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朝はもっと寝ていたい。現実よりも覚えていない夢の方がいいって思えてしまうから。
学校に行く前にも郵便受けを覗く。郵便なんて仕組みはあの時代に取り残されたまま、受ける役目もとうに終えていた無意味な空間。蓋を閉める手はそっとだ。
(学校、いつまでいけば。そろそろやらないかな)
学校の卒業時期は個人によって異なる。定期的にある試験で合格すればいい。学校に来なくなった、つまりはそういうことだ。
「また明日な」
明日にはいても明後日にはいなくなっているかもしれない。けれど別の日常で再会する。学校なんて、生まれた時からの不変の日常に歴史という不養分を与えて誰が得をするんだ。
「そうちゃん?久しぶり。どうしたの?手伝いにでも来てくれたの?」
「いえ。ごめんなさい、仕事の邪魔をして。ちょっと寄ってみてみただけで」
「ああ、うちのがね。また学校でそうちゃんに何かしたの?あの子が話す面白い話っていうのにそうちゃんがよく出てきててね。今ちょっといないからおばちゃんに話してみて。うまく怒るから」
「大丈夫です。ゆうじとはうまくやってます。ふっちもそうですよ。おかげで退屈しない」
「そう?もうじき収穫だからその時は手伝ってね?」
女性が畑仕事をする。だから学校に来ない彼女の姿を探していた。卒業して来ないものだと思っていたけどそうではないらしい。なら姫咲はどこへ?
「みんなー!お昼にしましょー!」
「仕事はこれだけが楽しみでね」
「収穫もあるでしょ」
「あらやだ。それとこれとは別腹よ」
笑い声が咲いている。聞いているそうたも楽しくなる。
(女の人は強いな)
折角来たのだから内心で感謝をする。命を繋いでくれる芋を生産してくれている人達、それと大地にありがとう。
これは感謝すべきことなんだろうか?季節というものがあったらしい。あついとかさむいとか季節によって感じるものみたいだけど、ずっと同じじゃその感覚は分からない。ただ芋が獲れ続けるのはそのおかげだとか習った。
「行くか。海」
ここはまだいい。海が近くにあるから。魚も取れる。食の変化は子供には必要なのだ。
けどその魚も取れる数が少なくなってきた。この辺りは危険だと、寄り付かなくなっているのかもしれない。船を浮かべる人も減ってきた。
「まささんのとこも辞めたんだっけ。卒業したらくれるって言ってたけど本当かな?」
人類の敵とやらは海からは来ないらしい。それなら海の上で生活すればいいのにと考えたこともある。この限りなく広い海の上こそが人類の住む場所ではないかと、そうたはそのくらい海が好きだった。
「魚も結構食べてないな。浮かべてる人も見ないけど遠くまで行ってるのかな?魚も食べたいよな」
しかし彼は知らない。この海が豊かであったこと。魚以外にも貝や海藻、様々な生物が住んでいたことを。人々が生き永らえるために他の命を取り尽くして、そうして彼が生まれ、彼の好む青く綺麗な海になった。
「行ってみたかったな。船いらないって」
彼が知っているのは沖の方に島があったということ。干潮時には歩いて渡れていたその島は、大昔のそのまた大昔、国と国との境目であったことの印として奉られていたと。時代の移り変わりとともに変化していく人の都合でこの星からなくなってしまったこと。その頃から環境が変化し貝が獲れなくなったことは彼が知るべくもない。
「潮が引くってどんな感じなんだろう。背中あっつ」
島を壊して流れ着くようになったモノも、現在では影も形もない、真っ新な砂浜。布地の厚い尻部分まで温まって座ってもいられなくなる。ごみ扱いだったものさえ使わなければいけなかった頃に比べたら、寝転がっているのも贅沢な熱さなのだろう。ひもじいと悲壮感に溺れていたら寝ている暇なんて。
「明日から手伝うよ。明日からね」
背中に涼し気な風を受け店に向かう。また肉が貰えたらなんて期待で足が軽くなるなら、それはゆうじくらいなものだ。ふっちは芋だっておいしそうに食べるから。
