59場 魔法学校の七不思議
何かに頬をつつかれる感覚で目を覚ました。
ぬっと眼前に現れたのは、二本の黒い嘴と鮮やかな青い羽毛。ミルディアの使い魔、フィーとアズロだ。二羽ともつぶらな黄色い瞳で、メルディを見下ろしている。
「どこから入ったの?」
アズロが部屋の奥に嘴を向けた。風を通すためか、窓が少し開いている。よく見れば、隣にレイがいない。珍しく早起きして出て行ったらしい。
掛け布団を裸の胸に押し当て、ベッドに身を起こす。昨日はちょっと頑張りすぎたので腰が痛い。
うめくメルディの膝の上に、フィーが折り畳まれた白い紙を乗せた。
「なにこれ、手紙? 誰から?」
つべこべ言わずに読め! と言いたげにアズロが「ピャー!」と鳴いた。二羽はミルディアには優しいが、他人にはそうでもない。唇を尖らせながら紙を開く。
紙はレイからの伝言だった。
レイとミルディアは筆記試験の採点が終わるまで不在。グレイグは図書館で一日自習。道案内としてフィーとアズロをつけるから、絶対に一人で出歩くなと、きっちり高さが揃った几帳面な文字が綴られていた。
部屋を出る前に置いていかなかったのは、頭が働かなかったからだろう。何しろレイは朝に弱い。早起きしたのなら尚更、服を着て出ていくだけで精一杯だったはずだ。
「うーん、気にかけてくれて嬉しいんだけど、ますます放し飼いの猫になった気分……」
ちらりと鳥たちを見ると、めいめい毛繕いをしていた。決して焼き鳥を連想したわけではないが、急に空腹感を覚えてお腹が鳴る。
「……とりあえず、食堂に連れてってくれる?」
二羽は羽を羽ばたかせ、メルディに応えるように甲高く鳴いた。
食堂で遅めの朝食をとり、フィーとアズロに案内されて一番路の先の図書館におもむく。昨日エルドラドから渡された謎について、グレイグと相談しようと思ったからだ。
「どう考えても、私一人じゃ無理だもんね。案外、それ込みで渡したんだったりして」
魔法学校の図書館は首都の大図書館に匹敵するほど大きかった。城……いや、小さな塔と言ったほうがいいだろうか。
作りは玄関ホールと似ていて、中心は天井まで届く吹き抜けになっていた。ただ、違うのは天窓にステンドグラスがないことと、きちんと上階への階段が備えられていることだ。
壁にはダークブラウンで統一された本棚が隙間なく並べられ、居残りの魔法学校生たちが、手に魔法書らしき本を抱えて、忙しなく行き交っていた。
「あ、いた。グレイグー!」
気持ちでは大きく、実際には小さな声で、自習室の机に座っている弟を呼ぶ。デュラハンはどこにいても目立つので、わかりやすくていい。
その奥には『禁書庫』とプレートが掲げられた物々しい扉があった。中を監視するためだろうか。小さな窓が無数に並んでいる。
「げ、お姉ちゃん」
「げ、って何よ。げ、って」
走らないように気をつけながら、グレイグに近づく。グレイグの前には制服を着た誰かが、こちらに背を向けて座っている。友達だろうか。
「あ、メルディさん。おはようございます」
座っていたのはエレンだった。
机の上にはメルディがサインしたノートが広げてある。まだ二日しか経っていないのに、結構ページを使っている。エレンは勉強家のようだ。
「おはよう、エレン君。一昨日はありがとうね」
「こちらこそ。ドニ先生が迷惑かけた上、握手とサインまでしてもらっちゃって。あれは夢なんじゃないかなって思ってました」
「やだなあ。お世辞が上手いんだから」
笑いながらエレンの隣に座るメルディに、グレイグが嫌そうに目を細める。
「ちょっと、お姉ちゃん。何、当然な顔して座ってるの。自習の邪魔しないでよ」
「いいじゃない。少し相談に乗ってよ。たった一人の姉じゃないの」
「相談……?」
エレンが興味を示してくれたのを幸いに、羊皮紙を机の上に広げる。エルドラドから渡された経緯を話すと、グレイグはため息をつき、エレンは目を丸くした。
「校長先生がですか? なんの意図で?」
