36場 ようやく迎えた大団円
グリムバルドに戻ったメルディたちを待っていたのは、近所の職人連中の手荒な歓迎だった。
野太い声で「お帰り!」「よく頑張ったなあ!」などと口々に労われながら叩かれた背中が痛い。
目立たないように城壁の手前で飛竜から降ろしてもらい、リリアナの知り合いが多い南の大門を避けて、あまり人気のない小さな東門を潜ったのに、どこでバレたのか。
「まあ、これだけの荒くれものたちに囲まれてアルティが黙ってられるわけないよね。今日帰ってくるってことも、東門から市内に入るってことも、全部喋っちゃったんだと思うよ」
「もう、パパったら! でも、怒らせた手前何も言えない……」
「お姉ちゃん、ちょっとは成長したじゃん。旅に出た甲斐があったね」
グレイグを睨むメルディに、隣のドワーフが肩を揺らして笑う。
「まあ、そう言ってやるなよ。みんな本当に心配してたんだぜ。無事で良かったよ」
「そうだよ! 作品を守りたいって気持ちは同じ職人としてわかるけどね」
まとわりつく職人たちを引き剥がしてくれたのは、ハウルズ製鉄所のガンツ社長と、その孫娘で錬金術師のパドマだった。
二人ともアルティが若い頃からの顔馴染みで、メルディも度々お世話になっている。今回の誘拐騒ぎでは、今にも爆発しそうな職人たちを宥めてまとめてくれたらしい。
リリアナが言う通り、知らないところでたくさんの人に迷惑をかけていたようである。
「ありがとうございます。ガンツ社長、パドマさん。これからもパパ共々うちの工房をよろしくお願いします」
「あの跳ねっ返りが急にしおらしくなったじゃねぇか! これでアルティも安泰だな」
「で、そのアルティたちは工房にいるんだよね? まだ怒ってた?」
レイの言葉に、ガンツとパドマは顔を見合わせると、お愛想の言葉を残してそそくさといなくなってしまった。ものすごく怖い。
「い、嫌な予感しかしない」
「頑張ってね、お姉ちゃんたち。僕はロビンを連れて屋敷に帰るから。またあとで顔見せてよ」
言うや否や、グレイグはメルディの腕の中からロビンを取り上げると、近くの市内馬車に乗り込んだ。重い鎧を着ているくせに、こういうときは素早い。
「ちょっとグレイグー! 薄情もの!」
去っていく馬車に叫ぶメルディの肩を、レイがぽんと叩いた。
「仕方ないね。お叱りは甘んじて受けよう」
「やだよー! なんで、そんなに冷静なの?」
「年の功かなあ」
今ばかりは、大人なレイの態度が憎らしかった。
「……」
「……」
「……ねえ、いい加減なんか言ってよパパ」
静まり返ったキッチン――シュトライザー&ジャーノ工房の二階で、メルディは情けない声を上げた。
向かいには腕を組んだまま固まったアルティと、呑気にコーヒーを啜るリリアナ。そして、隣にはしれっとした顔で同じくカップを傾けるレイ。
階下から金槌の音は聞こえてこない。グレイグと同じく、クリフも逃げ出したらしい。
怒られる覚悟で戻ってきたのに何故こんなことになっているかというと、再会の挨拶もそこそこに、席についたレイが言い放ったからだ。
「僕たち、結婚するから」と。
そのときの父親の顔をどう形容しよう。全ての感情をひっくるめてぐちゃぐちゃにして、最終的に闇魔法の中に放り込んだような、そんな表情をしていた。
虚無。そう、虚無という言葉が一番近いかもしれない。メルディと同じ煉瓦色の瞳は、確かにこちらを見ているのに、何も映してないように見えた。
「ママあ、パパなんとかしてよ。さっきからちっとも動かないし、何も話してくれないんだけど」
「そっとしといてやれ。娘が親友とそういう仲になったのを、まだ処理しきれてないんだよ」
「リリアナさんは冷静だね」
「そりゃ薄々……どころか、いずれそうなるだろうって思ってたからな。ここまであけすけに好意を向けられたら、さすがのレイさんだって絆されるだろ。アルティだってわかってたはずさ。ただ、目を逸らしてただけだよ」
リリアナはしみじみ頷くと、落ち着いた空色の籠手を伸ばし、メルディの両手をぎゅっと握った。
「よかったな、メルディ。子供の頃から、ずっとレイさんを追っかけてたもんな。寿命が尽きる前にくっついてくれて何よりだよ。これ以上煮え切らない態度を取るなら、レイさんを剣の錆にするところだった」
「ママ……」
「え? 僕、命の危機だったの?」
感動して目を潤ませるメルディとは対照的に、レイが引き攣った声を上げる。それをきっかけに、アルティ以外の全員から笑みがこぼれた。