「この音もゆうじはうるさいって言うけど、ふっちは意外だって顔してたな。ぼくはどっちかって言うと」
ここには白くて高く聳える建造物がある。全部で八か所にあって常に古そうな音を出している。海辺だから錆びて所々色が剥げてしまっているけど、その役目を果たすには最適らしい。風車と呼ばれていたものだ。これで電気を作り出すらしい。らしいらしいというのは縁がないから。作られた電気は普通の家には回ってこず、採掘に使われている。不満はないけど用途は教えてほしいとは思う。
今日の収穫はいつもの配給分だけ、それは今日分の不満だった。
「ただいま。ねえ。どこまで獲りにいったんだよ」
窓からは赤く染まる空が見える。人類はあの空の向こうにある世界にも到達していたって聞いたけど、そんなの信じられるか。こんな狭い世界で何もなく暮らしている人間には到底。
「父さん」
家の中はすぐにでも暗くなる。支給されるろうそくに火を付ける。そうたの親指ほどの長さまで減っている。忘れないうちに貰ってきておいた方がいいだろう。明日の帰りにでも。
「明日は会えるかな」
これといって特別なこともなく過ぎていく毎日。些細な希望も叶わず忘れかけていたある日のこと、久々にせんにんを見かけた。沖の島の話はこの人から教えてもらったのだ。
「今日は何の話聞かせてくれるの?」
学校での授業は教科書に載っている範囲の歴史、それからの人類史、語学、算数、仕事に関する知識も少々、結婚することになったら生殖の知識も教わる。他知識の情報源はこの人だけ。みんなは信じてないけれど知識欲を補ってくれるから、そうたは時々なら聞きたいと思っていた。
「これを知っておるか?」
「なにそれ?教科書にも載ってない」
せんにんが持っている茶色いもの。何かしらの生き物の死体だろうか。そうたは大きな目を近づけていた。
「これは抜け殻。夏になるとよく取れたもんじゃ」
だからみんな話半分にも聞かないのだ。夏は失われた一番あつい季節。覚えている人はもう共同墓地に入っているはずだ。
「抜け殻?中に何かいたの?どこにいったの?」
「ほっほ。羽を生やしてどこかへ飛んでいったんじゃろう。あまり長くは生きれんからの。自由に歌って自由に飛びたいんじゃろ」
虫はいるにはいるがどれも小さいものばかりで子供の時点で見飽きていたのはそうたも同じ。それが大きくて珍しい、おまけに空を飛ぶというのだから子供心も思い出すというもの。
「うたう?もっと見せてよ。あ」
強引に奪い取ったせいか、簡単に崩れてしまった。こんな脆いものだとは思わなかった。
「ごめんなさい」
「よいよい。夏になればまた取れる。ほれ、そこに穴が開いておる。そうやって出てくるんじゃ。もうじき」
ということは夏が近い気温ということなのだろう。そうたは一つ賢くなった。
「夏が来れば。あのじいさん、どこであんなものを?ずっと保管してたから簡単に?悪いことしたな」
けれど知識が増えたところで待っているのは日の当たらない地下での仕事だ。子供心にも雲が差し込む。
「父さん。船だけでも残してくれよ」
出先で呼び掛けたのはもう遠い昔のことのようだ。思い出すのは更に前の海に浮かぶ父の船、その勇姿。心の雲は長らく降っていない雨を呼びそうなほど黒くなっていく。
男には別の仕事の選択肢がある。漁師だ。船を所持するものだけに許される。その船も木製、劣化していつかは使えなくなる。町中の木は消えて久しい。外から取ってきたものは既存の修復に使われる。町からの逃走を防ぐため新造が許されていないとはそうたの知るところではない。
「家があるだけでも。今泉さんには感謝だな」
癖というのは本人の意識の外で行われる造作もない行為。だがそうたの手が蓋を開けたことで空気の流れが生まれた。
「ん、なんか落ちた?これ。まさか」
郵便受けから落ちたのは赤い紙であった。それは抜け殻よりもそうたの目を丸くさせたのだった。




