37場 結婚準備を進めよう
工房の二階。年季を重ねたダイニングテーブルの椅子に座り、メルディは穏やかな気持ちでコーヒーを啜っていた。
ウィンストンへの旅も終わり、長年恋していたレイとの結婚も決まり、両親への報告も無事済んで、あとは新生活に想いを馳せるだけである。
目の前には娘の結婚を喜ぶリリアナと、娘の結婚を悲しむアルティ。そして、何より隣には大好きなレイがいる。
これを幸せと呼ばずして何と呼べばいいのか。
自然と頬が緩むメルディをちらりと見たリリアナが、空になったカップをテーブルの上に置いて、両腕を組んだ。
「で? 結婚式の具体的な日どりは決めてるのか?」
「えっ、まだだけど。だって、ついこないだ結婚するってなったばっかり……」
「来年の建国祭前はどう? 貴族はみんな首都に集まってくるじゃん。早めに連絡しておけば、ガラハドさまたちも無理なく来られるだろうしさ」
「レ、レイさん?」
いつの間にそこまで考えていたのだろう。
建国祭は毎年五月十日に行われる、ラスタ王国の建国を祝う日だ。それに合わせて、地方の領主たちもこぞって首都を訪れる。
今年は忙しくて来られなかったガラハドも、メルディの結婚式となれば、仕事を調整して駆けつけてくれるに違いない……が。
「ねえ、大叔父さま『たち』ってことは、他にも地方領主クラスの人を呼ぶってことだよね? なんか規模大きくない? わざわざ遠いところから来てもらうのも申し訳ないし、首都の人たちだけでひっそりやろうよ。工房の中庭とかでさ」
「無理に決まってるだろ。付き合いのある家が揃ってビッグネームなんだから。パパがママと結婚した時も大変だったんだぞ。周りが貴族ばっかりで」
呆れ声で言うアルティのあとを、リリアナが繋ぐ。
「結婚ってのは家同士の繋がりでもあるから、呼ばないわけにはいかないんだよ。それに、中庭なんてエミィが許さないぞ。メルディが結婚式挙げてくれると思って、ウィンストンから戻って毎日、教会の説教台ぴかぴかに磨いてるんだから」
「エ、エスメラルダさん……」
嬉々としてウィンストンを去っていった様子を思い出す。だから、リリアナはメルディたちが結婚するとわかっていたのか。アルティが知らなかったのは、話すと面倒なことになるからだろう。
「結婚式か……。懐かしいなあ。君、置き物みたいになってたもんねえ。披露宴で貴族たちに取り囲まれて、カチンコチンになっちゃってさあ」
「仕方ないでしょ。俺はただの平民なんだから。あれで緊張するなって方が無理だよ」
「でも、君の家族誰も負けてなかったじゃん。新郎の親族席が一番賑やかだったよ?」
「賑やかなのが俺の家族の取り柄だからね。今回も張り切ると思うよ。今から胃が痛い」
アルティの実家は首都から馬車で二日ほど南に下った辺りにある、アクシス領ルビ村という、ど田舎の村だ。最近まで地図にも載ってなかった。
成長してからはご無沙汰だが、子供の頃はよく遊びに行った。今思い出しても、みんなパワフルだったという印象しかない。
アルティは七人兄弟の五番目で、親戚は数えきれないほどいる。今も増え続けているらしい。
「えっ……。ちょっと待って。ジャーノ家も全員参加するってことは……。一体、何人になるの?」
顔を青ざめたメルディに、リリアナが唸る。
「レイさんとこの親戚も多いんだっけ?」
「ジャーノ家ほどじゃないけど、エルフばっかりだからねえ。モルガン戦争を生き抜いた年寄りたちがそれなりにいるよ」
「となると、百人じゃ済まないだろうなあ。他にも決めることは山ほどあるぞ。何しろうちはリヒトシュタイン。国王も祝辞に来るかもな。おじいちゃんが王城でベラベラ喋りまくると思うし」
今度はメルディが唸り声を上げた。
祖父はすでに隠居の身だが、特別軍事顧問だかなんだかで暇さえあれば王城に出向いている。リリアナの言う通り、きっと誰彼構わず捕まえて孫自慢をしまくるだろう。
「綺麗なドレス着て、美味しい料理食べて、みんなに挨拶したら済むと思ってたのに……。もう、こんなの仕事じゃん……」
「諦めな、メルディ。貴族でも平民でも、結婚式ってのは一大プロジェクトなんだよ。お前もいずれこの工房を継いで親方になるんだから、いい経験だと思って」
優しく諭すアルティに、「どっかで聞いたセリフだね」とレイが呟く。昔、似たようなことがあったらしい。
「……じゃあ、それが終わるまで、レイさんの奥さんになれないの?」
せっかく想いが実ったのに。これからは、ずっと一緒にいられると思ったのに。
