森の奥
昔々、あるところに。貧乏な木こりとその妻、そして2人の兄弟がいました。
木こりはとても貧しくて、妻は何度も何度も子供たちを捨てようとしますが、木こりはどうしてもその決断ができません。
それでもある時大飢饉が国を襲いました。食べ物という食べ物は王都に集められ、農村には回ってこないようになってしまいました。
当然、貧しい木こりとその家族は苦しみました。やせ細ってもどうにか生き延びようと必死でした。
一つ目の飢饉を超え、二つ目の飢饉を超えたとき、どうしようもなくなってしまうほどの3度目の飢饉がやってきました。
木こりの妻は言います。
「もうこの子たちを捨てるしかないのよ! そうでないと、私たちも死んでしまうわ!」
木こりは言います。
「それでも自分たちの子供だ。自分たちの子供を見捨てることはできない。最期の時まで責任を持ちたい」
夫婦の間で激しい言い争いが続いているのを、兄弟はずっと聞いていました。
それでも時と共に木こりの妻が木こりを言い負かすことも多くなりました。
村にパンのひときれすらもがなくなったとき、木こりは決断します。
「この子たちはまだ若い……。きっと本能が助けてくれるだろう。君の考えに同意するわけではないが、この子たちにパンを持たせて、森の奥に連れて行こう」
木こりの声はかすれて、今にも泣きだしそうでした。
次の日、兄弟は木こりと木こりの妻に隠してあったパンを一切れずつ持たされて森の奥深くに連れ出されました。木こりが二人に説明します。
「いいかい、これから仕事に行くから、帰ってくるまでは動いちゃだめだよ。ただ、もし危ない動物が出てきたら、すぐに逃げるんだ。いいね」
木こりの不安そうな声を聞いて兄弟は直感しました。自分たちが捨てられたのだと。
それでも木こりと木こりの妻のことを思う兄弟はあえて逆らわず、二人を見送りました。木こりだけが何度も二人を振り返っていました。
木こりと木こりの妻が見えなくなった時、兄弟は二人が向かったのとは反対方向に向かって歩き始めました。二人に見つかってはいけない、と思ったのです。
とはいえ深い森の中、兄弟はすぐに迷ってしまいました。
二人が細い道をとぼとぼと歩いていくと、あるときシャリ、シャリという音が聞こえました。昔から動物の足音に詳しい兄弟は、それが人間の足音だとすぐに気付きます。
二人がこっそりと物陰から伺うと、そこを歩いていたのは深い森に似つかわしくない、儚げな少女でした。
少女は綿のように柔らかい金の髪と、空のように澄みわたる青い瞳を持っていました。手には果物の入った籠を提げています。
兄弟は困惑します。できることなら少女に助けてもらいたいけれど、それがきっかけで木こりたちに自分たちが逃げたことを知られてはまずいと思ったのです。
兄弟は慎重に少女のあとをつけていき、やがて少女が暮らしているらしい家を見つけました。
家の中には少女のほかに誰もいませんでした。ますます兄弟は困惑します。だれの助けもなしに、こんなところで生活していけるとは思わなかったからです。
疑り深くなった兄弟は慎重に家の中を確認していきます。入口に罠がないか、居間にはどうだ。木こりから教えてもらった技術が、こんなところで役に立ったのです。
するとその時、家の中から声が聞こえました。
「あら? お客さん? 入って行きませんか?」
二人は初め何の事だか分りませんでしたが、次第に自分たちのことを指していることを理解すると、警戒しつつも少女と会うことにしました。
少女はにこやかに笑って二人を歓待しました。スープにはお肉がたくさん、パンも二人が持っていたようなかぴかぴのものではなく、ふんわり柔らかなパンでした。
そのパンの大きいことと言ったら。二人がいつも食べている手のひらの上に乗るようなものではなく、爪の先から肩まで届くほどに大きいものだったのです。
二人は無心になって食事を平らげました。スープの上品な味わいがパンと絶妙にマッチして、これまでに食べたことのないおいしさだったのです。
二人は食事を終えると、少女と己の境遇を話し合いました。なんと少女も森に捨てられた木こりの娘だというのです。兄弟と少女は己の不遇さを嘆きあいました。
三人は日が暮れたころには話をひと段落させて、寝るための準備に取り掛かりました。少女一人が住んでいたこの家に、3人分の寝具はありませんでした。
兄弟のうち兄は、家の中にあったソファで寝ることにしました。ふかふかとして温かそうだったからです。
兄弟のうち弟は、家の外にハンモックを作って寝ることにしました。弟は外にいるのが好きで、特にハンモックでのお昼寝が大好きだったからです。
少女はいつも通り、個室に布団を引いて寝ることにしました。流石に兄弟と一緒に寝ることはできなかったのです。
そしていつもより昏い、新月の夜がやってきました。森の動物たちも寝静まって、物音ひとつ聞こえません。
ときおり風で揺れる木の葉の音だけがかさかさという心地よい音を出している。