夏だというのに冷え切っていたキッチンに温かみが戻る。同時に、ようやく硬直が解けたアルティが勢いよく立ち上がった。
「ちょっと待ってくれ!」
キッチンが再度、しん、と静まり返る。
「なんで? なんで、こんな急に? 寿命とか、歳の差とか、色々面倒くさいこと考えて躊躇してたんじゃなかったの?」
「今までの葛藤を『面倒くさいこと』で一蹴されちゃったなあ。僕、結構真剣に悩んでたんだけど」
「知ってるよ! だから、あえて何も言わなかったんじゃないか」
前のめりになったアルティがテーブルに両手をつく。弾みでカップが跳ねたが、リリアナが手早く回収した。さすが夫婦。息が合っている。
「レイの気持ちは嬉しいよ。でも、本当にそれでいいの? 俺たちは一緒に未来には行けないんだよ。百年後に後悔したって……」
その続きは言えないようだった。
アルティとレイはメルディが生まれる前からずっと一緒にいるのだ。同じ葛藤を、何度も何度も繰り返してきたに違いない。
「君のセリフだと思えないなあ、アルティ。百年後、二百年後まで残る作品を作るから見届けてくれって言ったじゃん。メルディもそうだよ。未来にまで届く作品と……思い出をたくさん作ってくれるんだって」
こと、とカップをテーブルに置いたレイが笑う。それは、いつもと変わらぬ穏やかな微笑みだった。
「後悔なんてしないよ。僕はこれからも続く長い人生を、メルディと共に歩いて行きたいんだ。たとえ、この目に映るのが思い出だけになったとしても」
「……本気なんだ?」
黙って頷くレイに、父親は大きなため息をついた。
「わかった。でも、いきなり結婚じゃなくてもいいじゃないか。メルディはまだ成人したばかりなんだし、少しずつ距離を詰めれば……」
「すでにゼロ距離なんだよねえ」
「は?」
「ごめん」
殊勝に頭を下げるレイを呆然と見つめ、父親はへなへなと椅子に座った。そのまま項垂れたかと思うと、両手で顔を覆い、唸り声を上げる。
「……俺、結婚前に娘に手を出されたら、相手をぶん殴ろうと思ってたんだよね」
「パパ!? ちょっと、やめてよ。冗談だよね?」
物騒な言葉におろおろするメルディを尻目に、レイが訳知り顔で肩をすくめる。
「そうだね。君、トリスタンさまにぶん殴られてたもんね。あのとき、揶揄うんじゃなかったなあ」
「ええ……。そんなの初めて聞いた。ママ、本当にそうだったの?」
「おじいちゃんはな、今でこそお前たちにデレデレのツンデレだけど、昔はツンしかないツンデレだったんだよ。ママにもパパにも厳しかったんだぞ」
「ツンしかないツンデレ……」
どんな人間だ。祖父を見る目が変わりそうな気がする。
アルティはまた深いため息をつくと、両手を顔から外し、今にも泣きそうに眉を下げた。
「なのにさあ……。相手がレイだったら、これ以上何も言えないし、できないじゃん。メルディを絶対に幸せにしてくれるってわかってるしさ」
「パパ……」
感動して声を上げるメルディに、アルティがにこっと微笑む。そして、腰のベルトに差した金槌をおもむろに手に取ると、レイに向かって脅すように振り上げた。
「でも、もし万が一泣かせたら、この金槌が血に染まるからね」
「怖いなあ。職人を敵に回すもんじゃないね」
その一言で、今度こそキッチンの空気が完全に緩んだ。
「これが大団円ってやつだな」
金槌を置いて席を立ち、鼻を啜りながらコーヒーのお代わりを淹れてくれるアルティの背中を見ながら、リリアナが満足そうに呟く。
結局説教もされなかったし、結婚も許してもらえたし、そうかもしれない。
「お師匠さんが戻ってきたら、グレイグも呼んで食事に行こうか。旅の話を聞かせてくれよ。色々と冒険してきたんだろ?」
「うん! おじいちゃんは?」
「おじいちゃんはいいよ。話が拗れる。だから、ここにもいないだろ」
ふと、リリアナはメルディたちが結婚の話をすると最初からわかっていたのではと思ったが、追求するのはやめた。せっかく丸く収まった話を蒸し返したくない。
「それにしても、十三年か。我が娘ながら執念深いというか、なんというか」
「最後まで諦めないのが私の才能だからね!」
「そういうところに発揮しないでくれよ……。いったい誰に似たんだか」
「間違いなく君だよ、アルティ」
弾けるような笑い声がキッチンを包んだ。
大変だけど楽しい仕事。温かな家。笑顔を浮かべる家族たち。そして、隣には大好きな人。
子供の頃から思い描いていた未来が、ここにあった。