そう泣きべそをかくと、三人は顔を見合わせた。
「先に籍を入れてもいいぞ。その方が節税になるしな。新居も考えなくていいだろう。今の店舗兼住居、レイさんの持ち家だもんな?」
「あー、うん。ここより狭いけど、物を整理すれば二人なら十分暮らせると思う。ベッドもダブルベッドだしね。もし子供ができたら二階を建て増しするよ」
子供。そんな先のことまで考えてくれていたのか。目を丸くするメルディを尻目に、アルティが「えっ」と焦った声を上げる。
「ちょっと待ってくださいよ、リリアナさん。急すぎません? せめて結婚式が終わるまでは俺たちの手元に……」
「アルティ。メルディが一番若いときは今なんだぞ。好きな人のそばに一秒でも長く居させてやりたいと思わないのか」
「今までずっとそばにいたじゃないですか! 店だって二ブロックしか離れてないのに!」
悲壮な表情で叫ぶアルティの手を取り、レイがにっこりと微笑む。
「ごめんね、アルティ。いや、お義父さん。今さらだけど、娘さんください」
「やめてよ! 鳥肌立っただろ!」
レイの手を振り払ったアルティが深く肩を落とし、沈鬱なため息をつく。これ以上抵抗しても無駄だと悟ったらしい。
「わかったよ、もう……。寂しいけど、我慢する。でも、指輪はパパと師匠が作るからね。デザインはメルディが描いてくれる?」
「うん! パパ、ありがとう!」
顔を輝かせるメルディに、アルティが目を細めて頷いた。
国でツートップの職人が作る指輪だ。さぞかし素晴らしいものが出来上がるだろう。どんなデザインにするか、考えるだけでワクワクする。職人ってやつはいつでも単純なのである。
「ドレスはハンスに頼もう。次男とはいえ天下のワーグナー商会の息子なんだから、質の良いのを山ほど持ってるだろ。引っ越しは近所の職人連中に頼めば何とかなるな。こうなったら知り合い全部巻き込むぞ。その方が早い」
「じゃあ、いっそ披露宴の会場も職人組合に頼んで作ってもらいましょうか。教会の庭じゃ入り切らないだろうし」
「いいな! 料理はケータリングにするか。立食ってのもありかもな。お式は関係者だけにすれば、教会の席も足りるだろうし……」
「ちょ、ちょっとお。勝手に話を進めないでよ。いくら部下とはいえ、ハンスさんは警備隊の仕事で忙しいでしょ。ドレスならリヒトシュタインの家にもあるし、会場だって教会の庭で十分じゃない。どこまで盛大にするつもり?」
主役を置いてきぼりにして盛り上がる両親を必死に諭すが、全く聞いちゃいない。いつだってそうだ。胸の炉の炎が燃え上がるままに行動するのが、メルディの家族たちなのである。
「安心しろ、メルディ! ママたちがお前をラスタ一の花嫁にしてやるからな!」
「ダメだ……。もう好きにして……」
「うーん。相変わらず豪快だよねえ。さくさく話が進んで楽でいいなあ」
白旗を掲げるメルディの横で、レイがのんびりと笑う。さすが付き合いが長いだけあって、全く動じていないようだ。
「レイさんは本当に冷静だよね。このままだと、パパみたいに貴族に囲まれちゃうよ?」
「いいよ。それで君が僕のものだと周知されるなら。悪い虫がつかなくて済む」
突然の甘い言葉に頬が熱くなった。今までなら絶対に聞けなかっただろう。素直に気持ちを曝け出してくれるのは夫婦だからなのか。結婚ってすごい。
「そうだ、肝心なことを忘れてた」
リリアナがぽんと手を叩く。
「レイさんちの環境が整うまでうちに戻っておいで。十歳で工房入りしてから、ほとんど屋敷に帰ってこないんだもんな。パパは仕事中ずっと一緒だからいいけど、ママにも娘とゆっくり過ごす時間をくれよ」
「ママ……」
そうだ。近所に住んでいるとはいえ、結婚すればメルディはリヒトシュタイン家を出る。今まで以上に屋敷には足を向けなくなるだろう。
目を潤ませるメルディに、椅子から立ち上がったリリアナが腕を広げた。まるで子供のときみたいに。
「改めて結婚おめでとう、メルディ。幸せになれよ」
「うん! 今まで育ててくれてありがとう、ママ、パパ。私、二人の娘に生まれてきて本当に良かった」
「そんなしおらしいセリフやめてくれよ。結婚してもメルディはパパたちの娘だよ」
抱き合う妻と娘を見つめていたアルティが、涙を拭って笑みを浮かべた。
「じゃあ、次はレイの実家へのご挨拶だね。失礼ないようにするんだぞ」
アルティの言葉に思わず体が固まった。お義母さん――つまり姑への初顔合わせ。うっかりヘマをして嫌われたりしないだろうか。
まだまだ、越えるハードルは残っているようだった。




