5場 防具修理(丸投げはやめてください……)
「なんでこんなことに……」
大量の鎧兜に占領された倉庫の中で、メルディは一人泣きべそをかいていた。
手の中には錆びた兜、胡座を組んだ両膝の周りには錆びた鎧。ガラハドの「働いてもらおうかな」の言葉通り、今まで放置されていた防具の修理と整備を仰せつかったのだ。
リヒトシュタイン家は八百年前から続く家系で、代々デュラハンが領主を務めている。
デュラハンにとって鎧兜は服と同じ。持ち主の好みや成長に合わせて定期的に買い替えるし、気に入った防具は滅多に手放さない。高級品なら特に長持ちもする。故に、この屋敷には他家を凌ぐ量の防具が保管されているのだ。
「うう……。手が痛いよう。肩も腰も痛いよう」
錆び取りに使っていた紙やすりを床に置き、感覚がなくなってきた右手を振る。風呂と食事を済ませてからずっと、この部屋に軟禁されて防具を磨き続けている。
廊下には見張りがいるので、こっそり逃げ出すこともできない。その上、「全部片付けるまで旅には出さないよ」と言われてしまっては、何がなんでも頑張るしかなかった。
血の汚れを落としたばかりなのに今度は錆にまみれているとは、なんとも皮肉な話だ。
「あーあ……。せっかくレイさんと同じ屋根の下にいるのに……」
ため息で兜を曇らせつつ、想い人の姿を思い浮かべる。
風呂上がりで上気した頬。下ろした艶やかな金髪。森のような爽やかな香り……首都では絶対に見られない姿に、際限なくテンションが上がってしまう。
盗賊たちと戦っているときも本当に格好よかった。
いつもは穏やかな瞳が険しく細められている様も、メルディを案じて荒げた声も、筆舌に尽くし難い魅力があった。馬車に侵入した魔物に怯むメルディを後ろから抱きしめる腕なんて……。
「やだー! もー!」
兜を放り出し、そのまま床に倒れる。頬が熱くて仕方ない。ここに鏡があったら、赤茶色の髪をした茹で蛸が見られるだろう。
どうして、こんなに胸がときめくのか。どうして、些細な言葉にも一喜一憂してしまうのか。
メルディとて十八歳。仕事で同年代の男子と接する機会もそれなりにあったが、ここまで心を動かされる相手はいなかった。
レイは「錯覚」だの「お子さまのままごと」なんて言うけれど、やっぱりこれは恋以外の何ものでもない。
「たとえ、誰が何を言っても……この想いを貫いてみせるわ」
腰のベルトに下げた熊のぬいぐるみを手に取る。魔物の血を少し被ってしまったが、お風呂場で何度も洗い流した成果か、だいぶ綺麗になっていた。
それを見て、レイは「ぬいぐるみは洗えば綺麗になるからいいよねえ」なんて笑ってたっけ。
「……見た目のことじゃないわよね、きっと」
この国は何度か大きな戦争を乗り越えている。中でも特に大きな被害を生んだのが、百二十年ほど前に起きたモルガン戦争だ。
北の隣国ラグドールのモルガン王が、魔属性の魔法で魔物たちを操り、ラスタの地を徹底的に蹂躙したという。
当時、魔法学校の生徒だったレイも戦場に召集されたらしい。詳しくは教えてもらえなかったし、とても聞けなかったけど……。きっと、とても辛い体験をしたはずだ。
国軍にいるリリアナだってそうだ。これから向かうウィンストンは、二十一年前もラグドールと戦争状態にあった。それを終結させて平和に導いたのが、若かりし頃のリリアナだ。
完膚なきまでに叩きのめされたラグドールは瓦解して亡国となり、ついに長い因縁に終止符が打たれたのだと、アルティが顔を輝かせて語っていた。
安穏な時代に生まれたメルディには、レイやリリアナの苦悩は計り知れない。どれだけ辛い過去を背負っていても微塵にも表に出さないのは、大人だからなのだろうか。
