46場 託すものと託されるもの②
「見ろ、メルディ! これがお前たちの披露宴会場だぞ!」
「会場だぞ……じゃないわよ! 何これ! お城じゃん!」
立春が過ぎてもまだ冬の気配が濃い二月。メルディはリヒトシュタイン邸の近くに完成した豪華絢爛な会場に度肝を抜かれていた。
馬車がそのまま入る大きな出入り口。数えきれないほどのドアが並ぶ長い廊下。目が眩みそうなシャンデリアに、いかにも高そうな絵。その先に広がるのは、日の光が燦然と降り注ぐ瀟洒な中庭だ。
中庭にはどこから掻き集めたのか、首都ではあまり見ない種類の花々が咲き乱れている。
聞けば、ハンス経由でワーグナー商会から購入した種を、魔法使い組合の木魔法使いと土魔法使いたちに依頼して咲かせてもらったのだそうだ。
敷地の広さもさることながら、床も柱も大理石である。備品一つとっても、それなりの品だろう。どれだけお金がかかっているのかと考えるだけで怖い。リヒトシュタイン家の家計簿は大丈夫だろうか。
呆気に取られるメルディの両脇に立つリリアナとエスメラルダは、そんなリアクションを予想していたように、にこにこと微笑んでいる。
「お城じゃないよ。披露宴会場併設のホテル。リリアナお姉様がリヒトシュタイン家の土地を提供してくれたおかげで建てられたのよ。最初、工房の中庭でやるつもりだったって聞いたから、中庭も作ったの。素敵でしょ?」
「えっ、ここを建てるために土地を手放したの? そこまでしなくたって……」
「娘の結婚式だぞ。土地なんていくら手放しても痛くないさ」
恐縮するメルディに、リリアナが豪快に笑う。リリアナはいつだってこんな感じだ。心配性のアルティとは対照的だが、だからこそ上手くいっているとも言える。
「それに、せっかくだから教会と業務提携して結婚式事業に乗り出すことにしたんだ。運営は教会。ロイヤリティは半々。面倒な調整はなく金が入ってくる。いい取引だろ?」
それはそうだが、いつの間にそんな話になっていたのか。仕事にかまけてノータッチだったのが悔やまれる。
「もー! 人の結婚式を商売の種にしないでよ」
「まあまあ。うちが儲かれば将来メルディも助かるだろ。グレイグだって、まだまだ物入りだしさ。それより、ドレスを試着しよう。サイズを測ったときから太ってないだろうな」
頬を膨らませながらリリアナたちのあとに続く。
幸いにも太ってはいない。むしろ少し痩せた。レイと作った鎧の量産体制が軌道に乗って、受注がひっきりなしだからだ。これが落ち着くまでは、当面新婚旅行には行けそうもない。
通された部屋の中央には、布が被せられたトルソーがひっそりと佇んでいた。布の裾から微かに見えるのは純白のドレス――花嫁衣装だ。
リリアナに促されるままに布を引く。
その途端に息を飲んだ。
触らずとも高級とわかる、艶やかなシルク。体の線を強調するシンプルなマーメイドドレスの全面には、植物をモチーフにした細やかな刺繍が施されている。
窓から差し込む明かりに反射して瞬くビーズは、もしやダイヤモンドだろうか。よく見ると、刺繍に使われている糸も最高品質の絹糸だった。
そして何より、頭にはレイが編んだベールに取り付けられた、セレネス鋼製のティアラが光っていた。
きっとアルティの力作だろう。波型の滑らかな曲線を損なわないよう、控えめに施された繊細な薔薇の意匠は、メルディが作るものによく似ていた。
「どうだ? すごいだろ?」
ドレスを前に立ち尽くすメルディに、リリアナが得意げに胸を張る。
「すごいなんてもんじゃないって。これ、全部手縫いじゃん。とても既製品じゃないよ。ハンスさん、どうやって手に入れたの?」
「ジャーノ家一同の力作だぞ。あそこは職人一家だから、服裁師のお嫁さんも、そのお弟子さんたちもいるからな。鏡台とタンスをお願いしたときにドレスの話になって、『それならそれも作るわ』って引き受けてくれたんだ」
「魔法使い組合の人たちも、当日の演出を引き受けてくれるって。みんなあなたたちを祝福してるんだよ、メルディ」
魔法使い組合はレイが所属している組合だ。職人組合に所属しているメルディとはあまり関わりはないが、今後は妻として彼らとも付き合っていくだろう。それを踏まえて依頼してくれたのかもしれない。
どこまでも優しい目を向けてくれる二人に、思わず言葉が詰まった。
「……いいのかな、こんな。私、ただの職人だよ? みんなから祝福してもらえて本当に嬉しいけど、分不相応じゃない?」
「何を言ってるんだ。たまたま貴族の家に生まれたから多少派手になっただけで、根っこはみんな同じだよ。家族のために何かしたい。友人たちの喜ぶ顔が見たい。その集大成がこれなだけだ」
とても多少ではないが、言いたいことはわかる。
それでも、素直に受け取るにはメルディの手のひらは小さすぎた。
怯むメルディの背を、リリアナが元気づけるようにゆっくりと撫でる。その手は昔と変わらず、とても優しかった。
「どうしても気が引けるっていうなら、その分、子供が生まれたら同じことをしてやればいい。職人たちの技術だってそうだろ。そうやって想いを繋げて未来に託していくんだよ」
あえて仕事に絡めてくれるリリアナに、ふっと口元が緩む。
「ママみたいに財力ないけどね」
「そのときのお前たちにできるだけのことをやればいいさ。それが親の愛情ってもんだよ」
「……ママのときも、こうしてもらったの?」
どうだったかな、と誤魔化そうとするリリアナを嗜めるように、エスメラルダが含み笑いを漏らす。
「すごかったよ。トリスタンさまも、職人街の職人さんたちも張り切っちゃってね。会場は作らなかったけど、王城の中庭を借りちゃうんだもん。何回お色直ししたっけ? アルティも大変だったよね。披露宴用のフルプレート何個も作って。幸せそうだったけど」
「あー! いいよいいよ、私の話は! 今日の主役はメルディなんだからな!」
顔の闇が真っ赤だ。きっと他にも逸話を隠し持っているのだろう。あとでレイにも聞いてみよう。
促されるように背中を叩かれ、想いの込もったドレスに触れる。
想像通り、指に馴染むしっとりとした手触りだ。これを着たら、さぞかし天にも昇る気持ちになれるだろう。一度だけしか着られないのがもったいない。
そのとき、ふと、いずれ訪れるかもしれない未来を想像した。
レイにそっくりな子供と自分にそっくりな子供たちが、今のメルディと同じように、このドレスを見上げている。
隣にはあまり見た目の変わらないレイ。けれど、その左手の薬指にはメルディとお揃いの指輪が嵌まっているはずだ。
メルディはそれを微笑ましく見守りながら、「おじいちゃん家のお嫁さんたちが、みんなで作ってくれたんだよ。すごいでしょ」なんて自慢げに言っているだろう。
それに対しての子供たちの反応は――そのときまで楽しみにしておこう。
「私たちの子供も、こうして驚いてくれるのかな……」
ようやく実感が湧いてきた。
いよいよ、結婚式を迎えるのだと。




