38場 お義母さんとの初顔合わせ①
「あらあら〜。こんな可愛い子がレイのお嫁さんなんてねえ〜」
周りを本に囲まれた店の中。素朴なダークブラウンの椅子に腰掛け、ふんわりと微笑むのはレイにそっくりなエルフの女性だった。
腰まで長く垂らした金髪のうち、左耳にかけた一房だけプラチナブロンドだ。
ここはエルフたちが暮らす、ウルカナ大森林の中心に位置するアズテト市。ウルカナ領では二番目に大きく、最南端のサモニア海へ繋がる大きな街道が通っているため、商隊もよく訪れる。
市内の至る所には、彼ら商隊から仕入れた本を並べる本屋やエルフお得意の魔法屋がひしめき合い、西方のシエラ・シエルに続く知識と学問の街となっている。
メルディがレイの母親――イルム・アグニスと対面しているこの店も、魔法書から絵本まで扱う『本屋かふぇー』らしい。
隣国のルクセン帝国から移住してきたレイのご先祖が……といっても曽祖父だそうだが、八百年前に創業したというから恐れ入る。
「あ、あ、あの、初めまして! 私、メルディ・ジャーノ・リヒトシュタインと申しますっ! こ、このたびは、レイさんと結婚させて頂きたく、ご挨拶に伺いました!」
全力で頭を下げるメルディに、隣に座ったレイが笑みを漏らした。
「落ち着いて、メルディ。この人、見た目通りの人だから。冒険物語の悪いエルフみたいに、取って食べたりしないよ」
「そうよ〜。レイから手紙をもらって、ずっと楽しみにしてたの〜。ここまで来るの大変だったでしょ〜。とりあえずコーヒーでも飲んで〜。遠慮しないでね〜」
目の前のテーブルには、芳しい香りを漂わせるホットコーヒーが置かれている。イルムが淹れてくれたものだ。飲まないという選択肢はない。
「あ、美味しい……」
メルディの呟きに、イルムの笑みが深くなる。優しい苦味の中にほんのりと酸味があって、思わずほっとする味だ。
レイがよくコーヒーを飲んでいる理由がわかった。こんなに美味しいものを毎日飲んで育ったら、否応なく好きになるに違いない。
「しっかし、魔法紋にしか興味がなかったレイが結婚ねえ。ちょっと見ないうちに、大人になったなあ」
「ほんに、ほんに。時の流れるのは早いもんじゃて」
少し離れた席に座っている、これまたレイに似たエルフたちが目尻を下げて相槌を打つ。イルムの兄や叔父……つまり近所に住む親戚だそうだ。
ヒト種だととっくにご先祖さまの年齢だが、みんな純血のエルフなので見た目は若い。その上美形だ。レイで免疫ができているとはいえ、ドギマギする。
「俺たちは大歓迎だよ。首都の人から見たら何もない田舎だけど、ゆっくりしていってね。十年でも、二十年でも」
「そうそう。レイとこうして顔を合わせるのも百二十年ぶりじゃからのう。グリムバルドで店を開くと手紙をよこしたっきり、ちーっとも帰ってこんで」
「あのねえ、メルディはヒト種なんだよ。十年も二十年もいられるわけないでしょ。話が長くなるから、外野は入ってこないで」
野良犬を払うように手を振るレイに、ご親戚たちが「冷たいなあ」「冷たいのう」とぶつぶつこぼす。
ヒト種でもよく見る光景だ。種族が違えど、家族の形はそれほど変わらないのかもしれない。
「みんなフレンドリーなんだね。街も外に開かれてるし。なんとなく、深い森の中で静かに暮らしているイメージがあったけど」
「エルフはドワーフみたいに閉鎖的ってわけじゃないんだ。ただ、三度の飯より魔法の研究が好きだから、森の中に引きこもってるだけ」
「やあね〜。引きこもってるなんて〜。私たちは木の魔素を取り込んだヒト種から発生した種族なのよ〜。魔法が好きなのは確かだけど〜。森のそばが居心地いいだけよ〜」
拗ねたように言い、頬を膨らませるイルムは同性から見ても可愛い。とても二百歳越えとは思えない。ただ、レイはげんなりとした顔をしている。
「いい歳して少女ぶるのやめて……。それより、来年の結婚式来るの? 来ないの?」
「行くに決まってるでしょ〜。森に散らばってる他の親戚にも声かけるわよ〜。新婦側と釣り合い取れるように、新郎側も席埋めないとね〜」
「じゃあ、今日から準備進めてね。一ヶ月後には大体の人数決めて連絡ちょうだい。結婚式の三日前には迎え寄越すから、ここに出席者集めといて」
さくさくと一方的に話を進めていくレイに目を丸くする。
「今日からって早くない? まだ半年以上あるよ?」
