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「仮定の話よりも今日でしょうか。では次の頁に」
ふあっ。こんな授業が何の役に立つってんだよ。それもこの時間から、はじめに決めたやつ絶対馬鹿だろ。太陽さんも文句言ってやれ。
目に涙を拵え悪態をつく少年、体格は大人まであと一歩及ばずといったところ、成長期の肘を頼りにしても背中は丸まってしまっている。しかしながら教科書の頁は説明の内容を示している。言われたように次を捲ろうとする彼はこの話の主役そうたである。
「突如として現れた敵になす術もなく人類は追い込まれていったのです」
そうたは机に伏して今にも寝そうだった。髪が白く染まりきった教師は注意することもしないし淡々としゃべり続けている。昨日も同じ内容で授業したことまで忘れているのかもしれない。
机に椅子、黒板だけの簡素な部屋。この教室には他に二人いるが、そうたと同じ様なもの。一人は欠伸の声すら我慢しない。野次のようにも聞こえるが黒板前に立つ教師は発端となった歴史を語っていた。
「そんな人類が今日まで生き延びることができたのは」
ぼけてきてんじゃないのか、あのじいさんは。毎日毎日同じ内容の授業を繰り返して。生徒に注意させたいのか?そういうやり口?
教科書の端を摘まんで頁を捲り覗き見る。誰が書いたんだか、そこに元の絵があったのか分からないほど上書きされている。端も擦り切れが多くぼろぼろ、書いてある字も一部印刷が薄くなっていて、字が読み書きできるか以前の問題、読めない文もあった。一体いつから使い続けたらこんなになるのか。
「おい、そうた。そうた!」
「なに?授業中だろ?」
「どうでもいいだろ、そんなの。それよりさ」
机は横並びで生徒の数よりも多く置いてあった。そうたに呼びかけた少年は窓際の空の机に視線を送った。彼はにんまりとした表情でそうたにもそちらを向くように仕向けていた。
「お前の愛しい愛しい」
「わああああああ!?」
バンと机を叩く音と大声が重なれば、機械的な授業をする教師も話を中断せざるを得ない。
「そうた君?何かありましたか?どこか悪いのですか?それでしたら帰っても」
「い、いえ、なんでもないです!どうぞ!続けてください!」
そうですかとにこやかに教科書に視線を落とす教師の思いは伝わらず、そうたはしずしずと座る。同世代は少人数でお互い知り尽くしている。だけど彼にしてみればこれは奇行でしかなく、恥ずかしさで一杯だったが、背けた先がまた窓側であったのが悔しさでも熱くなる。
「くっくっく」
背後から聞こえてくる含み笑いに、そうたは顔を赤くしつつも歯噛みして恨めしそうな目をしていた。それを見せてやっても彼の方は臆することはせず、むしろ楽しそうな笑顔を浮かべていた。そうた以外の生徒、その一人のゆうじだ。退屈な授業に楽しみを見出すため、もう隣のふっちのいじりに取り掛かっている。
こいつはこういうヤツだ。授業を遊び場だと思っている。思い付きで行動するただの馬鹿だ。教科書くらい開いとけ。ふっちももっと嫌そうにしろ。でないと。
「せんせ!お腹が鳴りましたよっと。ふっちの」
「え?!せ、先生、あの、その、えと、んと。はい」
ついでに本能で生きてる。これも同じ意味か?あわあわしてるふっちのちゃんとした名前も覚えてないだろう。本名は何だっけか?
