68場 実験棟の幽霊図書館
「あれ、ニール君。今日はフリー? 図書委員の仕事は?」
「ヒンギス先生が実技試験に集中したいと言うので、研究室を出てきました。先生たちの調べ物の邪魔をしないように、試験が終わるまで図書館は閉鎖だそうです」
「えっ、そうなんだ。じゃあ、昨日誘えば良かったな」
一番路のど真ん中。行き交う生徒たちの邪魔をしないよう端に寄り、渡り廊下に隠されていたプレートを見つけたと話す。もちろんバー穴蔵を見つけたことは内緒だ。
ニールは「あんなところに……」と目を丸くしていたが、それ以上深くは突っ込んでこなかった。
「ところで、今日もお一人ですか?」
メルディの両肩に乗ったフィーとアズロを順番に眺め、ニールが問う。今日は一日、レイもグレイグもミルディアと一緒なので、案内役としてまた来てくれたのだ。
「そうなのよ。お仕事とはいえ、みんな大変だよねえ」
いよいよ教授選も終盤戦。英知の結晶と名高い魔法学校の動向は各新聞社も気になるところだ。
昨日ナダルがやらかしたこともあり、しつこく取材を申し込んでくる記者たちの対応にかかりきりになっているらしい。
同時に次期校長お披露目の会見準備も進めなければいけないそうで、体がいくつあっても足りないと、昨日ベッドの中でレイがぼやいていた。
「せっかくの新婚旅行なのに残念ですね……。これからどこに行かれるんですか?」
「んーとね、エレン君に会いに行こうかと思って」
様子が気になるし、と心の中で呟く。
「シュミットなら、ドニ先生に連れられて嘆きの森に行っていますよ。何か大きな筒みたいなものを抱えてましたけど」
「あー……。何しようとしてるのか、わかっちゃった」
嘆きの森とは、校舎の奥に広がる森のことだ。物騒な名前がついているが、おどろおどろしい謂れは何もない。
好きな人にフラれたときに叫んだり、テストで赤点を取ったときなどに魔法をぶっ放す場として使用されているため、その名前がついたそうだ。
ドニも研究室に転がっていた筒の二弾目をぶっ放そうとしているのだろう。願わくばナダルみたいに失格にならなければいいが。
「試験中なのに、相変わらずですよね。……ドニ先生は、もう解けたんでしょうか?」
「いや、それがさあ」
次の瞬間、喉が詰まるような感覚がして言葉が途切れた。どれだけ力を入れても声が出ない。試験のヒントになり得ることは話せないように魔法がかかっているらしい。
この広大な敷地の中を覆う魔法。どれだけの労力を割いているのか、考えるだけで目眩がしてくる。レイが連日疲れているわけがわかった。
「ごめん。私の口からは言えないや」
それだけで悟ったのか、ニールが「そうですか……」と呟く。
その表情は暗い。よく見ると目の下にクマもできている。レイと同じで疲れているのかもしれない。弟と同い年の子供が辛そうだと、それだけで心配になる。
「どうしたの? なんか、しんどそうだよ。寝不足?」
「論文の追い込みで……。それと、夜中に勉強してるんです。日中は先生の手伝いや図書委員の仕事があるから。カウンター業務はなくても、本の修繕とかは回ってくるんですよ」
長期休みは生徒の数が少なくなる。しかし、日々の仕事がなくなるわけではない。仕方がないこととはいえ、残された生徒の負担はどうしても大きくなる。
それを文句も言わずにこなし、勉学に勤しむニールは素直に尊敬できた。やっぱりグレイグに爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
「ニール君はすごく努力家なんだね。でも、無理しちゃダメだよ。もし体を壊しちゃったら、お兄さんたちだって――」
「僕はシュミットみたいに頭がいいわけでも、リヒトシュタインみたいに強いわけでもないから、それぐらいしないとついていけないんです」
