35場 家に帰るまでが旅です
「お世話になりました。みんな本当にありがとう!」
朝焼けに霞む夏空の下、メルディは勢揃いしたドワーフたちに頭を下げた。
肩にはようやくお役目を終えたロビン。背後には優しく見守るレイと、眠そうなグレイグ。
メルディの誘拐騒ぎから一週間が経っていた。長く続いたマルクスたちの詮議も終わり、いよいよグリムバルドに帰る日がやってきたのだ。
「世話になったのは、こっちの方だぜ。あんたのおかげでドワーフの名に傷がつかずに済んだし、グロッケン山に引き寄せられる魔物もいなくなった。最深部の魔素だまりもすっかり浄化されたしな」
「最後のはエスメラルダさんとマーガレットのおかげだけどね」
「風みたいなお嬢ちゃんだったな。まさかその日のうちに帰っちまうとは思わなかったよ」
そう。最深部に潜ったエスメラルダたちは一瞬で魔素だまりを浄化したあと、呆気に取られるドワーフたちを尻目にさっさと帰って行った。「首都で待ってるね!」とメルディに言い添えて。
「まあ、またいつでも来てくれや。今度は技術交流でも……いや、新婚旅行でもいいぜ。あんたなら、ドワーフの横穴の中を隅から隅まで案内してやるよ」
にやっと笑うフランシスに、レイが「勘弁してくれる?」と口を出す。
「地下に潜るのはしばらくごめんだよ。奥さんとの貴重な時間を邪魔されるのも嫌だからね」
「言うねえ、エルフの兄さんよ。若い嫁を捕まえてイキがりやがって。せいぜい逃げられねぇようにするんだな。メルディ、旦那に愛想が尽きたら俺のとこに来な。いつだって腕のいい職人は大歓迎だからな」
「大丈夫! 私は絶対に逃げないし、レイさんのことも逃さないから!」
高らかと宣言するメルディに、レイが照れくさそうに耳を掻き、フランシスが「またフラれたよ」と肩をすくめた。
「ほれ、爺さんもなんか言っとくことあるだろ。機会は一度切りだぜ」
そう言って、フランシスは後ろに隠れるように立っていたドワーフを引き摺り出した。
ぼさぼさの髪に絡み合って縮れた髭。見窄らしい作業着。グレイグとレイに聞いていた通りの特徴。ブラムだ。
詮議の結果、ブラムは牢を出たものの一年間の営業停止処分を下されていた。その間の監視はフランシスが引き受けるという。ドワーフを束ねる立場として責任を負ってくれたのだろう。
ブラムは何度かメルディの顔と地面を交互に見ていたが、ぐっと口元を引き締め、九十度の角度まで頭を下げた。
「本当にすまなかった! あんたが丹精込めて作った鎧を汚すような真似をしちまって……。今日を限りに、俺は金槌を置くよ。金輪際、職人とは名乗らねぇ。その資格も技術も俺にはねぇから……」
「……私の鎧、そんなにすごかった? 偽物を作りたくなるほど?」
少し躊躇して、ブラムはこくりと頷いた。
「すごかった。今まで俺が積み重ねてきたもんなんか一瞬で吹き飛んじまいやがった。それを認めるのが怖くて、あんたを不当に貶そうとしたんだ。アグニスに一喝されて、その上、熊のぬいぐるみにぶん殴られてようやく目が覚めたよ」
小娘だと侮っていた相手に、ここまで素直に気持ちを吐露できるのは、洗脳が解けたからかもしれない。
項垂れるブラムの両手を取り、じっと手のひらを眺める。何度も潰れたマメで硬くなった職人の手だ。クリフとも、アルティとも、メルディとも重なる手。
「あなたが何を言ったって、この手に染みついたものは一生消えない。本当は今も金槌を握りたいんじゃないの?」
図星を突いたようで、ブラムは大きく顔を歪めた。
職人って生き物は死ぬまで職人だ。ものを作らずには生きていけない。それは一種の呪いだと言ってもいい。
だから贖罪の方法も一つだけだ。たとえ全てを失っても、たった一つだけ残るもの。
それは、胸の炉に灯る情熱の炎だ。
「なら諦めずに作ってよ。今度は私よりすごい鎧を。そしたら許してあげる」
にこっと笑うメルディに、ブラムは声もなく涙を流した。
そのとき、大通りの向こうから必死に駆けてくるドワーフの姿が見えた。後ろに二人従えている。
フードを被っていてわかりにくいが、一人はドワーフ、もう一人はヒト種のようだ。体力の差か、比較的足の速いドワーフに比べてヒト種は大きく遅れている。
「おせぇぞ、ビクトール! ご領主さまが遅刻なんてしまらねぇなあ」
「仕方ないだろ。許可取るのに時間がかかったんだよ。何せ首都の役人は仕事が遅――失礼。聞かなかったことにして頂けますか」
メルディに謝罪し、ビクトールは這々の体で追いついてきたヒト種を手招きした。
「ほら、前に出てきなさい。遠慮しないで」
「そうじゃぞ。次はいつ会えるかわからんのじゃから」
つい先日お見舞いで聞いた声に、一瞬で胸が弾む。
「もしかして、トゥールさん?」
「おうおう、そうとも。この前は見舞いに来てくれてありがとうな」
外されたフードから覗く優しげな微笑み。やっぱりトゥールだ。じゃあ、まさかこのヒト種は――。
期待に顔を輝かせるメルデイの前に遠慮がちに歩み出たヒト種が、ひと思いにフードを外した。
「マルクス!」