「わかんない。この羊皮紙も、子供の悪戯と言えなくもないし……。でも、校長先生が『賢者の雫は実在する』って言ったのは嘘じゃないと思うのよね」
賢者の雫を作ったのはエルドラドで、誰かに謎を解いてもらいたがってるんじゃないか、と仮定を話すと、エレンは両腕を組んで唸った。
「グレイグに八不思議のことを教えてくれたのはエレン君なんだよね? 何か心当たりある?」
「心当たりというか……」
エレンが羊皮紙を手に取る。
「正直なところ、ただの生徒の噂だって思ってましたし……。今も正直、半信半疑です。でも……」
そこで言葉を切り、エレンは手にした羊皮紙を指差した。
「この羊皮紙には『七つの不思議』ってあります。素直に考えると、賢者の雫を除いた七不思議でしょうね。それが謎を解く手掛かりなんだと思います」
「ええ……。なんで、そんなことが言えるのさ。お姉ちゃんが言う通り、賢者の雫が本当にあったとして、普通隠すもんじゃないの? もっと捻るでしょ」
「もし隠したいなら、こんなものは残さない。謎を解いてほしがってる、っていうのは当たってるんじゃないかな。だとしたら、そんなに捻ってないはずだよ」
理路整然とした言葉に、今度はグレイグが唸る。わいわいと話すメルディたちの元に、足音が近づいてきた。
「すみません、図書館の中は静かに……あれ、メルディさん?」
「あっ、ニール君。ごめんね、うるさくして。ニール君も自習?」
「いえ、僕は図書委員なんです。寮か研究室にいるとき以外は、基本的にここにいますよ」
「図書委員? そんなのあるの?」
詳しく聞くと、魔法学校には色々な委員――当番みたいなものがあって、グレイグは馬の飼育委員、エレンは校内美化に努める美化委員だそうだ。学生というものも、なかなか忙しそうである。
「エレン君は美化委員……。校内をチェックするってことは、どこにどんなものがあるのか詳しいよね?」
「まあ、それなりには……」
「ニール君は図書委員だから知識豊富」
「図書委員が関係あるかはわかりませんけど、まあ、人並みには……」
謙遜する二人からグレイグに視線を移す。
「で、あんたは力自慢のデュラハン」
「ちょっと、失礼じゃない? 人を脳筋みたいに言わないでよ」
「決まり! みんなで見つけようよ、この賢者の雫」
抗議する弟を無視し、両手を打ち鳴らす。思ったより響いてしまい、周りの生徒たちから白い目が飛んできた。
「何、言ってんの。僕たち、お姉ちゃんみたいに暇じゃないんだよ。勝手に決めないで」
「いいじゃない。本当に魔力爆上げのレアアイテムかはわからないけど、面白そうだと思わない? レイさんにも解けなかった謎だよ?」
「そんなこと言って、本当はレイさんに褒めてもらいたいだけなんでしょ。我が姉ながら、単純なんだから」
さすが血の繋がった弟。全部バレている。
しかし、最後まで諦めないのがメルディの才能だ。渋るグレイグをなんとか口説き落とすため、我ながら卑怯だと思いつつも、エレンに「どう思う?」と水を向ける。
エレンは一瞬考え込むと、「ボク、探してみたい」と言った。
「ねえ、エレン。お姉ちゃんのファンだからって、無理して付き合わなくていいんだよ?」
「ううん、やらせて。もし魔力が本当に上がるんだったら、ボクはほしいし……。少しでも誰かの役に立ちたいんだ。エステル君は?」
エレンにボールを投げられたニールが、小さく頷く。
「僕もいいよ。あのレイ先輩にも解けなかった謎なら、挑戦する価値はあるし」
「エステルまで……」
「あとはあんただけよ、グレイグ」
期待に満ちたメルディの目を見て、グレイグが肩を落とす。赤ん坊からの付き合いだ。これ以上抵抗しても無駄だと悟ったらしい。頭のいい弟で何よりである。
「……まあ、エレンは首席だからね。きっと助けになってくれるよ。エステルも次席だし」
「えっ、首席と次席? 本当に?」
はにかむ二人に、メルディは胸の中の炉が燃え上がるのを感じた。
「やる気出てきた! 早速探しに行こう!」