「森に住む純血エルフの時間感覚を舐めちゃダメだよ。『あとでやろう』の『あと』が数十年後ってのがザラなんだから」
知り合いの長命種たちを思い浮かべる。
確かに、彼らの言う「こないだ」が十年以上前だったことは多々ある。レイもだ。それをさらに長くした感じだろうか。
「じゃあ話は終わったし、僕たちは宿に戻るから。コーヒーごちそうさま。明日、帰る前にまた寄るね」
「なあに、水くさい〜。ここはあなたの実家よ〜。部屋だってそのままにしてるんだから、泊まっていきなさいよ〜。料理だって腕によりをかけるわよ〜」
「やめてよ。いきなり泊まりなんて気が休まらないよ。それに料理だって、作ってるのおじいちゃんでしょ。母さんの手料理なんて、ほぼほぼ食べたことないよ」
店に隣接された厨房に視線を向けると、黙ってこちらを見守っていたエルフが照れくさそうに頭を下げた。レイの祖父は他の親戚とは違ってシャイなようだ。
「も〜。相変わらずね〜。メルディちゃん、なんとか言ってやってよ〜」
「レ、レイさん! 私、レイさんの部屋見てみたい。子供の頃のお話も聞きたいし……。まだご挨拶してない方もいらっしゃるよね?」
姑のお願いに勝てずに忖度するメルディに、レイは断固とした様子で首を横に振った。
「ダメダメ。そういうのは、また今度ゆっくりね。エルフの長話に付き合ってたら、年を越しちゃうよ。それに……」
イルムの顔を見て口をつぐむ。何か言いにくいことなのだろうか。「それに?」と恐る恐る促すメルディに、レイが「仕事があるからね」と返す。
「ウィンストンに行ってた間の仕事がまだ溜まってるんだよ。メルディもでしょ? 早く帰らないと、工房に閉じ込められちゃうよ。これから引っ越しも控えてるのに」
それを言われると辛い。まだ婚姻届も出していないし、やることはたくさんあるのだ。仕事は大好きだが、それに忙殺されている場合じゃない。
残念そうに眉を下げるイルムや親戚たちに頭を下げ、メルディは後ろ髪を引かれる思いでレイの実家をあとにした。
澄んだ夜空に星々が輝く頃、メルディは客室の窓から外を眺めていた。昼間よりも若干涼しい風が、開け放たれたカーテンと共に髪を揺らしていく。
周囲を森に囲まれたアズテト市は、首都とは比べものにならないぐらい静かだ。魔石灯の明かりもほとんどない。
ご年配の方々が多いためか、それとも自然と共に生きているからか、日が落ちたら早々に眠りにつくらしい。ここは三階なので、新月じゃなければ市内を見渡せたのにと残念な気持ちになる。
「レイさん、もう寝ちゃったかな……」
窓から体を乗り出して隣の部屋を確認するが、明かりは消えていた。物音も全くしない。さすがの宵っ張りも、久しぶりの帰郷で疲れたのかもしれない。
どうして部屋を分けているかというと、「朝、起きられなくなっちゃうからダメだよ。アルティにも釘を刺されてるし」と言われてしまったからだ。
その意味に気づいたのは、お休みのキスをねだって、「生殺しって言葉知ってる?」とため息をつかれたときだった。
「お義母さん、か……。いい人そうで良かった。親戚の人たちもあっさり受け入れてくれたし、なんとか上手くやっていけそう」
「あら〜。嬉しい〜」
昼間聞いたばかりの声が間近で聞こえてぎょっとした。次いで、目の前に現れた人物に思わず声を上げそうになり、窓の外から伸びてきた白い手に口を塞がれる。
濃紺色の闇の中、小さな魔石カンテラを腰に下げて片目を瞑り、「しーっ」と茶目っけたっぷりに微笑むのは、間違うことなきレイの母親――イルム・アグニスだった。
「ごめんね、驚かせて〜。ご近所迷惑になっちゃうから、大きな声出さないでね〜」
黙って何度も頷くと、イルムはようやく口から手を離してくれた。
「お、お、お義母さん。なんでここに。いや、なんで空から」
「私、エルフだけど風魔法の方が得意なのよ〜。レイが子供の頃は、よくこうやって空を飛んだものよ〜」
のほほんと言うものの、ドラゴニュートや鳥人以外の種族が空を飛ぶには、より多くの魔力を必要とする。
魔法紋を使っているのかもしれないが、それでもこんな風に軽々と飛べるとは、イルムの魔力量は相当多いに違いない。
「あの、何か言い忘れたことでも? レイさん起こしてきましょうか?」
「ううん〜。もうちょっとメルディちゃんと話したくて〜」
ぷかぷかと空中に浮いたまま、イルムはレイそっくりな顔でにっこりと笑った。
「ねえ、夜のお散歩してみない〜?」




