66場 Bar穴蔵にて
「じゃあ、こっちの席にどうぞ。ちょっと古いけど、座り心地は抜群よ」
空いた席を促されて、遠慮なく座る。
さっき朝ごはんを食べたばかりだが、甘いものは別腹だ。メルディがさっさと座ったのを見て、エレンも遠慮がちに腰かける。
遅まきながら自己紹介すると、教師たちは一斉に目を丸くした。
「へえ、君がレイ先輩の奥さんで、グレイグのお姉さんか。どうして、ドニ先生の秘蔵っ子と一緒にいるの?」
興味津々のアルフレッドに、七不思議を求めて校内を案内してもらっていると伝える。賢者の雫については伏せた。レイに伝わるかもしれないから。
「七不思議か。懐かしいなあ。俺たちの時代もあったよ。今も昔も変わんないんだね」
うんうんと頷くアルフレッドに「ですよねー」と相槌を入れつつ、隣で所在なげに肩をすくめるエレンに耳打ちする。
「秘蔵っ子だって、エレン君。ちゃんと先生の助けになってるんだよ」
「そんな、ボクは……」
「謙遜しないで。君はすごいよ。この数日、一緒にいてよくわかった」
エレンは「……っ」と息を飲むと、それきり黙り込んでしまった。首を傾げるメルディに、アデリアがレモンタルトを頬張りながら豪快に笑う。
「新婚旅行なのに、教授選に巻き込んじまって悪いねえ。でも、すぐに決着つくと思うからさ。ヒンギス先生とドニ先生がいるんじゃ、勝ち目ないし」
「ヒンギス先生とドニ先生ってそんなにすごいんですか?」
「そりゃあ年季が違うもん。アタシたちが授業でひーひー言ってたときから、二人は教師だったんだよ?」
それもそうか。職人と同じで、教師の世界も積み重ねてきた経験や知識がものを言うのだろう。
「今の教師陣は、モルガン戦争後に来た人ばっかりだからね。当時からいるのは、校長、ヒンギス先生、ドニ先生、ミルディア先生だけだよ」
アルフレッドの言葉に、喉が一瞬詰まった。
それはきっと、戦後に一時休校の憂き目にあったことと関係しているのだろう。あの戦争で傷ついた人間は数え切れないほどいる。レイも、ミルディアもだ。
「……それなのに、皆さんはどうして立候補しようと思ったんですか?」
「そりゃあ、生徒たちのためさ。担当教師が校長になれば箔がつくからね。ヒンギス先生はわからないけど、ドニ先生もそうじゃない?」
アデリアに水を向けられたミルディアが嫋やかに頷く。
「そうねえ。ドニ先生の生徒にはエルフ以外の種族が多いから、余計そうでしょうね。時代は変わっても、まだ魔法学の分野はエルフが強いもの」
「え、じゃあ、なんでミルディアさんは辞退したの? 魔法紋学科も他種族多いですよね?」
「教師の威光に頼ってるようじゃ、世間に出てもやっていけないわよ。魔法紋師って結構シビアな職種なの。生徒たちには自分の力で大河を越えてもらわないとね」
厳しい。レイとグレイグの苦労が偲ばれる。引き攣った笑みを浮かべるメルディに、今まで静かに話を聞いていたケイトが口を開いた。
「……ヒンギス先生もそうだと思うわよ。きっと生徒のために立候補したはず」
「ええ? そうかなあ? ヒンギス先生って『エルフ』でしょ? ケイトはヒンギス先生のファンだからなあ」
大袈裟にため息をつくアデリアに、ケイトはムッと顔を顰めた。
アデリアの言う「エルフ」は種族名ではなく、一種の揶揄で、他種族とは一線を引いているエルフをそう呼ぶそうだ。
ヒンギスはエルフの威光が強いルクセン帝国出身の祖父の影響で、他種族――特に短命種を拒絶しがちな節があるという。だから、メルディにも冷たかったのだろう。
「でも、ニール君はヒト種ですよ。いつも一緒にいるみたいでしたし」
「彼はエルフの血を引いてるし、エステル家の子だから特別だよ。少なくとも、俺は在学時に優しくしてもらった覚えはないなあ。ケイトと違って、この見た目だからね」
アルフレッドが苦笑する。側頭部に生えた角といい、真っ黒な歯や爪といい、ドラゴニュートは数多くいる種族の中でも特異な見た目をしている。
もしかしたら、デュラハンのグレイグやエレンにもそうなのかもしれない。最果ての塔で会ったときも、二人には一瞥すらしなかった。
「……昔からそうだったわけじゃないの。ドニ先生とアリア先生といるときは楽しそうだったわよ」
ケイトをフォローするように、ミルディアが言う。
「アリア先生って、魔法学校を辞めたっていう?」
「辞めたんじゃないわ。亡くなったのよ。モルガン戦争で、召集された生徒たちの盾になってね」
言葉が出なかった。アルフレッドたち三人も目を丸くしている。
「あの夏の日、大河を越えた人たちはほとんど戻ってこなかった。アリア先生もそう。戻ってきたのは割れた眼鏡と、血に染まった白いローブだけ。今はただ、シエラ・シエルの墓地で安らかに眠っているわ。私の夫のようにね」
ああ、そうか。ドニが毎年、夏に出かけているのは。
エレンが鼻を啜る音が聞こえる。しんと沈黙が降りる中で、空になったカップを抱えたケイトがぽつりと呟いた。
「……私は今のヒンギス先生しか知らないけど、悪い人じゃないと思うわ。エルフの血を引きながら、魔力に乏しいヒト種の私を、憐れむことなく指導してくれたもの」
「……うん、そっか。そうだね。ごめん、ケイト」
アデリアがケイトに頭を下げたとき、部屋の外から鐘の音が聞こえた。十二回。正午だ。気づいたらここにきて結構な時間が経っていた。
「あらあら、もうこんな時間。そろそろグレイグの当番も終わった頃ね。レイもさすがに起きてるでしょ。メルディちゃん、悪いけどまた旦那さまをお借りするわね」
「あ、はい。昨日はお洋服を貸してもらってありがとうございました。また返しに行きます」
「いいわよ。あげるわ。その代わり、他の子にはこの場所のこと内緒にしてくれる?」
頷くメルディに優しく微笑み、ミルディアがティーセットをローブのポケットに回収して立ち上がる。洗い物は職員室の給湯室でするそうだ。
同じく立ち上がった教師たちに続こうとして、テーブルの下に何かきらりと光るものが落ちているのに気づいた。七不思議のプレートだ。
いつ間にこんなところに。テーブルの裏側にでもくっついていたのだろうか。
「どうしたの、メルディちゃん? 行くわよ」
「あ、はい、すぐ行きます。ちょっと靴紐解けちゃって……」
靴紐を直すふりをして咄嗟にプレートをズボンのポケットに隠し、ミルディアの後に続く。なんだか悪いことをした気分になり、胸がドキドキする。
そんなメルディの様子には気づかず、先頭で階段を登ろうとしていたアルフレッドが「あ、そうだ」とこちらを振り返った。
「これから、また校内を回るんだよね? どっかでナダルっていうデュラハンに会ったら、俺が『金返せ』って言ってたって伝えてくれる? あいつ、ちっとも職員室に寄り付かないんだよ」
「それは構わないですけど……。ナダルさんってどんな人なんですか」
「魔戦術科の主任教師で、俺の同期。まあ、見たらわかるよ。超絶な馬鹿だから」




