60場 目が動く肖像画
二羽と三人を引き連れて向かったのは、図書館にほど近い美術室だった。
主に生徒たちの作品が飾られているらしく、職人の目から見てもピンからキリまで様々な造形物がある。
特に目を引くのは、メルディの顔ぐらいの大きさの丸いキャンバスに、乳牛みたいな黒い模様のある絵だ。
どうも、黒い部分はライスの粒並みに小さな文字で構成されているようで、じっと見つめていると、目の奥が痛くなってくる。
「これ、公用語じゃないよね。拡大鏡使っても、ちっとも読めないし」
道具置き場の棚から拝借した拡大鏡を顔から下ろし、ニールは頷いた。
「たぶん、公用語に統一される前の古代エルフ語ですね。エステル家の書斎で見たことがあります。高祖父の手記かなんかじゃなかったかな」
古代エルフ語は一千年以上前にエルフたちの間で使われていた言語なのだそうだ。さすがエルフ。歴史が長い。
「ところで、七不思議の絵ってどれ?」
「あれです。一番奥に掛かってる……エルフ? 化け物? の絵です」
ニールが指し示す先には、抽象画を超越した前衛美術のような絵が、立派な黄色の額縁の中に入っていた。中心に目らしき二つの点があるので、かろうじて生き物だとはわかる。
「一応、誰かの肖像画らしいんですけど……」
「……モデルの人は、これを見てどう思ったんだろうね?」
この作者が見えている世界は随分と独特だったようだ。会ってみたかった。
七不思議の内容としては、この肖像画の前を横切ると、どこまでも視線が追ってくるのだそうだ。
試しにやってみたところ、本当に目が動いた……ように見える。心底気持ち悪い。
「不思議と言っても、理屈は判明してるんですけどね。よくあるトリックアートってやつです」
「え? そうなんだ。どんなの?」
メルディは金属加工が専門なので、絵には詳しくない。疑問符を浮かべつつ首を傾げると、ニールは心持ちゆっくりとした口調で答えた。
「絵を二重にしてるんです。下の絵には目を、上の絵にはそれ以外の部分を描いて、上の絵の目の部分をくり抜くと、動いているように見えるっていう」
「へえ、面白ーい! ニール君の説明、すごくわかりやすいね。教師に向いてるんじゃない? グレイグと違って」
「ちょっと、なんでそこで僕をディスるのさ」
鼻を鳴らすグレイグを無視して、絵に手を伸ばす。しかし指が触れた途端、パチンと弾かれてしまった。
「いった……! 何? なんかピリッとしたんだけど」
「防犯の雷魔法がかかってるみたいで、触ると静電気が走るんですよ。この額縁、雷の魔石塗料で塗ってるらしいです」
「ええ……。早く言ってよお」
「すみません。まさか、速攻触ろうとするとは思わなくて」
ニールが頭を掻く。隣のエレンも申し訳なさそうに肩をすくめていた。実の弟は「ざまあ」とでも言いたげな目をしているが。
「ゴム手袋、持ってきてないしなあ……。この魔法、誰か解ける?」
「僕は雷魔法に明るくなくて……。シュミットは?」
「あ、や、やってみる!」
ニールに促されて、エレンが絵の前に出る。
エレンはしばらく額縁を観察していたが、やがて小さく頷くと、ローブのポケットからペンを取り出した。
魔法学校のローブのポケットには希少な闇露蜘蛛の糸で魔法紋が縫い込まれていて、鞄一つ分ぐらいの収納力があるそうだ。羨ましい。
「……うん。これで大丈夫かな」
絵の周りに魔法紋を書いたエレンが、今度は杖を取り出す。魔法を使い始めた子供が持つような、装飾も何もないシンプルな木製だ。誰かのお下がりなのか、杖の先は折れて曲がってしまっていた。
「ちょっと下がっててください。解除するときに、バチっといくと思うので」
「エレン君は大丈夫なの?」
「雷属性なので平気です。ボク、唯一雷魔法は使えるんですよ。初級レベルですけど」
それも珍しい。闇と魔属性から生まれたデュラハンには、相反する光属性の派生である雷属性持ちはあまりいない。
「いきます!」
エレンが杖を魔法紋に当てた瞬間、周囲に白い閃光が走った。咄嗟に目を閉じたものの、少し遅かったようで、視界がチカチカする。
解除は成功したらしい。額縁は黄色からくすんだ茶色に変わっていた。
「すごいね。どうやったの?」
「えーと……。雷というのは、大気中で電荷分離が起こって放電する現象なので、魔法紋で電気の逃げ道を作ることで、溜め込んだ電気を……」
「ごめん。やっぱりいいや」
グレイグの手を借りて絵を床に下ろす。絵の裏にも、絵がかかっていた壁にも、特に変わったところはない。
と、いうことは、何かあるとしたら絵の方か。
「分解してみよっか。今更だけど、勝手に触っちゃって大丈夫かな?」
エレンが頷く。
「大丈夫ですよ。規則さえ守れば、生徒のすることに先生たちはノータッチ。もし、いざこざが起きても喧嘩両成敗というスタンスで、校内の自治は生徒に任されているんですよ。玄関ホールに階段がないのも、『ショートカットしたかったら勉強して魔法で浮け』ってことですから」
「うーん、なかなかシビア。グレイグ、あんたよくやって……いや、あんたは大丈夫よね。空は飛べないけど」
武勇で知られるリヒトシュタイン家のデュラハンに手を出す人間はいないだろう。返り討ちにされるのが目に見えている。
額縁を外すと、ニールの言った通り、絵が二重になっていた。上の絵はともかく、真っ白いキャンバスに目だけ浮かんでいるのは不気味極まりない。
「私の勘だと、この辺りに……あった!」
指先の感触に歓声を上げる。上の絵と下の絵の隙間。額縁の中に収まる箇所に、金属製のプレートが挟み込まれていた。
プレートは薄いキャンバス紙に包まれていて、一見すると絵の一部にしか見えなかった。嬉々としてプレートを掲げるメルディに、ニールが感心したようにため息をつく。
「ここにあるって、どうしてわかったんですか」
「デュラハンの鎧も、魔法紋を隠すために二重鋼板にすることがあるの。そういうのって、大抵、視線が向きにくいところに施すからね」
「お姉ちゃん、論理パズルはダメだけど、そういうのは得意だよね。間違い探しとかさ。野性の勘ってやつ?」
「失礼な。観察眼って言ってちょうだい」
プレートは人差し指ぐらいの大きさの長方形で、長辺の片側に半円状のへこみがあり、後ろが少し膨らんでいた。素材は金。めっき加工ではなさそうだ。豪勢なことである。
「魔語で小さく何か刻印されてますね。……M・W? なんの略だ?」
ニールが首を傾げる。エレンもだ。魔法学校の首席と次席がわからないものをメルディがわかるはずもない。二人に倣って首を捻る。
「なんだろ。イニシャルかな。Mってマ行のどれかだよね。メルディ?」
「そんなわけないでしょ」
グレイグが呆れた声で言う。冗談の通じない弟である。
「まあ、これが何かは置いといて。残りの六不思議にも、きっと同じように隠されてるってことよね。次は何? この調子で、さくさく行こうよ!」