いつになく強い口調だ。それだけ本心なのだろう。エレンはニールを羨ましがっていた。ニールもエレンをそう思っていたとは。
ただ黙って目を丸くするメルディに、ニールがはっと我に返る。
「……すみません。ただの愚痴です。二人には言わないでください」
「言わないよ。弟のこと、買ってくれてるんだね」
「買ってるっていうか……。リヒトシュタインは良くも悪くも目立つから」
知りたくないことを知ってしまいそうなので、それ以上詳しく聞くのはやめた。
会話が途切れたのを機に、レイのことを話題に出す。興奮した己の姿を思い出したらしい。ニールの頬が赤くなった。
「あ、あれは忘れてください……。レイ先輩には大変失礼しました。つい我を忘れてしまって……」
「試験が終わったら、またお話ししてあげて。ニール君は今、魔法学科だったよね。将来はレイさんみたいな魔法紋師になりたいの?」
「それは……。まだ、わからないです。魔法紋は好きだけど、僕はそんなに器用じゃないから、魔法学の方が向いてるって兄やヒンギス先生に言われてるんです。ヒト種の僕じゃ、どう頑張ってもレイ先輩みたいにはなれないと思うし」
寂しそうに笑うニールに、グレイグの影が重なった。エレンを含めたこの三人は、根っこの部分でとても似ているのかもしれない。
気づいたら、勝手に口から言葉が飛び出していた。
「ねえ、ニール君。お姉さんとデートしない?」
「うわ、埃っぽい。ここってどれぐらい放置されてるの?」
「戦後からなので、たぶん百二十年ぐらい……。それより、デートって不思議探しのことだったんですか?」
「え? うん。気分転換になるかなーって思って」
薄暗い部屋の中、舞い散る埃を手で払うメルディに、ニールが呆れた顔を向ける。
メルディたちがやって来たのは、研究室棟と隣接した実験棟の資料室……という名のガラクタ置き場だった。
資料室はドニの研究室よりも一回り狭く、天井にまで届く棚が部屋いっぱいに並べられている。
一見すると図書館のようだが、あるのは本だけではない。
乱雑に積まれている木箱の中には、古びたローブや杖、コップなどの生活用品も一緒くたに放り込まれていた。どうも、卒業していく生徒たちが不要品をめいめい置いて行った結果らしい。
最初こそ有志が整理整頓していたが、モルガン戦争をきっかけに放棄され、もはやどこに何があるのか誰も把握していない状態だそうだ。
「この奥に開かずの扉があるんだっけ?」
「そうです。噂によると、貴重な資料が保管されているらしいんですけど、誰も開けられなくて。生徒たちの間では、実験棟の幽霊図書館って言われてます」
言い得て妙である。
ニールに先導されて奥に行くと、鉄板で補強された扉があった。ドアノブは真鍮で、いくら押しても引いても開かない。ロックの魔法がかかっているのだろう。
扉の近くの棚の中には、生徒の作品らしいミニチュアが置かれていた。工房の風景を再現したもののようだ。
大きさは前ならえしたときの幅ぐらいで、溶けた鉄を運ぶ坩堝や炉、作業台、金床や金槌までしっかり作られている。この細かさはドワーフの作品かもしれない。
「すごーい。ミニ工房だ。リアルだなあ。ちっちゃいドワーフまでいるよ。これを作った人はよっぽど職人仕事に詳しいんだね。合金のミニインゴットまで丁寧に作ってあるし」
合金のインゴットは合計で五種類。左から順番に、火属性のイフリート鋼、氷属性のルクレツィア鋼、土属性のガイア鋼、水属性のウンディーネ鋼、雷属性のヴォルト鋼だ。ドワーフ人形はどれから炉にくべようか悩んでいるようだった。
炉の近くの壁には火の色見本が貼り付けてある。下から赤、白、青、オレンジ、黄色の順で、色見本の隣には小さく上向きの矢印が書かれている。
ニールはしばらくミニ工房と扉を観察していたが、やがて顎に手を当てて、ぽつりと呟いた。
「……メルディさんって、デュラハンの防具職人でしたよね。魔鉱石の合金って詳しいですか?」