エルフのように整った顔に、美しい黒髪と緑色の目。少しやつれたが、間違いない。両手には手錠がかけられているものの、一週間前に別れたときと同じ姿だった。
「どうしてここに? あなた、ラグドールに送られたって聞いて……。もう二度と会えないかと……」
「ビクトールさまが、せめて君の見送りまでいさせてやってくれって働きかけてくれてね。それが叶ったってことは、国側でも何らかの力が働いたんじゃないかな。きっと、君を大切に想う誰かのね」
ちら、と視線を向けられたレイが肩をすくめる。
「知らないよ、僕は。敵に塩を送る真似なんてしない。リリアナさんじゃない?」
素っ気ない口調だが、その唇は微かに弧を描いていた。
「これから僕は――僕たちはラグドールに行く。でも、永久追放じゃない。許可を取れば、またラスタに来れるって。長期滞在はできないけどね」
「僕たち? ということは……」
マルクスの隣に寄り添うトゥールが「ほっほ」と笑った。
「大事な弟子で息子じゃからのう。救済の手が差し伸べられたとはいえ、向こうはまだまだ物資が枯渇しとる。わしのなまくらな腕でも、まだ役に立つかもしれんしの」
「この身にラグドールの血が流れてるから言うわけじゃないけど、きっとラスタに負けないほど豊かな土地にしてみせるよ。遠いグリムバルドまで、僕の名前が轟くのを楽しみにしてて。そのとき初めて、君と肩を並べる職人になれる気がするんだ」
リアンの願いは聞き届けられ、ラグドールの自治区にはラスタから開拓団が送られることになった。捕まった残党たちもいずれ送還され、ラグドールの復興に従事するという。
リアンは首都に移送され、一生牢を出ることはないけれど、故郷の隆盛を耳にすることはできるはずだ。
生きている限り、こうした別れは幾度となく訪れる。ロビンも首都に戻ったらメルディの手を離れ、マルグリテ家の預かりになる。「仲間と一緒にいてほしい」というのが馬宿の女将たちの願いだから。
それでも、思い出は常に共にある。いつか進む道に迷ったとき、悲しみに押しつぶされそうになったとき、きっと未来を照らす灯火になるだろう。
「……いつまでも待ってる。私たち、ライバルだもんね!」
マルクスが歯を見せて笑う。それは坑道で見せたときと同じく、少年のような清々しい笑顔だった。
「じゃあ、そろそろ行こうか。あんまり遅くなるとアルティにまた怒られちゃうよ」
「え? でも、飛竜便まだ来てないんじゃ……」
「もう来てるよ」
レイが指し示した先には、炉に燃える炎のように見事な紅色の毛並みをした飛竜が悠々と空を飛んでいた。
いつの間に現れたのだろう。呆気に取られている間に、大きな鉤爪が徐々に近づいてくる。
直後、大きく地面が揺れ、巨大な一羽の飛竜が目の前に降り立った。
その首に取り付けた御者台に座っているのは褐色の肌と金色の瞳。そして、側頭から伸びるホルンのような角。火と風の魔素を多量に取り込んだヒト種から生まれたドラゴニュートだ。
彼の後ろ――飛竜のちょうど羽と羽の間には大きな卵形の籠が取り付けられている。そこから伸びた梯子を伝って乗り込むのだ。
不安定に見えるが、風魔法で保護されているので外に転げ落ちる心配はない。費用がお高い分、安全管理はしっかりしている。
「どうも、この度はご用命いただき、誠にありがとうございます。ワーグナー商会の配送人、カミル・ガーフィールと申します。こちらは相棒のピーすけです。快適な空の旅をお届けしますよ」
「カミルさん!」
「やあ、メルディちゃん。元気? 特別料金に釣られてのこのこ来ちゃったよ。相変わらず君のママ怖いね」
カミルはエトナと同じく、両親たちの昔馴染みだ。レイが「一番豪華な飛竜便」と言っていたからそうじゃないかと思っていたが、合っていて嬉しい。
「メルディ、君、飛竜便にも知り合いいるの?」
「うん。エトナさんと同じで、パパたちのお友達なの」
「リヒトシュタイン家ってのは怖いねえ。坊主、お前すげぇのライバルにしちまったな」
口をぽかんと開けたマルクスに、フランシスが肩を揺らして笑う。
「飛竜便なら一日で首都に戻れるけど、油断しないでよ。無事に帰り着くまでが旅だからね。ほら、グレイグ。さっさと籠に上って。後がつかえてるよ」
追い立てるようにペしんと草摺を叩いたレイに、グレイグが口を尖らせて抗議する。
「ちょっと、セクハラやめてよ。デュラハンの鎧は繊細なんだから」
「いいから詰めて。まだメルディも乗るんだよ」
「なんか前より仲良くなったね、二人とも。何かあったの?」
首を傾げるメルディに、レイとグレイグは顔を見合わせたあと、小さく笑った。
「別に? 僕たち前からこんな感じだったよね、レイさん」
「そうそう。さあ、帰ろう。僕たちのグリムバルドへ」
躊躇なく、差し出されるようになった右手。決して離さないようしっかり握り、籠の中へ足を踏み入れた。
「じゃあね、みんな! また来るから、それまで元気でね!」
「おう! 待ってるぜ!」
「またね、メルディ!」
メルディが大きく手を振ったのを合図に、飛竜便は空に舞い上がった。そのままウィンストンの上空を旋回し、徐々に速度を上げていく。
大切な家族たちが待つ家へ向かって。




