君を信じてもう一度
話の順番が間違っていたために投稿し直しました。
こちらは2話になります。
アーツ施設の奥。
人気もない、静かな一室。
指定されたバディ登録ルームで緋織は、そっと手を伸ばした。
タッチパネルに触れる指先は、かすかに震えていた。
(大丈夫、大丈夫……)
自分に言い聞かせながら、画面に浮かぶ入力欄に震える手で文字を打ち込む。
──赫月緋織。
──絮貫朔日。
ふたりの名前が並ぶ。
それだけで、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
緋織は迷うように指を止める。
けれど──。
逃げたくない、という気持ちが背中を押した。
指先でそっと登録ボタンを押す。
軽やかなシステム音が、室内に響いた。
【バディ登録、完了しました】
画面に映るふたりの名前。
赫月緋織と、絮貫朔日。
並んで同じチームとして、刻まれた名前。
(これで──本当に)
緋織はぎゅっと胸元を押さえた。
五年前に失ったものたち。
守れなかった命。
捨てたはずの誇り。
忘れたふりをしてきたすべて。
──それでも、手を伸ばしてしまった。
もう、関わらないと決めたはずの世界に。
もう、戦うことなんてできないと思っていた場所に。
それでも。
緋織はもう一度、剣を取ることを選んだ。
胸の奥でかすかに疼く痛みを抱えたまま──。
「じゃあ、まず最初に──」
軽やかな声で朔日が口を開いた。
その声音には、どこか弾むような明るさがあった。
「アーツの基本を、教えるね」
緋織はこくんと小さくうなずいた。
わからないことだらけだった。
たった五年。でもその間に──世界は、こんなにも変わってしまっていた。
自分たちが命を懸けて守ろうとしたこの世界は。
もう、知らないものに変わってしまっていた。
朔日は、指を一本立てて楽しそうに話を続ける。
「アーツっていうのはね、仮想空間で行うバトル競技だよ。個人戦もあるけど、基本は二人一組で組むチーム戦が主流」
緋織は黙って耳を傾けた。
「勝ち方は、二つだけ。相手を完全戦闘不能にするか──あるいはポイントで上回ること」
「ポイント……?」
緋織は首を傾げた。
戦いにポイントなんて概念があることが、どうにもピンと来なかった。
朔日は笑った。
まるで可愛らしいいたずらを思いついた子どもみたいに。
「うん。戦術の巧みさとか、演出の美しさ、観客の興奮度……そういうものを総合してポイントが加算されるの」
緋織は、ぽかんと口を開けたまま固まった。
(演出の……美しさ……?)
戦うことにそんなものが必要だなんて。
五年前。
あの地獄のような戦場では、生きるか死ぬかしかなかった。
泥と血と絶望にまみれた戦いしか、知らなかった。
「……すごい、ね。なんだか、ぜんぜん別世界……」
か細く震える声で緋織は呟いた。
それは、戸惑いとほんの少しの恐怖が滲んだ声だった。
朔日はふわりと笑った。
それは、春の光みたいに温かく優しい笑みだった。
「緋織が無理することはないよ。できることから、少しずつ慣れていこう」
優しく。まるで傷を撫でるみたいな声で言われて、緋織の胸はきゅっと痛んだ。
──そんなに、優しくしないで。
心の奥でふと、そんな声がした。
期待してしまうから。
頼ってしまうから。
壊れたこの心に、また新しい痛みが増えていくから──。
緋織は気づかれないように、膝の上でぎゅっと拳を握りしめた。
「あと──プレイヤーのことも、知っておいたほうがいいかな」
ふわりとした声で朔日が言った。
テーブルに置かれたミルクティーを、細い指でくるくるとスプーンでかき混ぜながら。
その仕草はどこまでも柔らかく、無邪気で。
けれど、緋織にはどこか遠いものに見えた。
「プレイヤーっていうのはね、デスゲームから生還した人たちのこと」
朔日は、軽やかに続けた。
「仮想世界での、生死を懸けた戦いを生き延びて──なぜか、現実でもゲーム内の力を持ったまま戻ってきた人たち」
「……そんなことが……」
緋織は思わず目を見開いた。
知らなかった。
そんなこと、何も。
五年前。
大侵攻の混乱の中で。
彼女はただ、壊れた体と心を抱えて家に閉じこもっていた。
戦うことも、外に出ることもできなかった。
だから──世界がどんなふうに変わっていったのか、知るすべもなかった。
「うん。でもね、プレイヤーたちがいたから、大侵攻は止められたんだよ」
朔日はくるくるとスプーンを回しながら、あっけらかんと言った。
「だから今、世界は平和なんだ。魔異種も時々は出るけど、アーツ技術とプレイヤーの力でちゃんと対処できてる」
──そして。
魔法少女たちは。
もう、必要とされなくなった。
緋織はふっと視線を落とした。
テーブルの上の冷めたココアが、やけに遠くに思えた。
(知らなかった……)
心の中で小さくつぶやく。
(……知りたくなかった)
それでもこれが現実。
世界は前に進んでいた。
自分たち魔法少女を、過去のものにして。
もう、誰もあの日々のことを必要としていなかった。
緋織はそっと、膝の上で指を組み強く握りしめた。
それでも──手放したくないものがあった。
心のどこかで、まだあの日の誇りを信じたかった。
朔日の優しい声が遠く響いていた。
緋織は何も言えず。ただ、小さくうなずいた。
緋織は、そっとミルクティーに視線を落とした。
──魔法少女。
かつてそう呼ばれた自分たちは、誰かを守るために祈るようにして戦った。
力を誇るためでも、誰かに見せるためでもなかった。
ただ、誰かの笑顔を守りたくて、命を懸けた。
だけど、今はもう、そんな戦い方は時代遅れになったらしい。
美しさを競い、観客を沸かせ、勝敗に熱狂する──。
それが、この世界の「戦い」の形だった。
ふと、朔日が言った。
「でも最近ね、魔異種の出現数、少しずつ増えてきてるんだって」
何気ない口調だったけれど、緋織の胸の奥に冷たいものが落ちた。
(……増えてきてる?)
アーツの技術や、プレイヤーたちの力があっても。それでも、魔異種の脅威は消えたわけじゃない。
この平和は思っていたよりも、ずっと危ういものなのかもしれない。
緋織はそっと拳を握った。
守りたかったものは、まだ完全には失われていない。
なら──。
もう一度、剣を取る理由はきっと、そこにある。
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