「お昼ですね。ありがとう、ゆうじ君ふとし君。では今日はここまでにしましょう。忘れずに受け取ってから帰ってください」
そうだ、ふとしだふとし。名は体って格言があったな。語学様々。
「誰が忘れるってんだよ。じゃあな。先行くぜ」
「ああ。またな。僕も行くよ。明日な」
そうたは荷物もないのにのんびりとしているふっちにさよならをする。決まった挨拶がないのも大きく成長したから、とならないのが今の現状だ。
「はい。これね」
「ありあす」
「ありがとうございますだろ。ゆうじよ、それでいいの?」
「はぁあ。わざわざそれ言うために追いかけてきたのか?そうた君は真面目だねぇ。さ、仕事仕事。仕事をする真面目なゆうじさんは畑でもいじってきますか」
「はあ。あ、ども。ありがとうございます」
学校は昼までだ。こんなご時世だから家に帰って親の仕事を手伝うのが普通だ。
そうたは家には真っ直ぐに帰らずに別の方角へ向かって歩き始める。畑は反対、これは彼にとっての日課だ。
歩き始めてすぐに潮の匂いが強くなってきた。風雨により削られた防波堤を越えれば見えてくるのは海だ。
彼はここで手荷物の包みを開ける。植物の葉の包みだ。中からはその実であろうか?蒸した芋が出てきた。学校から配給される昼ご飯だ。彼はのそのそ手に取り、そのままゆっくりと口に運んだ。
「ゆうじ、お前には感謝しないからな」
不味くもうまくもない。これが出ない日はないし、何なら三食これだ。味覚なんて疾うに壊れた。
「同じ量食ってなんであんなにでかくなるんだ、ふっちは」
でもここに来れば慰めにもなった。潮の匂いがいい塩梅だ。風の味もつく。これなら拳大の大きさが二つもあっても、苦なく食べられる。食べなければいけない。
食後には海を眺める。どこまでいっても青いだけ。快晴なら地平線という区切りもない。自由を感じた。
「帰るか」
いつまでも眺めていたいけど家のことがある。彼はまたのそのそと腰をあげた。海に浸かったように服が重かった。
帰り道何人かと擦れ違う。教科書みたいに古ぼけた靴に服、覇気のない顔。元気があるのは子供達だけだ。
「おい、そこはダメだぞ。遊ぶなら他行け他。分かってると思うけどあそこはもっとダメだぞあそこは」
「はーい」
子供の足元には大きな岩が積まれている。この町を囲っている壁の役割をしている。子供が上り下りして遊び、大人に怒られるまでが遊びの義務教育。その程度の壁だ。これが作られた当時の人の限界、こんなものでも敵の侵入を許していないって言うんだから何の冗談かと思う。
「返事はいいな返事は。恨まれ役もしたしあそこ寄ってさっさと帰るか」
自分も経験した。小さな頃だけに許された遊びも、毎日するにはこの町は狭すぎる。何をどうして遊ぶか、大勢の子供がいれば誰か一人くらいは思い付き、退屈しない毎日を過ごせるのだろう。それが出来ないから、怒られることにも手を出す。初めから教えておけば、子供達が始めるまで誰も教えないのには訳がある。子供達は怒られることでこの町の掟を覚えていくのだ。あの壁を越えて外に行ってはならないことを。
「出て行っていなくなった子供がいるって言ってたけど。あのじいさん、本当かよ」
あの爺さんというのは教師のことではない。もっと年を取った、何年生きてるんだってくらいの見た目をした老人がいる。
「せんにんって呼んでいる人もいるけどせんにんって何だろう?今日は会わないな。一体どこうろついてんだ。何してる人だろう?」
探すことはしない。もう子供は卒業した。元気な子供でも、そうたの体重でもこの大地は硬い。若さ失われつつある遠慮した足では跡は残せないだろう。そうたはもう一か所だけ寄り道をして家へと帰った。
時は、なんて数える人も少なくなった時代。それでも人は生にしがみついていた。いや、生かされていた。
腹が減れば何か食べるし眠くなったら寝る。可能になったら生殖もする。そんな生活でも本能を制御しようというのは人の良心というものであろうか。その町は仮初でも平和だった。
かつてその星には文明があった。人と人との争いがあった。けれど今はその憎しみは別に向けられていた。そこに良心は介入しないのか。
人類は突如現れた謎の生命体、いやそれが生物なのかも怪しい、奴らが現れてから百年近く、敗戦を重ね後退を余儀なくされながら、次々と文明を文化を破壊され、それが何であるか、研究する時間も暇もないまま、その住処を追われていった。その最中に人々は分断され、国も家族すらもバラバラに、生死さえ分からぬまま、その幕を閉じた者も少なくはない。
無事逃げ延びることが出来た者たちは身を寄せ合い、テリトリーを形成する。その町は意味のない壁に囲まれ、いつしか人が生を終えるためだけの虫篭となる。別の虫篭で暮らしている同族を想う心さえ失われていく。自分たちしかいないと諦めていく。
「例のあれ、やっと解読できた。確かめるためにもお前が行ってくれるか?」
人々は逞しく生き抗い、時も経って新たな日常が生まれていた。