そんな夜中に弟が目を覚ましたのは偶然でした。物音が聞こえた気がしたのです。
じぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ
弟はどこからそんな音が出ているのかと不思議に思いました。普段は聞くことのない音だったからです。
森の中には、そんな物音を出すものはありません。弟は物音を確かめてやろうと、家の中に入りました。
家の中では兄と少女はもう寝静まってしまったのか、じぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃという音以外は何も聞こえませんでした。
弟はより不審に思います。兄も少女もいないなら、どうしてこんな音が鳴っているのでしょうか。
弟は音の出ている方を目指して歩いていきます。ひた、ひたと足が床を叩く音がやけに大きく聞こえて、心臓ははちきれんばかりに脈を打っています。
じぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ
ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。
音は次第に大きくなっていきます。
弟が行きついたのは調理場でした。弟は無造作に包丁を取り出します。それがないと不安でたまらなかったのです。
じぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ
ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ
ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。
音はもう間近で聞こえます。
じぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ
ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ
ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。
弟は耳を凝らしてやっとその音の元を見つけました。かまどの時計が物音を立てていたのです。ぜんまいが動くときに発するじぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ、という音が外まで届いていたのです。
弟は折れかけてしまったぜんまいをようやく止めると、再びハンモックに戻って寝ようかと踵を返し
「見たわね」
弟の後ろにはいつの間にか人影が立って弟のことをその瞳でじぃぃぃぃぃぃぃと見つめているのです。
驚いた弟はついとっさに手に持っていた包丁を突き出してしまいます。驚くほどあっけなく、後ろに立っていた人影が倒れていきます。
それは少女でした。どくどくと血を流し、瞳孔が開いていきます。まだ経験の浅い弟から見ても、助かりそうにはありませんでした。
それをだけを何とか確認すると、今度はかまどの中に少女が何を隠していたのかが気になってきました。あんなに怖い声を出すのですから、大事なものがしまってあるに違いありません。
弟は初めて人を殺してしまったことからか、何度も取っ手を引っ掻いては失敗します。それでも何とかつかむと、ぐいっ、っとおもいっきり取っ手を引っ張りました。
中からむわっ、という蒸気が表れて、弟を包み込みます。中にはなにか大きなものが入っているようです。でも蒸気がすごくて何が入っているのかをみることができません
弟は近くにあった長いパン焼き用の棒をつかみ取ると、それで中のものをつかみ取り
兄
だと気づいて逃げ出しました。少女と兄が殺されたこの状況では、どうやっても自分が殺したと思われてしまうと気づいたのです。
弟は走って走って走って、走って走って走って森の奥へ奥へと逃げていきます。
もう人の子どころか、動物さえいないような場所に至って弟はようやく我を取り戻すと、必死でどうしようか考えます。
何も考えつかないまま、朝が来て、昼が来ました。動物は、一度も姿を見かけません。
とりあえずずっとしまってあったパンを(それは木こりが与えたパンでした)食べると、のそのそと歩きはじめました。
何時間ほど歩いたでしょうか。もうどこにいるのかもわからない、森の奥深く深く、そんなところに弟はいました。動物どころか、鬱蒼とした森の中では果物さえ見つけることができません。
それでも時折物音が聞こえるのです。それだけが弟を支えていました。ほら、今も。シャリ、シャリという足音が……。
「あら、お客さん?」
その少女は柔らかそうな金の髪をもち、果物の入った籠を腕に提げながら、その空のように澄み渡る瞳で弟のことをじぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ、と……。
それ以来、弟はどこでも見つかっていないということです……。