「いやいやいや、私だって大人だし!」
がばっと起き上がり、再び兜を手にする。
こうなったら、少しでも早く片付けてガラハドに許しを得なければ。仕事をきっちりこなした姿を見たら、レイも見直してくれるかもしれない。
右手の痛みを振り払うように紙やすりを動かす。アルティは「錆び取りは単なる力仕事じゃない。素材の表情をよく読みなさい」と言っていた。メルディはまだその境地に至ってはいないが、手早く、そして丁寧に仕事を進めることはできる。
錆び取りを終えれば、次はへこみの修正だ。グレイグの闇から出してもらったリュックを手繰り寄せ、魔石ドライバーを取る。これで鋼板同士を繋いでいる、リベットという金属の鋲を外すのだ。
「よし、やるわよ」
両手を打ち鳴らして気合を入れ、ばらばらにした鋼板を借りた金床の上に据える。右手で鈍く光る金槌は十歳の誕生日に、クリフとアルティからもらったものだ。柄には今まで潰れたマメの血が染み込んでいる。
自由自在に扱えるようになるまで、何年かかっただろうか。今ではしっくりと馴染む重さを感じながら、鋼板に向かって振り下ろす。
カン、カン、と甲高い音が響くたび、自然と口角が上がっていく。メルディはこの仕事が大好きだ。自分の作ったものが誰かの人生を彩る一助になれるなら、どんな苦労も厭わない。
年中汗まみれで、煤で薄汚れて、同年代の女子からは「鉄臭い」とからかわれても、一度だって嫌になったことはない。
いつかクリフやアルティを超えて国一番の職人になってみせる。そして、レイが歩んでいく未来にまで届く作品を作り上げるのだ。
アルティも昔、レイに同じことを約束したらしい。今度はメルディがその想いを受け継いでいく。
それこそが、レイに唯一残せる生きた証だから。
「できたー!」
ガラン、と音を立てて兜が床に転がる。これで最後の一個も終わりだ。目の前には山積みになった鎧兜。もちろん全部ぴかぴかである。
額に浮いた汗を拭い、床に大の字になる。首も肩も腕も、鈍い痛みを発している。それでも心は晴れやかだ。いい仕事ができたときは、いつだって嬉しい。
頭の向こうには庭に面した大きな窓がある。始めたときはまだ明るかったのに、すっかり暗くなってしまった。
仕事に没頭すると時間を忘れるのはメルディの悪い癖だ。天井で煌々と光る魔石灯をいつ点けたのかも覚えていない。部屋の隅に見知らぬティーセットが置かれているので、ひょっとしたら見張りの使用人が差し入れのついでに点けてくれたのかもしれない。
コリをほぐすように首を伸ばす。逆さまになった空には満天の星と綺麗なお月様が浮かんでいる。青白く冴えた姿がレイと重なって、胸がきゅんと鳴った。
あの月のように密やかに、レイはメルディのことを見守ってくれる。今までだって何度も助けられてきた。これからも助けてもらうだろう。けれど、メルディが求めているのは保護者ではない。人生を共に歩く伴侶なのだ。
メルディにはずっと思い描いている未来がある。国一番の職人になって、小さくても温かい家に住んで、大好きな家族たちに囲まれて……そして、隣にはレイがいてほしい。
助けてもらった分、メルディだってレイを助けたいのだ。なのに、いつもうまくいかない。どんなに手を差し伸べても、さりげなく躱される。「子供がそんなことを気にしなくていいよ」と。
「大人を証明するのって、どうすればいいんだろう……」
ぽつりと漏らした言葉は、夜の静けさの中に消えていった。
レイとメルディの間には見えないラインが引かれている。レイが一方的に引いた、大人と子供を隔てるラインが。それを越えられる日はいつなのだろうか。
「レイさん、今頃何してるのかな……」




