73場 大事な友達
職員室の中は騒然としていた。
天井に取り付けられた魔石灯の下で、顔を青ざめた教師たちが円陣を組んでいた。その中心にいるのはミルディアだ。いつも綺麗なプラチナブロンドの髪を乱し、苛々と足踏みをしている。
ミルディアとは子供の頃からの付き合いだが、ここまで余裕のない姿を見るのは初めてだった。
「ミルディアさん。レイさんとドニ先生がいなくなったって本当ですか」
「メルディちゃん……。グレイグと、エレンも」
職員室に足を踏み入れたメルディたちを見て、ミルディアが泣きそうに顔を歪める。しかし、ぐっと唇を噛み締めると、事の経緯を説明してくれた。
メルディと喧嘩したあと、レイはミルディアと共に明日の最終面接の準備を整え、ようやく事情聴取を終えたドニを来賓室まで迎えに行った。寮で引き続き監視するためだ。
他の教師は記者や保護者からの問い合わせにかかりきりで応援に行けなかった。その隙をついて何者かが二人を襲い、連れ去ってしまったのだ。
「もしくは、ドニ先生がレイを人質にして逃げたか……」
「そんな! ドニ先生はそんなことをする人じゃ……!」
エレンが悲痛な声を上げる。
「わかってるわ。でも、今は色んな可能性を考えなきゃいけないの。あと、これは他の生徒には他言無用だけど……。二人と一緒にニールもいなくなってるのよ」
息が止まった気がした。
まさかレイたちだけではなく、ニールまで巻き込まれたのか。もしくは……いや、まだ決まったわけじゃない。嫌な考えを振り払うように、首を横に振る。
「……ヒンギス先生じゃないんですか? ニール君はヒンギス先生といつも一緒でした。もし、ヒンギス先生の犯行を目撃したとしたら……」
いけないと思いつつ、胸に沸いた疑惑を口に出す。
レイとヒンギスの間に何かあるのは間違いない。ケイトが襲われた日に、はっきりとそう感じた。
あのとき、喧嘩を恐れずにもっとちゃんと話を聞いておけば。
「違うわ。ヒンギス先生は体調を崩して寮にいるの。昨日からずっと、アルフレッド先生とナダル先生がついているのよ」
「そんなの、二人が席を外した隙をつけば……」
「二人が同時に席を外すことは絶対にないわ。誓ってもいい」
真剣な目で、きっぱりと否定される。
そこでようやく気づいた。ヒンギスも監視されているのだと。
ナダルは失格、アルフレッドとアデリアは棄権。ケイトは襲われて続行不能。残ったのはドニとヒンギスだけだ。怪しいのはどちらかしかいない。
ヒンギスには目撃者がいたとはいえ、疑いは晴れていないのだろう。けれど、そのおかげで今回ヒンギスは無実だと証明された。
ニールに命令していない限り。
「……二人とも、ちょっと来て」
ミルディアが他の教師との話し合いを再開したのを機に、グレイグとエレンを職員室の外に連れ出す。完全に日が落ちた廊下は、とても夏とは思えないぐらい冷え冷えとしていた。
「ニール君はきっと柱時計の先にいると思う。この厳戒態勢で、二人を連れて魔法学校の外に出られるとは思わないもの。校内で先生たちに知られていないのはあそこだけでしょ」
まだ行方がわからないということは、エルドラドは賢者の雫をレイたちに託しただけで、ありかまでは知らないのかもしれない。だから、見つけてもらいたがっていたのかも。
「ちょっと待ってよ、お姉ちゃん。なんで、そんなことが言えるのさ。封筒は開いてなかったじゃん。七番目の謎は解いてないってことでしょ? どうやって入るの?」
「ニール君はプレートが鍵の鋳型だってことは知らないのよ。ただ、レイさんが七番目の不思議の製作者だってことはわかった」
ズボンのポケットから手紙を取り出して、二人に掲げる。
「この手紙、きっと私に渡す前にすり替えたんだわ。よく真似してあるけど、レイさんの魔法紋の筆跡は、もっと線を引いたようにまっすぐだもの。ニール君はレイさんの論文を全部読んだって言ってた。本物の手紙の筆跡を見れば、すぐ気づいたはずよ」
そうだ。あえてミルディアの話をしたのも、メルディとレイに距離を置かせるためかもしれない。手紙をすり替えたのも、レイが製作者だと気づかせないためだ。
「そこまで手の込んだことをする必要ある? そのまま隠蔽しておけば済む話でしょ。封筒にプレートが入ってるって知らなかったとしても、僕たちが謎を解いちゃったら台無しじゃん」
「……本当は止めてもらいたがってるんじゃないかな」
エレンがぽつりと呟く。
「エステル君だって、こんなことしたくないと思う。ヒンギス先生に言われたら逆らえないよ。院に進むにはヒンギス先生の評価がいるんだもん」
ニールを庇うエレンに、グレイグは一瞬だけムッとした雰囲気を出した。弟は案外やきもち焼きなのかもしれない。
「じゃあ、さっさとミルディア先生に話してエステルを捕まえてもらおうよ。それで解決でしょ。明日の最終面接にも間に合うし」
「ダメよ。私たちだけで行きましょう。この状況で捕まえたら、あの子、魔法学校にいられなくなっちゃう。これ以上、大ごとにならないうちに、レイさんとドニ先生を解放してもらわなきゃ」
「何、言ってんの。甘いし、危険すぎるよ。柱時計の中がどうなってるのかもわかんないんだよ? 無謀なことをして、レイさんたちに何かあったらどうするの?」
グレイグの言葉は正論だ。だが、正論が全て正しいとは限らない。たとえ間違っていると言われようと、メルディは自分の勘を信じる。
そして、レイを。大好きな夫を信じる。
「あんたこそ、何言ってんの。レイさんは歴戦の魔法紋師よ。後輩に遅れをとるわけないじゃないの。今頃ドニ先生を守りつつ、ニール君を説得してるに決まってるわよ。それにね、道を間違えたら力づくで引き戻すのが友達ってもんでしょ」
「友達じゃないって。それに、遅れをとったからいなくなってるんでしょ。屁理屈こねないで、ミルディア先生に話そうよ」
「二人とも、言い争ってる場合じゃないよ!」
押し問答する二人の間に割り込み、エレンが声を荒げる。そして、涙の滲む目でグレイグを見上げた。
「ねえ、グレイグ。お願いだよ。ボクたちだけで行こう? ボクがグレイグやメルディさんに助けられたように、ボクもエステル君を助けたいんだ。だって、ボクたち友達じゃないか。そうだろ?」
グレイグが息を飲んだ。港で会ったとき、エレンは「友達なんて恐れ多い」と言っていた。けれど今、彼は自ら口にしたのだ。「友達」と。
「……うん、わかった。行こう。もしやばいことになっても、僕がエステルをぶん殴るから安心して」
グレイグが殴ったら死んでしまう。注意しようかと思ったが、せっかくの決意に水を差したくないのでやめた。さすがに手加減はするだろう。たぶん。
「ねえ、フィー。あなたはミルディアさんのそばにいて、状況に変化があったら教えてちょうだい。私たちが柱時計の中でまずい状況になったら、アズロを通じて知らせるから、そのときはミルディアさんを連れて柱時計の中に来て」
フィーとアズロはメルディの両肩の上でお互いの顔を見つめ合うと、甲高く鳴いて羽ばたいた。
そのままフィーは職員室の中へ、アズロはメルディたちを先導するように玄関ホールへ向かって飛んでいく。
「レイさん……。すぐ行くからね!」




