、鎧よりも重かった。


【試合開始まで──5】


 場内に、システム音が鳴り響く。


【4】


 観客が息を飲む。


【3】


 ライトが収束し、視界が二人を中心に集中する。


【2】


 緋織の足元に、赤い光が走った。

 仮想エネルギー、魔力圧縮開始。


【1】


 レインが構える。

 軽い姿勢。けれど、油断のない研ぎ澄まされた立ち姿。


【START】


 ──空気が弾けた。


 その瞬間、緋織は地を蹴った。

 赤い稲妻のような軌跡を描いて、最短距離でレインへと走る。




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